「臨床牧会訓練について」
1966年 「病む人と共に――牧会臨床カウンセリング」
日本基督教団出版部
これはわが国に未だ十分に紹介されていない牧会臨床訓練について解説したものである。私自身の一九五八年より六〇年までポストン市立病院、ウースター州立精神病院の課程および一九六五年ポストン市立病院でのスーパーヴァイザーの経験、それに一九六四年京都バプテスト病院での第一回牧会臨床訓練での体験を参考として、これがどのようなものであるかを紹介せんとしたものである。
一
牧会臨床訓練(Pastoral clinical training)は生きた人間を相手になされる牧会訓練である。主イエス・キリストが人間に仕えたもうたごとく、如何にしてこの仕えるという業が今日の状況において、人間に働きかけてゆくかを研究し、仕えるものを臨床の場において訓練することなのである。従来の牧会学が書物を資料として組織されていたとするならば、牧会臨床訓練においては生きた人間が資料として提出されるのである。この生きた人間、とくに病院という場面設定の中で牧会者が遭遇するのは病気、死というような危機的な状況における具体的な人間である。このような、混乱し、反抗し、諦観し、失望し、あるいは最後の決戦を病にたいしていどむために勇気をふるいたたせているような人間にどのように仕えることができるか、という問題を考えることである。
ここで提出されている問題は広くて深い。われわれの今日もっている神学そのものも場合によっては考えなおされる必要があるかもしれないし、神学教育の在り方にもかかわりをもってきているし、キリスト教病院の問題、医学とは何か、ということ、あるいは看護、社会保障の問題から永遠の生命の問題にいたるまで実に幅の広い事柄を取り扱わねば解決できないのである。しかし、この幅の広さも、ひとりの人間がひとりの人間に近づき、関係をもち、そこに何かの変化が起こるという人間の関係に集約でき、しかもこの関係は主イエス・キリストの業にあずかる牧会の業であるという深さをもっているのである。たとえば、従来、病院伝道という名のもとに考えられてきたことは、病院という場所で伝道をするということに重点がおかれていたのにすぎなかった。非常に熱心に伝道しすぎて、病状が悪化し、医師から面会を拒否されるということも時に起こり、病院の目的と伝道という目的が一致せずに互いに矛盾しあったということがある。さらに、信仰によるいやしを一面的に強調するあまり、医療を妨害することもしばしば起こった。このような無知ばかりではなくて、日本で普通に神学教育を受けた牧師は通常病人を訪問するための特別の訓練を受けていないので、いざ訪問するとなると、どのように振る舞ったらよいかまったくわからず、ただ説教をしたり、祈りをしたり、文章を配布してお茶をにごすという例も非常に多かったのである。結核療養所の患者のように比較的長期滞在する人々にたいする病院伝道は聖書研究会などで比較的成功をおさめている例が少なくないが、非常に短期、しかも危機的であり、宗教的関心の薄い人々にたいする牧会ということは困難である、という理由でほとんど考えられてこなかった。これは病院伝道という観点からは無理もないことである。
これにたいして、病院という特殊な場面での牧会、他の専門家(医師、看護婦、ソーシャル・ケースワーカー、栄養士、事務員、検査員等)との協力をとおして、病院全体としていやしの業を考え、その中での牧師の役割と機能とを考えるというのが新しい観点である。前に述べたように、牧師は普通ひとりで自分の仕事を行ない、完成するというように自分の牧会を考えてきた。市中の教会では自分のしたに副牧師、伝道師がおり、協力して行なわなければならない面があるが、どこまでも自分が中心であり、自分の指示によって牧会が行なわれるのである。しかし、病院ではそうではない。病院のボスは医師である。牧師は、キリスト教病院ですら病院付牧師をおいていないところがあるほどで、いわば余計なものである。たとえ、病院の中に牧師という位置をもったとしても、病院全体の機能からみて、牧師の任務を明確に把握するのは非常にむずかしい。もちろん、礼拝を行なうとか、放送をするとか固有の任務もあるが、それ以外何が必要とされているか、自分でそれぞれの状況のもとで発見しなければならないようにできている。じつは、この状況は、牧師の訓練にとって非常によい環境なのである。医師の管理のもとに入りながら、しかも全体に奉仕することが具体的にどのように可能であるかを考えさせる。牧師にとっては新しい経験である。これは、牧師が刑務所や青少年の施設、工場や労働組合でチャプレインとして働く場合の訓練にもなる。教会という場から一足外に出るということは、すなわち、社会において牧会の業が他の専門家との協力のもとにはじめてなされるということである。これは自分の指揮下にすべてがなされるという牧会の仕方を身につけた牧師にとっては、誠に不便な状況で、何をしてよいかわからないようなことがしばしばである。しかし、現実にはこのような不安、混乱の中に身をさらしつつ、「隣人を愛する」ということを行なうように期待されているのである。それに、病人ひとりひとり、牧師にたいする期待や自分の考え方をもっている。そのうえ、仏教徒あり、その他の宗教の患者もいる。しかしながら、すべて一様に人間であり、牧されることを必要としている人々である。これらの人々の魂にたいしてどのように配慮したらよいのであろうか。これらのことが牧会臨床訓練のねらいなのである。
死に臨む病人にむかって教義論を展開して天国論争をしかけてもむだである。そこで要求されているのは、天国論を患者に教えるのではなくて、同様に死の制限の中に生活する生身をもつて、死の恐怖の淵にあるその人にむかって、時間を突破した福音の信仰を、その人に仕えることによって確実に伝達することなのである。そして、その人をして福音に浴させ、入らせることである。このような業は牧会者自身の肉化された信仰なしには期待されない。彼自身が死を恐怖しつつどうして永遠を信じさせられるだろうか。恐怖は恐怖を生ませ、倍加させるだけである。この場合、牧会臨床訓練は、その中で実際に病院で患者を訪問させる。そして、その中で死に面するものに出会うのである。昨日、訪問した患者が明日はもうそのペットにいない、あの祈りが最後の祈りであった、という場合にしばしば遭遇するのである。これは牧会臨床訓練が一般の教会の牧会の状況とは相違して、常にリアルな人間の状況の中でなされるということを意味する。これは、必然的に牧会者自身の信仰の内面化ということを要求する。彼が学んだ教理も歴史も聖書の知識も借りものであれば具体的な状況の下では何ら役にたたない。個人の人格の中で総合され、肉づけられていなければならない。牧会者がどのように言葉で教理を説いても、言葉には表現されていないが、言外にはその教理を牧会老自身が信じていないことが明白であったり、そのことが感じとして患者に悟られるという状態であってはこの人の牧会は無効である。「言うこと」と「感じること」が一致していなければならない。
以上要約すると、第一に、牧会臨床訓練は人間のリアル(現実的)な危機的状況における教育である。これは、牧するものの信仰の内面化と、統合とが要求される。それゆえ、訓練において重点のおかれることの一つは、牧会者が自分自身に直面することなのである。これは訪問を開始する前、訪問中、訪問後と絶えずこの点に帰って訓練がなされる。すなわちそれは、この自分であることを喜んで受け入れることなのである。第二に、牧会者と患者、牧会者と訓練の中で指導にあたるスーパーヴァイザーとの関係、医師との間、その他、彼が接するあらゆる人々との関係が重視される。彼はその関係の中に生起するあらゆるダイナミックスに観察者であると同時に参加者であることが要求されている。「いま、ここで、何が起こっているか」を知っていることが必要で、この人間とこの時の関係は一回的にしか生起しないのである。臨終という人生のたいせつな時間もあるだろうし、また、長期療養者と将棋をさすという関係もある。しかし、どの時間も同様に重要である。このダイナミックスを感受性銃く把握することが訓練の中で課せられる。第三に、牧会老の役割を全体の中で把握させることである。グループ・ミニストリーまたはヒーリング・チーム(いやしに参加する人々の組)での自分の役割を知ることが要求される。外から何々をせよ、というかたちで命令が与えられるのではなく、また、定型化した役目があるのでもなく、不安定の中で内から自分の役目をみつけてゆくことである。ちょうど、イエスが民衆の中で生活されたときのように、外的な権威に依存せず、自分の中の信仰に権威を見いだしつつ、隣人に手をさし出すことができる、という自己確信を得させることである。牧会臨床訓練は、どのような不安定な状況のもとでもイエスに仕えるもの、任務を平然と喜んで行なえるものを訓練することである。それではどのようにすればこのことが可能となるか、又訓練は如何に実施されるかを詳しく説明してゆきたい。
二
牧会臨床訓練の具体的なプログラムの運営の仕方は、それぞれの訓練機関によって差異があり、一概にこれを述べることはできないが、だいたいにおいて基本的な内容は統一されているので、ポストン市立病院におけるアンドーヴァー・ニュートン神学校の夏期12週間の訓練コースを参考にしつつ、どのように実施されているかを述べてみたい。
学生4、5名にひとりの割合でスーパーヴァイザーがつき、約80名の学生と約10名のスーパーヴァイザーがこの病院のプログラムの主役を演ずる。スーパーヴァイザーは、すでに牧会臨床訓練の経験をもっている主として大学院の学生、牧師がこれにあたり、週一回スーパーヴァイザーの会合が開かれる。これはシニア(上級)・スーパーヴァイザーによって指導され、これらの人々はすでに正式のスーパーヴァイザーの資格を取得した人々であって、学生の指導上の問題いっさいがこのスーパーヴァイザーの会に持ち込まれる。私は昨年(1965年)夏のこの会にスーパーヴァイザーとして参加したが、これほど緊張した、激しいグループ・ダイナミックスの会合を体験したことはなかった。期間中に三名のスーパーヴァイザーがコースから脱落し、内一名は精神病院に収容された。これはスーパーヴァイザーというのが、彼ら自身の知る、感情的、宗教的成長がいかに激しく期待されており、これなくして学生のスーパーヴァイザーは不可能であるということを物語っている。
学生は12週間中の最初の2週間は病棟の雑役夫(Orderly)として各病棟に配属される。この間、彼らの牧師又は神学生であるという身分は隠されている。その目的は、直接に病に苦しんでいる人々と接することである。雑役夫は普通病棟の看護夫の指揮下に入り、便器や酸素吸入器を運搬したりする仕事に使役される。そのように使われつつ、彼は病にある人々がどのような感情をもち、苦しみを味わっているか、仮面なしの真の人間の状態を経験させられる。彼は雑役夫の仕事着をつけているので、患者は別に牧師に対するような仕方では話さない。彼は同僚の仲間と話しをしたり、共同に仕事をさせられる。病院の機構全体も、また別の角度からわかってくるようになる。このような毎日の経験は、いっさい報告書として彼のスーパーヴァイザーに提出される。そして彼との個人面接の後に、批評が加えられ、この報告書は本人に返却される。
2週間を経過すると、通常今度は病院付牧師(チャプレイン)として別の病棟に派遣される。1病棟で20から30名の患者を受け持たされる。毎日、これらの患者に訪問が実施される。もちろん、通常プロテスタントの信者を訪問するのであるが、カトリック教徒であろうと、ユダヤ教徒であろうと、無信仰の人々であろうと呼び止められたらこれらの人々にも訪問を行なうのである。アメリカにおいて入院カードにプロテスタントと記入してある人は、実際的には「私はカトリックではない」という意味でしかない、ということが訪問すると直ちにわかる。その意味は、大部分の人々は教義的に深い理解をもってプロテスタントになっているのではなくて、誕生のときそうであった、というにすぎないからである。すなわち、病院という場所は教会とはちがって各種の人々が存在しており、これらの人々にミニストリーすることが常に要請されている、ということを知るのである。「やあ、牧師さん、よく来てくれた」という人もあれば、「貴方は牧師さんですか、別に用事はありませんよ」という人もいる。ここで学生は、彼の訪問がある人にとっては非常な喜びであり、又ある人にとっては歓迎されないものである、ということを経験するのである。さまざまな患者の反作用(Reaction)を体験することによって、とくに歓迎されない場合を経験することは、人間と人間の関係の多面性に対処しうる能力への訓練となる。苦しみの中にある人々は、普通もっている他人にたいする配慮が欠けていて、直接に自分の感情を投げかける場合が多く、しばしばこのような直接の経験のない学生は、自分の感情を処理することができない。したがって患者との関係が破れる場合が多い。「用事はありません」ということは、すでに患者は自分自身の牧師像をもって、彼に面しているために、このイメージから「牧師は何々をすべきであり、だから、今日は私には用はない」という結論を導き出しているからなのである。彼はこのような例に出会うことによって一般の人々がどのような聖職者像をもち、何を期待しているかを学ぶのである。しばしば人々が期待する像と自分が所有している像との問に大きな差異を発見する場合がある。学生は聖書を読んできかせ、祈りをしたいのに、患者は雑談の相手と考えたり、将棋までしたいといい出したりすることもある。この場合、彼の演じている役割は何かを明確に認識していなければならないであろう。このようにさまざまな問題が面接の問に生起する。これを、「やあ、おはよう」から「では、さようなら」まで、全会話は暗記され、これは逐語的に記入された面接記録となって、二通作成され、一通はスーパーヴァイザーに提出される。これをVerbatim Interview Write Ups)と呼ばれ、牧会臨床訓練の重要な内容となる。
これは訓練センターによって差異があるか、一例を示すと次の如くである。面接一回ごとに作成され、スーパーヴァイザーの批評が付されて本人に返却される。患者の名前はいっさい記入されず、コード番号によって処理される。
第一に、すでにこの患者について知っているあらゆる事実について概略が記入される。前回までの面接から得られたこと、その他いっさいの患者について現在もっている知識である。第二に、今日の面接にたいする準備が記入される。具体的な面接の目標などである。第三に、観察したこと。最初に部屋に入った場合、患者はどこにいたか、何をしていたか、顔色は? 髪の手入れは? 服装は、いっさいの患者について目についたこと。会話が進行している問に気のついたゼスチャー、くせ、アクセント等である。それから、周囲の状況などである。第四に、面接時の会話である。これは普通面接が終了すると直ちに別室でノートをとる訓練をすれば一時問でも二時間でも正確に記すことができる。忘れたところはそのままにしておく。忘却もまた意味のある場合が多い。このように、できるだけの復元をはかる。第三人称を使用しての概略ではなくて、問答的にC(チャプレイン)1、その答えP(患者)1、そして次はC2、P2というように記し、問いと答えにそれぞれ番号を付すと便利である。沈黙は何分と記入される。それに意味がある場合、説明が付されることが望ましい。第五に、面接の分析評価である。まず面接の分析評価が記されねばならない。問答の言外の意味、言語外のコミユニケーションの分析解釈が加えられる。この分析によって面接中に気づかなかった多くのダイナミックスが記入されることによって発見される。つぎに、牧会者の自己評価である。問いにたいして適切な反応をしているかどうか、自己分析が行なわれる。理性的、論理的レベルでの問答がなされていても、感情的レベルでさまざまな問題が含まれている場合が多い。そしてつぎに、患者の宗教的、心理的関心にたいして総合的に評価を加える。短い面接であっても、どこに患者の成長への芽が隠されているか、どこに牧会への機会が与えられているか注意深く、将来へのこの人にたいする牧会の機会の見通しとともに書かれねばならない。そして、だいたいの面接の所要時間と次回の面接への必要事項が記入される。
以上述べたのが逐語的面接記録の記入の仕方の大要であるが、これは12週間の期間中に少なくとも15通は提出されねばならない。これは、スーパーヴァイザーが学生の面接を間接的に知るという目的のほかに、記入することによって学生に患者との関係をより正確に観察させ、より深くこの関係に参加させることをねらっている。
つぎに重要なのは小グループにおけるグループ・ダイナミックスである。これは毎日2時間10週間実施され、8名から10名の学生に2名のスーパーヴァイザーがつく。方法、内容はさまざまである。指導者は観察者にすぎず、グループに出席はするが、発言せず、批評も加えないものもあれば、学生の無意識の問題、感情の問題を取り扱いつつ、面接記録を読ませたり、ロ-ル・プレイを行なったり、直接に強力に指導する方法もある。方法はどのようなものであれ、10週間毎日2時間ずつ顔をあわせて、グループの作業を行なうことは非常な心理的圧力を加えることとなる。具体的な面接の方法、牧師の役割の問題も提出されるが、この小グループでのねらいはスーパーヴァイザーの指導による各グループの成員のパーソナリティー(人格)の成熟をはかるという点であろう。単なる技術や理論ではなくて、知識と感情の統合、そしてそれがユニークな彼の人格として発達させられ、同時にその可能性と限界性が認識されるということである。これは一つの実験グループとして出発させられる。そして、各メンバーはあらゆることをグループ内で自由に行なうように許されている。そのような状況の中で、各人はどのように他人と関係し、自己を主張し、否定し、肯定するかが、全員によって観察され、批評される。とくに、精神病院のプログラムにおいては病院内に宿泊する場合、24時間の相互影響が10週間続行されるわけである。彼の隠れた動機、過去の経験、人生の目的などがしばしば必要に応じて露呈され、グループに提出される。12週間もこのようなグループ・ワークにとって短すぎる場合が多い。人格の転換が行なわれるには十分ではなく、ただ、学生の過去から継続してきた問題、しかも意識されていなかった問題が彼によって自覚的受容されるに過ぎないという場合も多い。しかし、これだけでも、彼の牧会がより効果的になるために十分に必要なことである。
このほかに、スーパーヴァイザーと学生との個人的インタビューが毎週一回行なわれ、ここで学生が担当している患者の問題が学生の必要に応じて指導される。講義は各種の分野の専門家によって毎日または随時に行なわれる。医師、精神医、看護婦、病院経営者によるそれぞれの分野の常識的な知識の講義、神学者、心理学者によるものなどであって、一定せず学生はさまざまな意見、理論、学説を聞く横会が与えられる。統一はむしろ学生の側において自己の人格の中で行なわれるべきもので、フロイト派の学者の次にユング派の心理学者が講義して、前者の説を否定し、学生に混乱を与えても別に差し支えなくむしろこのような混乱は社会の実際を写すものとして、またこの混乱に対処する牧会を考えさせるとして歓迎している。そのほかに、コース終了までに3冊以上の書評が要求され、実際の体験と同時に書物から知識の吸収が奨励される。そして、特別なこととしては、ポストン市立病院の牧会臨床訓練では屍体の解剖室の見学が課せられる。そして、報告書の提出が要求される。これはしばしば強烈な経験であり、肉体とは何か、死とは何かを自己の神学概念との関連において考えさせられるのである。また、手術の見学も医師の許可によって行なわれ、直接的な経験が得られる。これらは医師団との理解と協力によって、訓練の重要な課目としてなされている。
最後に評価(Evaluation)であるがこれもまた教育の重要な要素である。課程に入る直前に、自叙伝風の自己評価(Pre-evaluation)があらかじめ求められる場合がある。申し込みのときになぜこの課程を申し込むかという資料を普通要求され、担当のスーパーヴァイザーはこれを基礎資料とする。その後、6週間目に、中間評価(Ongoing Evaluation)が学生及びスーパーヴァイザーによって記され、課程の終了時に総合的評価(Final Evaluation)が提出される。これらは学生のものはスーパーヴァイザーに、スーパーヴァイザーによるものはシニア(上級)・スーパーヴァイザーに提出される。学生はスーパーヴァイザーの指導の仕方について、自分にとってどれだけ意味があったかどうか、評価することが期待され、自由に評価できる能力が評価の対象となる。スーパーヴァイザーも同様に自由に評価する。とくに、学生と患者の関係、他の仲間の学生との間、スーパーヴァイザーとの間、彼の宗教的関心、牧会的配慮、将来への助言などがそのおもな内容である。このように評価は絶対的な評価ではなく、多くの他人の目を通して自己を見、また、それらを通してどのように自己理解が深化したかを測るというもので、これにスーパーヴァイザーの判定が加わるのである。所定の課程条件を満足させれば課程の終了証が授与される。スーパーヴァイザーの場合は、彼の指導能力が評価され、所定の牧会経験、面接のケースを終了し、一般病院及び精神病院でのスーパーヴァイザーの所定の年数の経験が認定されると、臨床訓練を自分の責任において開きうる資格をもった、シニア(上級)・スーパーヴァイザーとなることができる。そのほかに、プログラムの中にかならず礼拝が組まれている。日曜日に患者、職員を対象として守られる以外に、毎日課程に参加している学生によって行なわれる。病院における礼拝は、各専門の分野で貢献している職員全体を専門の区別をこえ、教派の差異をこえて、イエス・キリストの奉仕に参加している、という真の一致の意識を与えるのである。病人にとっては同様にこの礼拝はさまざまな重要な意味をもっている。そして、その中で病をもっているという罪の意識が悔い改めの強い要求となって表われる。したがって礼拝を通じて罪の許しと救いの確実さが伝達されねばならない。まったく受動的な態度を強制されている病人にとって、礼拝に参加することはまた非常に能動的な意味のあることである。そして、しばしば人生の危機を通して人間が改造され、人生のこの入院の時期が決定的な時となる。また、礼拝の形式、内容などは病院の種類、病人の必要性に応じてさまざまに変化させられねばならない。たとえば、マサチュセッツ精神衛生センターのチャプレイン、ホイヤー博士の礼拝は、精神病の患者を集めての極めて非組織的な独特のものである。まず、礼拝開始直後「どんな讃美歌をうたいたいですか」とたずね、患者がその番号を言うと、彼はそれによってその日の患者のニードを把握してしまうのである。ある夏、病人が信頼していた精神医が大勢転勤したことがあった。彼が讃美歌の番号をたずねたら、なんとそのとき病人のひとりがいった番号は、葬式の讃美歌であることがわかった。彼はこのとき、患者たちのGrief Work(歎きを表面に出すこと)の必要を感じ、礼拝は転勤してゆく医師たちの葬儀となったのである。このようにして彼らの悲しみは十分に表現される機会が与えられ、騒がしくはあったが意味のある礼拝が守られたのである。このように病院での礼拝はただ知的のみならず感情的な受容を通しても赦罪、十字架、復活の教理が適切に伝達されねばならぬ。そして多くの場合、この礼拝の成否は彼らの肉体的、精神的な生死の問題がかかっている場合が多いのである。このような礼拝の司式、説教、聖餐式、洗礼式の執行等の問題が臨床牧会訓練の中で問題にされるのである。
三
以上が実際的な課程の内容であったが、全体としてプログラムがどのような原則的理念から実施されるかを概観してみたい。
三つの特徴をもっていると考える。(一)集中された教育であること(Intensive)。(二)スーパーヴァイズされた教育であること(Supervised)。(三)実験的経験をとおしての教育であること。(Laboratory Experience)この三つである。
第一に集中的であるといわれるのは夏の期間12週間というように、精神病院の場合は通常病院内の宿泊施設に泊まって24時間毎日継続的に講義、小グループが実施されるのみならずそのプログラムの中に自分を投入することを要求される。単なる傍観者ではなく、文字どおり、受講者の無意識の問題も取り扱われ、個人的な過去、現在、将来のいっさいの心理的態度が問題にされることをとおして、プログラム全体のダイナミックスに参加されることが要求される。ポストン市立病院のような場合は課程そのものは比較的組織されており、朝、小グループ、訪間、礼拝と続き、午後は講義にあてられているが、ウースター州立精神病院のプログラムの場合は非組織的にプログラムができており、毎朝、そのコースの講義に出席するか、患者を訪問するか、報告書を提出するか、いっさい自由にされている。出席したくなければ出席しなくてもよく、その代わり、なぜ出席したくないか、自己自身で自分を観察して、スーパーヴァイザーとの面接でたずねられた場合、これに答えなくてはならない。答えられなくても、この意味が十分に認識されるように指導される。このようにコース全体が12週間の間、指導する方も指導される方も人間関係の相互作用として理解される。すなわち、全員が観察者であると同時に参加者の性格をもっている。このような集中性が外部から、また内部から圧力となって、現在の自我の構造を変化へと導いてゆく。講義は新しい視界を開いてくれるだろうし、小グループ及びスーパーヴァイザーとの面接より大きい統合へと人格が変化してゆくのに役にたつのである。抵抗はいろいろのかたちで表面化する。他の仲間への攻撃、自己にたいする否定的態度、スーパーヴァイザーへの転移等の問題となって表われる。これらのさまざまの態度、感情の表出は自由に奨励される。同時に、患者と学生との関係の悪い点は遠慮なく、面接記録をとおし、小グループで問題にされる。この意味で他の教育コースに比較して時間的に、心理的に、研究量から、経験の質からいって非常に集中化された教育であるといえる。
第二に、この教育は注意深く、支持的に、しかも批判的になされるスーパーヴァイズされた(指導、監督)教育であるという特徴をもっている。従来、これは神学教育においては科学的に取り入れられたことはなかった。精神医学や臨床心理の教育には効果的に使用されてきた方法で、さまざまな状況における問題を直接に経験させつつ、それを経験のあるスーパーヴァイザーによって指導され、次第にあらゆる問題に対処しうる能力を養成しようとするものである。神学校を卒業して、教会に派遣されるとだれからも指導を受けないで、実際の問題を処理しなければならない放任教育よりも、スーパーヴァイザーとの支持的な関係をとおして問題に対処しうるように励まされたり、批判されたりすることは、学ぶもの、成長をもっともうながす源となる。普通、スーパーヴァイザーは学生にとって権威をもつものとして彼の前に立つことが意識される。彼がすでに父との間に、牧師との間にもっていた権威の問題がしばしば転移され、スーパーヴァイザーへの反発あるいは服従となって表現される。12週間中、小グループにおいて、個人インタービューにおいて、あるいは雑談などいっさいをとおしてスーパーヴァイザーとの関係はプログラムを貰いて保持され、治療的に、教育的に使用される。定められた日時に、定められた面接記録や報告書が提出できないのも、個人インタビューを回避しようとすることもすべては一種の学生のスーパーヴァイザーにたいする問題としても考えることができ、これが注意深く指導される。ときには受容的であり、ときに「激怒させる」程痛烈である。それは、未だかつて怒りを表現したことのない者には「怒る」ことがどういうことであるかが教えられるのである。一学生の例をとって示そう。彼は良いクリスチャンの家庭にそだち、彼はどんなときにも怒りの感情を悪として禁止しようとした。彼は友人を憎んでいるときも、笑顔をもって彼にたいした。むしろ、彼はいつも自分の心の中に悪感情をもっていることを人に知られたくないと思って、努めて「良いクリスチャンであること」を装った。小グループの中で次第にお互いの感情がわかり、自由に表現できるようになったとき、彼ひとりはどうしても、他人を憎むこと、そのことを表現することができなかった。グループのメンバーは次第にこの学生の「良いクリスチャン」の態度にあきたらなさを感じ、批判するようになった。彼は何度もこの態度を指摘されてもどうしても自由に自分の感情を表現することはできなかった。あるとき、ついに小グループで爆発した。彼のスーパーヴァイザーは「君は馬鹿だ、もう俺はやめた、ここを出てゆけ」とどなった。と同時に、この学生は立ち上がって役の胸ぐらをつかんで、「なにお!」とどなった。グループのメンバーはいっせいに、「それだ、君よくやった。ついに、君の言っていることと、やっていることが一致した」といって喜んだ。愛することしかできなくて、憎むことを知らなかった学生は、今自由に憎むことも、愛することもできる自由な状態になったのである。長い間、彼の中に組織され、彼を束縛していた「憎むことへの禁止」が解除されたのである。この自由が得られたとき彼の愛が本物となる。愛することしかできない不自由の上にたつ愛ではなくて、自由の上にたつ愛である。
なぜこのように感情の表現の自由が必要かといえば、学生の問題は直ちに患者との関係に影響されるからである。学生が「憎悪」に対処する能力がないと患者が直観的に悟れば、患者のいっさいの否定的感情は表現できないし、たとえ表現されても学生によって受け取られないという現象が起こるからである。患者が何をいっても、「大丈夫ですよ。今にきっとなおりますよ」としか答えられないようでは、もう一歩深い病人の病にたいする否定的感情は理解できないし、そしてこの答えは理解することを拒否していることすら表わしている。キリスト教は単に希望を与える宗教であるということを浅薄に理解して、現実を直視できず、したがってその中に働いている神の救いの力を理解できないという場合が多い。このような既成の概念を打ち破ってより深い人間理解へと指導され、進んでゆくのである。
第三に、この牧会臨床訓練は実験的経験をとおして行なわれる教育であるという特徴をもっている。医師は解剖学を学ぶ、人体組織の細部に至るまでの知識は絶対的に必要である。しかし、どのようなこれらの知識も手術に際してはほとんど役にたたない。生きた人間、しかも個性をもった人間の手術を行なうとき、どこまでも解剖学の知識は一般的知識であって、最後の個々についての決定は、一つ一つ医師の判断にゆだねられている。具体的、個別的、総合的な医師の判断によって処理されるのである。この判断力は彼の過去の実験的な経験から生まれたものである。何回もの同じような条件、しかも微細な点ではあらゆる場合ちがっている一つ一つの手術をとおして得られたものである。それと同様に、牧会という魂への配慮の仕方も、臨床的な体験をとおしてはじめて得られるのであって、単なる読書、講義では得られるものではない。奇型児を産んだ母親にたいする牧会、死に臨む人間にたいする牧会、人工中絶の罪意識に悩む婦人への牧会、交通事故で死亡した父の死を悲しむ残された家族にたいする牧会、それぞれ特有なもので、一定の公式はなく、まず経験させられ、それが何よりの教育であるという性質のものである。牧会とは本来、非常にリアル(現実的)なものである。そしてひとりひとりの顔が異なるように状況も相違し、この牧会の奥義を習得するには臨床的習得方法しか存在しない。しかしながら、これを実験的とよぶと、われわれは確かに抵抗を感ずる。人間を実験台として技術を習得してよいであろうかと。もちろん、この点、臨床訓練において人間を手段として取り扱うことは厳に戒められねばならないことは当然であって、いささかも人間の尊厳は犯されてはならない。しかし、同時に、どこまでも実験的でなければ進歩はない。真実の状況に身をおきつつ、失敗も犯しつつ、次第に苦悩と後悔の中でより適切な牧会が体得されてゆくのである。再び、むだな失敗は繰り返さないように研究と指導が要請されているのである。ビリンスキー博士は「牧会臨床訓練の最も良き教師は患者である」といっている。
四
この牧会臨床訓練教育の歴史は、アメリカにおいても比較的新しく、急速に発展をみせたのは第二次世界大戦以後のことである。最初にこの教育が開始されたのは、1924年のことであり、リチヤード・カボットのユニオン神学校および聖公会神学校でなされた彼の講演がきっかけとなって、翌一九二五年にアントン・ボイセンがマサチュセッツ州ウースター市の州立精神病院に最初の牧師としての職が与えられ、彼によって、この当時アンドーヴァー.ニュートン神学校教授であったカボット教授の指導によって、同校の4名の学生を受け入れて創設されたのである。この4名の学生のうちのひとりであるオースチン・P・ガイルスによって臨床訓練連盟(The Councel of Clinical Training)ができ、彼はその後、1930年より、長い間同校教授およびポストン市立病院牧師としてその指導に当たった。戦後は、ビリンスキー教授のもとに著しい発展がなされ幾多の病院、施設において、牧会臨床訓練がなされている。現在、1965年の雑誌「牧会心理学」の1月号によると、短期間の訓練センターは全米で85か所、修士号および博士号のために研究できる場所、40か所、それに臨床訓練連盟所属のもの、南パプテスト連盟所属のもの、ルーテル教会所属のもの、それにパストラル・ケア協会所属のもの合計約300か所を越えるセンターが挙げられる程の盛況である。
最初から、病院と教会、それに神学校の三者の協働によって次第に発展してきた教育であって、今日も多くのアメリカの神学校において少なくともひと夏12週間の訓練は、必修課目として復習させている学校が多い。訓練の場所は一般病院、精神病院、非行青少年の施設などの各種の場所が提供されている。スーパーヴァイザーの資格の規準、教育は、現在は主として、パストラル・ケアー協会(Institute of Pastoral Care)が当たり、病院、神学校、教会の三者はこの協会をとおして協力しあっている。訓練の対象は主としてすでに牧会に従事している牧師および神学校の在学生である。期間は短期間のもあり、毎週一定の曜日に通うものもあるが、主体となっているのは12週間、または6週間のプログラムである。
わが国においても、この訓練の必要性は考えられてきたが、最近に至るまで機は熟さなかった。東京神学大学のブラウニング博士、元京都バプテスト病院牧師ブラッドショー氏などを中心に研究が進められてはいたが、一般的な関心は得られなかった。その後、アメリカにおいてこの分野の研究をして帰朝された東神大の三永恭平、青山学院の気仙三一、日本バプテスト連盟の近藤裕の諸氏に小生が加わって1953年2月に日本牧会カウンセリング研究会が現日本聖書協会総主事の宮内俊三氏を会長として発足した。これが、まず東京で超教派、超神学校的存在として、相互の協力で活動が開始され、のちに日本牧会カウンセリング協会と改称して、牧会臨床訓練を目指したのである。1964年3月、ちょうど日本基督教団の招きによって訪問教授として来日されたポストン大学教授ポール・ジョンソン氏の指導を得て、日本における最初の牧会臨床訓練が京都パプテスト病院にて一週間にわたって開催された。前記の諸氏のほかに聖公会ウィリアムス神学館の山田譲、日本バプテスト連盟ブラッドショーの諸氏がスーパーヴァイザーとして任にあたった。プログラムとしてはまだ不完全な状態ではあったが、受講者は47名、講師22名、合計69名の参加をえたのであった。
その後、日本カウンセリング協会は研究会をかさね、関東部会のほかに新たに帰朝された東神戸教会牧師、西垣二一、大阪キリスト教短大、山崎光夫の両氏等の指導で関西部会(部会長西原勇牧師)が1964年に活動を開始した。将来、日本においても、この日本牧会カウンセリング協会の指導のもとに、またこれまで全国的に組織されている教団病床伝道委員会を中心として次第に牧会臨床調練が回を重ねて、研究と教育の成果があげられることが望まれている。とくにアメリカの事情と比較してさまざまの特殊な問題をかかえてはいるが、将来、この分野は発展してゆくと考えられる。現在、考えられる諸点を挙げてみると次のとおりである。
第一に、日本においてはキリスト教主義病院の数が非常に少ないことが、まず注目される。日本の教会は医療についての十分な認識がなく、設備のよい、しかも、キリスト教主義の病院の建設に十分に努力してこなかった。今日、教会の業として病院をとおしてのいやしが再認識されるときがきていると考える。
第二にその数の中で牧師を専任に任命している病院の数はその上少ない。しかも、この方々に適切な訓練が受ける機会がないという状態である。そして、病院における牧会の業が十分に検討されていない。とくに、仏教徒も神道、新興宗教の信者たちも入院してくる場合の問題が考えられていない。
第三に医師、その他の専門家との協力が考えられていない。日本においては専門化の傾向が強く、人間中心、患者中心の病院の原則が十分に確立しておらず、病院全体としての患者への接近が考慮されていない。日本の医学が人間を魂と肉体と分離して、肉体を客体として取り扱う傾向が強いとき、統一的人格をもったという人間の観点からの治療が考えられ、奨励されてよいと思う。この点、キリスト教病院はモデルとなってゆくべきであろう。また、精神病院の数が少なく、社会的な問題として非常に立ち遅れを感ぜざるをえない。教会は精神病にたいする正確な知識をもつと同時に、奉仕者たちのグループが組織され、協力することが望ましい。この点一日も早く精神病院での牧会臨床訓練が設置されるように希望し、これによって訓練を受けた牧師、神学生の貢献が望まれる。
第四に、現在の日本の神学が他の隣接諸科学の成果にたいして十分に自分を開いて研究、発展せしめられるべきであろう。とくに神学が教理、教義というレベルではなくて、日本の国民一般のもつ宗教心、あるいは「信仰」というものへの十分な理解が深められ、それによって独自の牧会学が発展せしめられ、一般の人々が容易にその恩恵に浴せられるように計られねばならない。キリスト教徒への牧会から非キリスト教徒への牧会が問題となってくるであろう。
以上が日本のこれからの牧会臨床訓練に与えられるであろう課題であるが、一応これまで説明した、主としてアメリカにおいて過去四〇年間発展してきたこの特殊な教育の成果をふまえて、さらに日本における独自の発展が計られるように望む次第である。このためにはキリスト教主義病院、教会、神学校が相互に協力しつつ、日本牧会カウンセリング協会を中心として、従来、活動してきた教団病床伝道委員会も次第に発展させ、教団以外の教派の牧会者にも門戸を開きつつ、牧会臨床訓練が充実されるよう期待している。 (1966年 「病む人と共に――牧会臨床カウンセリング」 発行所:日本基督教団出版部)
参考文献
(1)樋口 和彦 「Pastoral Clinical Training Education について」「基督教研究」第33号巻第3号 昭和39年1月
(2)"Opportunities for Study, Training, and Experience in Pastoral Psychology - 1965", Pastoral Psychology, Jan. 1965, vo1. 15, No. 150.
(3)Klink, Thomas W. , "Pastoral Problems in the Psychiatric Hospital", The Journal of Pastoral Care, Spring 1961, vo1.ⅩⅤ, No.1.
(4) Institute of Pastoral Care ed. , Clinical Pastoral Education. 1959年秋 Chaplain Super visors 会議の報告書
(5) Advisory Committee on Clinical Pastoral Education, Trends in clinical Pastoral Education-Objectives, Methods, Standards. Seventh National Conference on Clinical Pastoral Education の資料集
(6)Institude of Pastoral Care ed. , Objectives of Clinical Training 1960年秋の会議の報告書
(7) Hofmann, Hans ed. ,The Ministry and Mental Health, Association Press, New York, 1960.