「死の教育」はなぜ必要か

生の歪みを問い直すために

(1987年 9月14日 サンケイ新聞)

 

 日本の昔話の多くには、お話しの中で猿がいよいよ自殺しなければならないとき、辞世の歌を詠むのだときかされて驚いたことがある.猿でもそうなら、昔の人は死に対してかなりの準備を日頃から心がけていたに違いない。

 

□死を否定した文化

 ところが現代人はどうだろう。この自分を含めて全くないのが現状であろう.死はやがてくるのだろうけど、来た時は意識はないのだから、私の経験しない何かであって、それまではとにかく精一杯楽しんでおこうというのが大方の人々の考え方であろう。

 つまり、意識においては死を否定した文化に取りまかれて生きているわけである。テレビや劇の中で死は出てくるが、これらは劇化され処理済みの死であって、実力をもって私に迫る一人称の死ではない。したがって、ないはずの「死」が突然、姿を現すと、準備がないから、人々は仰天し、どうしてよいか分からないというのが普通である。

 最近、ある病院でもっている私の神学部生のゼミで、葬儀社の方をお招きして講義をしていただいた。やがて牧師になる学生さんにはいろいろと有益だった.その中で、人は六十歳を過ぎたら、自分の一番よい顔の写真を一枚とって用意しておくとよいとの話があった.なぜかというと、どこの家でも八〇%はよい顔の写真を探して大騒ぎし、揚句の果てによれよれの小さな写真を延ばしてくれと言われて困ることがあると述懐されていた。 

 

□「死」を通してみた「生」

 

 このように、死はまだまだタプー視され、語られたり、教えられたりしない。死に関する情報は多量になり、専門化されているが、集中して整理されたり、研究されていない。まして、組織的に教育されていないのが現状である。昔は身近にあり、手で触れられるところに死があったが、家庭から病院へ、というように遠くなり、突然で、異様という形をとるに至った。今では死の臨床も、愚者にとっては医学的専門技術に取りまかれるけっこう忙しい時間になってしまった。 このような状態でよいのか、1970年代に入ってから、もう一度死の問題を直視し、そこから見えてくる、現代人の「生」の歪みをもう一度問題にしようという試みが、わが国でも起こってきた。「死の臨床研究会」が1978年4月に大坂で発足している。そして、今年の第六回医学会総会でも、「末期患者のターミナル」というテーマで医師以外の学者も加えて討論されるまでに至っている。

 

□科学の進歩の中で

 

 これらは、中世の「往生術」 (アルス・モリエンディ)や、「死学」 (タナトロジ-)などとしてすでに存在していた知恵に加えて、最近の科学技術の進歩に対応して、新しく課題として提出された脳死、安楽死、ホスピス大量死、エイズ、臓器移植などを自覚的に考えようという視点である。そして、これらに対する専門的論議ばかりではなく、それらの知識をどのように生涯教育化して、人間の発達のそれぞれの段階で、死の教育として子供から成人まで、教育がなされるかというのが目標である。子供に性教育の必要性が叫ばれて久しい。そして、このセックス・エデュケーションは今日では青少年にその知識なしに無事に成人するのは困難なようにみえるほどになった。これと同様に、今、子供が成人するのに正しい、それぞれの段階に応じた死に対する教育が必要とされているのである。

 早い話が、交通事故で一瞬のうちに両親を失い、子供だけが助かる場合もある。また、一家の支柱たる父親が癌で突然病む場合もあろう。そのような時、子供が自分の理解できる正確な知識で、死を教えられることがどれほど大切なことか。子供の質問が黙殺されたり、「速い所に旅に出た」式の嘘では、彼らの心の成長には役立たないし、時に害になる。

 

□″大きな死″の理解

 

 考えてみると、子供は子供なりに死を理解できるし、ある意味で大人より素直に、自然を受け入れる。金魚や小鳥も死ぬし、愛犬や家族の一員の死もある。けっこうそれなりに見廻してみると、小さい死が体験としてあるのである。それがどう自分の木きな死の理解に結びつけられ、より深い理解へと導かれていくだろうか。

 さらに、死を否定的側面からだけでなく、死の存在の積極的な面を教えようとする試みにもつながる。死を生きてこそ、生の意味がより鮮明にみえてくる。WH0でも医療の中の「生命の質」を問い始めた。日本でも臨床精神腫瘍学会を発足させ、死を通して教えられる価値観をも組み込みつつ、死と隣合せに生きる生を再考しようとしている。