「臨床牧会訓練について」
1984年6月30日(土)
日本キリスト教団松山教会にて
松山べテル病院後援会主催
松山べテル病院 第一回講演会にお招きをいただきまして、最初の講演者となれることを光栄に思います。お役に立つかどうか分かりませんが、初日は、特に病院に関係されている専門家の方々、お医者さん、看護婦さん、栄養士さん、ケースワーカー、宗教に関わっている方々を対象にということで、そのようなお話をしたいと思います。
講演の題名は、臨床牧会訓練(パストラルクリニカルトレーニング)です。私が訳したわけで、日本ではまだ一般化していませんので、みなさんはこれがどういうものかご存じないと思います。「訓練」というと今時は流行らない言葉で、若い人たちは抵抗があるかもしれませんが、私はあえて「トレーニング」を「教育」ではなく「訓練」と訳したわけです。
先ほどのご紹介にありましたように、私は神学校で教えています。神学部は将来の牧師を養成するところです。牧師という一種の専門家をどのように養成するか、その養成のための方法として、一つの訓練をしており、それは実際に病院という場で行っています。
その場所とは、京都にある「日本バプテスト病院」です。南バプテスト派という人たちが作られた病院で、北白川のきれいな高台の上に建っている、キリスト教主義の病院です。そこに、同志社の神学部の大学院のコースをもっていき、学生たちと共に、近隣の牧師を中心とした牧師さんたち、看護婦さんたち、若いお医者さんたちなどが、随時出席して下さっています。
そこは学校ではなく、病院です。私も自転車で金曜日に坂をのぼって病院にいきます。学生たちもくるわけです。なぜ、そういう教育や訓練が病院でなされるかと申しますと、ここは、人間が悩むところ、苦しむところ、そしてそこで魂が訓練される場所であるからです。もちろん、学校もそういう場所ではありますが、病院ほど具体的にそのようなことが起こることはないのです。そのような緊急な場所に身をおくことが大切なのです。
ここで、宗教と医学がどういう関係をもってきたかということを話します。宗教と医学というのは、ちょうど一卵性双生児のようなものだと思っています。もともとは一つの母体からでたものです。例えば、イエスさまの時代、古代、中世には、宗教家と医者すなわち癒すものは、同じ人がやっていました。医師というのは、同時に聖職者であったわけです。
しかし現在は分かれています。病院は体を直すところ。そこに宗教はタッチしないことになっています。医学と宗教は全く分けているのです。私たちはまずそのことから始めなければならないと思っています。分離していることが好ましい面、一方で好ましからざる面という、両方の要素があるわけです。近代医学では、両方が分かれているというのが、正規の状態です。決して私たちはもう一度病院の中で直接的に宗教を持ち込もうとしているのではないし、また、それをしてはならないと思っています。
例えば、私は訓練の中で、学生さんたちに訪問してもらいますと、患者さんからいろいろなことを頼まれるわけです。「自分の病気が治らないがどうしたらいいだろう」とか「この病院はよくないから、他を紹介してくれ」とか、そうすると、信仰が厚い人は「あなたは信仰がたりない。もっといい先生の紹介しよう」「もっといい先生を連れてきてあげよう」と、外部から人を呼び込むことになってしまいます。そうすると病院は迷惑します。医師の指示によらず、他の治療がなされるということは違反でありますし、そういうことは困るわけです。ですから今日の近代病院は、宗教家が病院の中に出入りし、宗教的確信をもって宗教的行為を行うと言うことを、非常に嫌がります。嫌がるばかりか、はっきり禁止しなくてはなりません。患者に悪い影響を及ぼすわけです。そのように、日本の在来の宗教、神道、仏教であろうがキリスト教であろうが、分離されています。
イエスさまは、病める人を癒すために近づかれたわけですが、現代の牧師さんは、どのくらい教会員をお見舞いしているでしょうか。教会では様々なことに忙しくて、病人を一人ひとり訪ねることに割く時間は少ないと思います。また行っても何をしたらいいのか、形式的にお祈りをするか、家庭から何かを届けるか、伝言をするとか、という程度のことであると思います。ましてや、仏教のお坊さんが、病院の中で衣を着てノコノコ訪問したら、病人は、それを見ただけで「帰って下さい。あなたの出番はまだです」と言うことでしょう。宗教は、葬式などの儀式の執行者になります。人間が生命の危機に陥る大事な時に、縁起でもない、ということになってしまうわけです。
カトリックは、終油(しゅうゆ)という、秘跡をもっています。我々プロテスタントでは認めておらず、聖礼典としては洗礼と聖餐の2つだけです。終油とは、文字通り、終わりの油です。聖書の中にあるように、オリーブ油を額につけて、永遠の命に入るように祈るということです。この秘跡をあずかると、永遠の生命を与えられるということになります。だからカトリックの神父さんは、このために必ず、信徒さんが亡くなる前に立ち会わなければならないわけです。でも実際問題として、それを実行するのは非常に難しいのです。人間、いつ死ぬかはわからないのですから、忙しい神父さんが呼ばれて行ったときには間に合わず、秘跡をあずからないまま死んでいたということもあります。それについてはいろいろな論争があり、複雑なこともありましたが。でもそれを予防しようとして、あまり早くに終油をやりすぎて生き返り、さらにその人がその後に大罪を犯したなんていうことになれば、永遠の生命を保証したのにどうしたことかと、困るわけです。このように、本当にいい時に立ち会うのは、実際には難しいことです。そのため、カトリックでは、実際上の定めがあるのですが。それはどうであっても私はよいと思います。問題は、聖職者が、人間の大切な時間に立ち会うということ、それは大切だと思います。
あるところに書いたことがあるのですが、人間は、死期が近づいて、いよいよ死ぬことになると、どんな人も宗教的な時間を持つわけです。例え短くても。むしろ、非宗教的な時間を送ってきた人ほど、宗教的な課題に直面するわけです。その時に死の準備をさせるというのは、とても大切なことです。そのような場面でするべきことについて、我々が受けた在来の神学教育というのは、「教義的に正しい天国とか永遠の生命などを信じさせて、永遠の生命を得させる」というやりかたです。でも、実際にその場にいっても、その人はすでに言語の機能が侵されていたり、脳の意識がかなり不明瞭になっていたりする場合もあり、「その人と天国論争をした末に信じさせる」という余裕はないわけです。
私は、例えその余裕があったとしても、そういうことをしてなんとか「天国に入れさせる」ということではないと思います。大切なのは、「その人に聖職者が仕えるということで、愛を表していく」ということだと思うのです。ちょうどイエスさまが、人々の元にでかけて行って、論争を挑むことなく、愛の行為を通して愛を教えられたように、です。
そのような考えに基づいて、我々が聖職者としての行いを反省してまいりますと、実際には、人のためになるとか、人の手助けをしているどころか、人の悩みを深くしたり、人の罪悪感をなお深くさせたり、苦しみを加えたりしているという事実を知ります。本当にその人の信仰の状態にまで下っていって、助けていることにはならない、ということがわかります。
従ってまずは聖職者から、臨床牧会訓練をうけなくてはならないと思い、病院という場所にまずは行き、病める人を訪ねるわけです。その人が何を信じていようと、その人が我々を受け入れようと拒否しようと、その人に近づくこと、なのです。
病院における学生たちの大きな仕事は、病人を訪ねることです。われわれ聖職者は普段、人に受け入れられること、尊敬されることが前提になっています。実際はあまり尊敬されていなくても、歓迎されていなくても、そう思っているのです。そう思って仕事をしているわけです。ところが、病院というところは、誰も宗教を勉強するために来ているわけではありません。だから、宗教家がいくと「あなたは何のためにきた」「なんで私のところへくるのか」「もう来ないでくれ」などと言われます。
また、病気にはいつも、痛みや苦痛がつきものです。苦痛や痛みというのは、人間を現在に縛り付けてしまうのですね。それ以外のことは何も考えられなくなるのです。そのバプテスト病院も、東山の美しい環境の中にあるのですが、多くの患者さんは、窓の外に花や木が茂っているとか、そんなことはぜんぜん知りません。痛みがあれば、そこにそのことだけに束縛されてしまっています。病というのは一種の束縛です。自分を部分化すること、全体が見えなくなってしまうのです。
そのような時には、お医者さんや、看護婦さんですら拒否されるようなことがあるわけです。そのくらい、苦痛や痛みは激しいこともある中で、そんな中で牧師が近づくということは、もってのほかです。「もうけっこう。もっと治って余裕があれば、あなたの話がききたい。こんな時に人と話すのもいやです」というのです。でもこれが本当の人間の姿。どんな立派な人でも、死に直面した時、苦痛に直面した時。それが実体です。
この臨床牧会訓練を最初に私がうけたのは、ボストンの私立病院でした。その次はマサチューセッツの州立精神病院に参りました。全体で12週間ある臨床牧会訓練の最初の2週間は、オーダリー言って、看護婦さんの下で助手として働きます。オーダリーならば、未経験でも使ってもらえるのです。手術室で下働きをしたり、検温したり、便器をもっていったり。その間は牧師であることを隠して働きます。オーダリーをやっているのは、だいたいイタリアの人とか、移民の方々が多く、その人たちと一緒に、まず2週間やるわけです。私は日本でもこのような体験をぜひやりたいと思っているのですが。そこで何を勉強するかというと、生の人間の叫び声を聞くのです。嘔吐しそうなときに「早くバケツを」とか、「早く便所へかかえていってくれ」とか、様々な呪いの言葉を聞くのです。祝福の言葉とは正反対です。英語にはたくさんそういう言葉があります。そういう言葉が生にはいってくるのです。普通は経験しないことです。人間の本当の姿を直接的に経験するのです。
2週間すぎると、別の病棟に移り、チャップレンとして行くわけです。こういう風に、本当の人間の状態をまず知るということ。そういう人間の赤裸々な状態の中で、本当の福音、「イエスさまが地上にいらっしゃるならば、何をなさるのだろうか? 手を伸べるのであれば、あなたの手で愛が伝わるか? あるいは、逆に私の恐怖が向うに伝わってしまうか? それが本当にできるのか、できないのか?」を学ぶのです。
ここに、医学と宗教はもう一度結び合わさる、双子として生まれたものが、長い苦労ののちに、幸福な再会をするわけです。
片割れである医学の方も、長い間一人でやってきました。最近は心身症の患者さんの問題があります。どこを検査しても問題なく大丈夫。でも本人は「私には病気がある」と言い張る。そういう患者さんもいらっしゃいます。あるお医者さんが心身症に目が開かれていった経緯はこうでした。その人は患者さんに良かれと思い、最高の医療技術を提供し、最高の検査をして、その結果「あなたはもう病気ではありません」伝えたのに、患者さんは喜ばなかったのです。それどころか「先生 私はまだ病気です」と言い張ったのです。そういう時にどうするかという医学の限界という問題があります。
それから、ターミナルケアという問題もあります。死期が近づいてきた時に、どういうことができるだろうか。現在の医学は、生の医学。死を組み込んでいません。質ではなく量だけの生を長くするのです。でも、医学は悲劇です。なぜなら人間はみんな死ぬから、必ず最後には、医者のうちの誰か看取らねばなりません。人が死ねば、どれだけ一生懸命尽しても、最後に失望感、喪失感、空虚感が残ります。そういう意味では医学とは、最後に失敗する学問です。
しかしそれを超えて、もう一つ次元の深い視点で医学を見ていかなくてはならないのです。例えば、死の後の世界を組み込みながら、最後が死で終わろうとも、同じような努力をずーっと続けていく。放棄するのでなく、結果の如何にかかわらずなしていくことができるか。それからまた、ホスピスの運動のように、病院で最新の生命を維持する装置を備えることに多額の費用をかける道ではなく、人間的な交わりを保証しながら、尊厳性をもって人間としての死を迎えるためには、どういう医療者を訓練していくかという問題がでてきます。
次に、バイオエセィックスといいますか、医療の発達により、脳死の問題、臓器移植の問題もあります。Aという人の臓器をBの中に移植する時に、誰が誰を選び、判断するのか。移植されていくときに、どのような儀式と手立てが必要か。その時に生命の質が問題になります。そういう新しい問題が出てまいります。
それから、人工中絶に伴う様々な問題。最近は生まれる前に、男か女かが分かるようになりましたし、生まれる前に胎児が奇形である場合は、胎児に対して手術ができるようになっています。生まれる前に治療することもできるようになってきているわけです。それをした場合、しない場合、様々な問題がでてきます。そういうものは、技術がすすんでいないときは問題でなかったのに、医学は、肉体だけを扱うのではなく、よりよい人間生活の質はなにか、ただ生物学的に生きているだけではなく、人間として生き生きと生きているという質。どこにクライテリアをおき、誰が判断するかという問題が出てくるのです。
したがって、今、医学部に倫理委員会が設けられる場合もありますし、病院で作る場合もあり、標準や倫理規定を作るなど暫定的な処置が下されるようになっています。そこでまた宗教と医学が接点を持ち始めており、次第にその交渉が盛んになってきているところです。私も臓器移植学会に、宗教家として、脳死の問題などに関わっていますし、委託研究ということで、ディスカッションなどにも入っておりますが。その問題について、ご質問があれば深く話したいところです。そのように、両方がから歩み寄って交渉がはじまったところです。
次に、病院の中でどういうことがおこっているかを話します。
病院の中の牧師であるチャップレン。私は以前に医学書院というところから出ている雑誌「Medecina」に「全人的医療と宗教の接点 病院チャップレン(1979年)」や、メディカルフレンド社の「看護展望 医学と宗教の接点」などで書いてきましたが、チャップレンというのは、日本では大変珍しいものです。欧米、特にアメリカではどの病院でも、チャップレンがおります。プロテスタント、カトリック、ユダヤ教のラバイ どれもいます。小さな病院でも一人はいます。日本では、ご存じのように、西洋医学が入ってきた時に、外科的な医学技術と、内科的な薬の調合だけが選ばれて、メディカルケアという面は落とされてしまいました。本来、メディスンではなく、メディカルケアが医学の中心であったのですが。例えばホスピタル というのは、もともと修道院から発達したものです。3世紀、4世紀から中世を通して、修道院の外で赤ん坊が捨てられたり、病人が行き倒れたりして、修道院の中に運び入れて看護するのです。だから、女性の看護の意味合いが強く、そこに医者がきて専門的なアドバイスをするというスタイルで発達してきたのです。つまり医学と宗教は一致していたのです。そういう伝統があって、どの病院にもチャップレンがいたわけです。
日本では、健康保険制度があるので、チャップレンをおく余裕がなく、おいているところがありませんし、そもそもキリスト教主義の病院というのが少ないのです。だから、京都の日本バプテスト病院は珍しい病院の一つであり、淀川キリスト教病院や、聖路加病院なども、全国的には例外です。
アメリカでチャプレンのない病院は、人間を物質的に扱う悪い病院だと思えばよいわけです。ある有名で立派な病院で、知人がひどい仕打ちを受けたと言っていました。盲腸の手術をする前に幹部にマーキュロを塗られた状態で、廊下に3時間放っておかれたというのです。そこで手術の順番を待っていたのです。その手続きに間違いはなく、待った末にちゃんと手術はしてもらったのですが、その人は「先生、待たされて、どれほど辛かったか、想像できますか。ちゃんとやってもらったから文句はないですが、3時間はしんどかったです」とおっしゃっていました。それはまさに物質として扱われていたわけで、病院としては好ましくありません。
一方、私の同僚である神学部の教授が、がんを二回手術しているのですが、二回目の手術の前に手術室で、看護婦さんもお医者さんもみんなでお祈りをされたそうです。それも、祈るのは必ずお医者さんというわけではなく、その時は看護学校の学生がその役目をつとめたそうです。その人は「これからの手術に対して神の加護を受けようとする医療者の態度により、どれだけ私が安心したか」と言っておられました。これこそよい病院です。そこに違いがあるわけです。
でも、牧師が病院にいけば、それでチャップレンが勤まるかというと、私はそうではないと思います。そこで私は病院の中の牧会臨床訓練において、これから牧会にでる大学院の学生たちを教えているわけです。
そこではまず、コースの先生、ディレクターがつきます。しかし最も大きな先生は、患者さんです。患者さんから多くを習います。このコースは、「ノンストラクチュアルエデュケーション(非組織的、非構造的訓練)」となっていて、生徒たちは自由です。毎週金曜の3時~5時、来た学生はまずお茶を飲んでいます。なぜお茶を飲むか。ちゃんと飲めるようになると一人前なんですが。最初は飲めないんです。その時間は病室にいる担当の患者さんのところ訪問するわけですが、時には行っても、その人にお見舞いの人が訪れていたり、重篤であったり様々な場合があります。また、祈りの呼吸が整っていない場合は、お茶を飲んでいなくちゃしょうがないというわけです。人によっては礼拝堂で祈っている場合もあります。それを見ているスーパーバイザーに「おまえ、なんで今日は行かないのか」と言われ、病室にも行けず、帰ってくることもできず、廊下でうろうろしている人もいます。
また様々な講義や実習があります。お医者さんやソーシャルケースワーカーによる講義、また栄養士さんによる「どのように配慮して食事を作っているか」という講義や、ベッドメーキングの実習もあります。一番効率よくきっちりとメッドメイクをする方法です。これは役に立ちます。それによって、看護婦さんがどういう仕事をしているかが、よく分かるわけです。
それから一番大変なのは、面接から帰ってきて、「逐語録」というレポートを書くことです。二部作り、一部はスーパーバイザーに提出します。それを元に、面接がどうであったか、一人ひとり、あるいはグループの中で、教えられるわけです。祈らなくてもいいときに祈ってしまったとか。祈ってほしいときに、天気の話をしてしまって、せっかくの宗教的な時間を無駄にしてしまったとか。
あるいは一番つらいのは、行ってみると担当の患者さんがベッドにはいらっしゃらなかった、すなわち死んでしまったという時です。そういうことは、決して学校では起こりません。自分が先週話したことが、その人にとっては最後だったということになるのです。病院には、70歳の人、80歳の人、立派な学者の方や、貧しい方、様々です。その人の最後に立ち会うわけです。行って、もういらっしゃらなかったとき、自分は本当にあれで良かったのだろうかと、反省するのです。すなわち、この訓練というのは、非常に集中的です。エクステンシブです。またもう一つには、実験的です。いくら訓練とはいえ、お芝居ではなく、生身の患者さんです。患者さんの拒絶もあるわけです。真剣勝負の中で、心を開いていただいて、入っていくことができるかどうか、ということです。
最初の「臨床(クリニカル)」という言葉ですが、クリニカルな学問というのは、いろいろあります。医学、看護学、臨床心理学。神学も私はクリニカルでなければならないと思います。そのクリニカルの教育に一番大切なのは、スーパーバイズを受けるということです。これが、日本では一番発達していないことです。私の訓練は二重になっていて、一般の人たちを受講生として教えるのですが、もう一つは、その人たちを教える方法を教えるわけです。スーパーバイズの方法を教えるわけです。
もしも皆様がご興味をもって実験したいと思われるのであれば、どこに重点をおくか、それはいいスーパーバイザーを置くことです。看護教育でも同じです。いい看護教育のスーパーバイザーを持っているかが重要です。アメリカでも、いい病院というのは、必ずしもよい設備があるというだけではなく、病院が治療と教育の両方をやっているのがよい病院なのです。たくさんの若いお医者さんたちが訓練を受けている、そこにいることによって訓練を受けるという病院。バプテスト病院は、すでに相当古くなり、医学的にレベルが高いとは思いませんし、設備がよいとも思いません。しかし、院長先生ともいろいろな形で一緒に病院のことを考えているのですが、どのような分野のプロでも、その病院にくれば一流のプロになることができる、それが実現できるならば、いい病院であると言えるのではないでしょうか。
そのためには、一人一人各自が自分のプロフェッションが最高、絶対なものだと考えずに、他の人たちと協力して、病院全体がヒーリングコミュニティー、癒しの共同体となることが理想なのです。
ここで、チャプレンが重要な役割を果たすわけです。一つだけエピソードをいいます。バプテスト病院の裏が山になっているんですが。ある時見ますと、木に、誰かがぶらさがっているわけです。首つりをしているわけですね。それがみんなから見えるのですよ。面白いのは、例えば4階なら4階、外科病棟なら外科病棟。婦長さんはぱっとみて、自分の患者さんをずーっと確かめて「みんないる」となると、平気な顔をしているのです。みんなそれぞれが自分の担当をチェックして「うちじゃない」ということが分かり、結局後で調べたら、他からはいってきて首をつったということが分かったのですが。どうして病院のそばでやったのかわかりませんけれども。その時の思ったのは、各プロフェッションは、自分の守備範囲があり、そこは守るわけです。みんなそれぞれそこでは優秀な専門家ですが、それ以外のことは、手を出そうとしないわけです。
そのような中で、出て行ったのはチャップレンでした。下ろして、あちこちに手配して、引き取ってもらうなどをしたわけです。それがチャップレンの仕事と言えるかどうかは分かりませんが、要するに、誰もやらない仕事です。
また、病院は山間にあるので、冬になると雪が降り、自動車で来る人はスリップして動かなくことがあるのですが、そういう時も電話がかかるのはチャップレン室です。出て行って一緒に車を押すことも、チャップレンの仕事なのです。
つまり何が言いたいかというと、それこそ、病院が一つの共同体として、一つの体のように組織されている姿だということです。お医者さんを中心として、あくまでも科学的合理的な手立てをとりながら、さらにその上で、あたかも一つの体のようにまとまるということ。それはまるでイエスさまのが立ちたもうているような姿です。
考えてみると、病気というのは、困る時になります。「子どもがまだ小さいのに」とか「旅行をしようと思っていたのに」とか、そういう時です。入院されてきた方にきくと「なんで私は病気になったのだろう」とおっしゃいます。医学では、「なぜなったか」という説明はできます。「菌がここに入ったからです」というように。しかし、「なぜ隣の人ではなく、私なのか」という質問には答えられないのです。「なぜ悪いあいつではなく、よいことをしていた私なのか」という問いには無力なのです。
病気をした人に次に起こってくるのは、罪責感です。「自分の体を粗末にしなければよかった」「あの人の忠告をきけばよかった」という、あらゆる罪責感です。その人は何もいいません。言っても仕方がありませんから。しかし患者さんは無言で「自分はどうでもよい」という態度になっていきます。急にやる気をなくし、生きがいがなくなり、「生きる意味がない」という状態に陥るのです。
このように医学が行き詰ったときにこそ、癒しのコミュニティーとしての病院は、始まるわけです。それでも生きる意味があるのだということ。それでもイエスさまはあなたを愛しているし、あなたのために今も血を流し、今も十字架にかかっている。そしてあなたの罪は救われるし、あなたは生きて行く価値がある、ということを教えていくのです。どうやって教えていくか。個人の面接、あるいは礼拝堂で、あるいは牧師室から流れてくる音楽や説教、証を通してなされるのです。
ひとつの例をお話します。ある若い奥さんが人工中絶をなさって入院されていました。その方が夜中にお便所にいったら、医学的には絶対にありえないことなのですが、足が出て来たというのです。赤ちゃんの足がでてきた、と。そして「私は赤ん坊を殺した」とパニック状態になったわけです。私はその人の夫を知っていましたので、呼ばれていって、奥さんと一緒にチャペルでお祈りをし、罪の許しを願ったわけです。この時私は、「人間には、礼拝、祈り、謝罪を受けるということは必要だ」と思いました。これを「そんなはずはない。ありえない。あなたのまちがいだ」というのではなく、一緒に罪を懺悔すること。許しを得るということ。それがどんなに大切なことであるかを強く感じたのです。その方にはその後元気でかわいいお子さんがうまれて、今クリスチャンとして働いておられます。
私は日本中の病院が、そういう風にならないかな、と思っています。私のグループには、仏教の方も一人おられました。仏教の方でチャップレンの仕事をしたいという人があれば、訓練をして差し上げたいと思っています。私たちクリスチャンが、仏教のチャップレンに助けてもらうことがあるかもしれませんし、逆にお助けすることもあるでしょう。私たちはクリスチャンとしてキリスト教の信仰に基づき、信仰の愛の表現を行うというだけでありまして、相手がそれによって、どういう風に信仰生活を深めていくかということは、その人に委ねていくしかないのです。
ひとつだけ面白い話をして終わりにしたいと思います。ある患者さんは、京都の有名な企業の一人息子さんでした。三十歳を過ぎたくらいの若い人で、がんの患者さんでした。この人の枕元に「白い巨塔」があり、いつも訴訟の勉強をしているわけです。この方は自分の病状を知っていて、これはお医者さんのミスによって手遅れになったためだと信じているのです。看護婦さんに対しても態度が悪く、看護婦さんも困っておられて、ケースカンファレンスなどもしていました。お医者さんには明らかな態度はとらないのですが。病院ではお医者さんもクリスチャンですし、まわりはみんなクリスチャンなのですが、彼にとってはキリスト教は全部拒否なんですね。お父さんお母さんは、見ていられないほどお気の毒でした。訪問する時、お二人で自動車で来られて、お父さんは車の中で待っていて、お母さんだけが病室に来られるのです。患者さんは自分のことよりも、お父さんとお母さんが自分が死んだ後にどうなるのか、ということばかり心配していました。自分のことは言わないのです。孝行な息子さんでした。
さて、出番はこの仏教徒の仲間でした。この人はあまりに我々と一緒にいたので、クリスチャン的になっていて、よろめいて、こっちにきそうになるのを押し返して行かせたんです。その患者さんは、いかにキリスト教が悪いかということを言うわけです。彼は「本当にそうだ」と同調しながら体をさすったりして、唯一彼との関係を保つことができたのです。その後、その方は亡くなられましたけれど、お母さんが病院を去って行かれる時に、「私が最期を迎えるときは、この病院に入院させていただきたい」とおっしゃいました。そこで、我々は報いられたという気持ちになりました。
我々は、自分の信仰をどう生かし、どう人に伝えていくことができるでしょうか。それはキリスト教を守るということではなく、イエスさまにならって、イエス様が行われたそのことを、例え百分の一でも、千分の一でも、一万分の一でも行うことができるか、ということなのです。なぜならば、我々はイエスキリストから非常に大きな恵みを受けているからです。こういう人間こそ、それができるはずだと信じることです。全部ができなくても、どこか一部分でも、できるところがあるはずだと信じるのです。
私はやがて、日本全国の病院にチャップレンがおられるような時がきてほしいと思いまして、このように機会があればご紹介しているのです。だんだん、いつの時かそうなっていくのではないかと思います。四国でもまた、この病院がこういう方向に進んでいきますと、影響がいろいろなところに現れてきて、全人的に医療するところが次第に増えてくればと思っています。
これで私の話を終わらせていただきます。