「もったいない」
1990年12月20日 京都新聞 現代のことば
今から四十年も前に、私は外国人に日本語を教えた経験がある。近ごろは京都にもたくさんの外国人が滞在されて、そのため日本語の学校もあり、その教授法もさぞ発達して、優れて合理的、能率的な教え方になっていることであろう。 なにしろ、私が教えたのはまだ戦後まもないころで、生徒も外交官、教師、軍人、宣教師などで、ビジネスマンや留学生はまだわずかであった。その学校は、東京は渋谷の高台にあり、学生たちは「長沼スクール」 (現東京日本語学校)と呼んでいた。
それはそれは私にとって、楽しい経験で、今でも良く覚えている。当時はまだ日本語の本格的な教授法はなく、「これは ほんです」ではじまる長沼読本は戦前からあった唯一の組織的な教科書体系であった。普通の方で二年で、日常会話はもとより新聞も読めるようになった。私にはもっと日本語は難しく、到底外国人には無理だと思っていたので驚いた。事実、日本語の発音などは、諸外国語に比べて、それほど難しいものでもなく、勉強次第では、日本人より熟達者はすぐでることも分かった。
まず、私が学校で習った国文法という日本語文法はあまり役にたたなかった。「は」と「が」はどうちがいますか?「なぜ、バケツば一つでもバケツで、バケットといわないのですか」などである。考えて見ると、それまで、日本語を本気で外国人に教えた経験は日本人になかった。戦争中のように、力の強制で、教えたかもしれないか、人間のコミュニケーションの真の必要からではなかった。いまやっと、日本語に興味をもって学んでいただけることはうれしい限りである。
当時、私はとかく単調になりやすい語学の教授に苦心してみた。学生は、立派な成人であり、専門家であるので、子供扱いにしないという立場である。例えば、中にたばこの入ったマジック箱を教室にもっていって、「箱の中になにがありますか?」という問いに「たばこがあります」と答えると、箱を操作して「何もありません」という。そこで、相手との性格の読み合いとなって、真剣勝負になり、生徒も我を忘れて、肯定型、否定型を夢中になって覚えるという具合である。
毎年入ってくる新入生に無条件で十の文章をまず暗記させた。「これらは必要な時、字引を引く時間はありませんから」と言っておく。「おはよう、さよなら、ちょっと待ってください、危ない、貴女はきれいです、私はあなたが好きです」などと教えたものである。また「どうも、どうも」というのも、来日当座には便利な言葉で、なんでも切りぬけられる。結婚式に招待されても、葬式でも、「どうも、どうも・・・」といえばなんとかなる。今でも、外国の方が見えると、これを一つお教えして重宝がられている。
しかし、失敗もあった。「降らせたくないものですね」を、教えたことがある。後で、あれは本当はどういう意味かと生徒さんにきかれた。自分はそれで酷(ひど)い目にあったというのである。どうしてときいたら、会社の招待で飲みに行き、周りの人は汗をかきながら、英語でこの来日早々の人を接待してくれた。帰りがけ習いたての「降らせたくないものですね」と流ちょうにやったら「(そんなに日本語を)しってるくせに、酷い人!」と恨まれて、おしりをつねられたそうである。
思い出すのは、どう説明しても分かってもらえず困った言葉である。「そんなにパンを切りすぎてはもったいない」という朝食の場面の文章であった。なぜ、もったいないのかという質問である。「多く切っては無駄になる」というのは分かるが、何が「もったい(勿体)ない」のか、という訳である。さて、今の日本人はどうだろう。時は、歳末大売り出し、過剰包装に、資源の無駄遭いの気になる時期である。人に教える前にもう一度思い出して考えている。(同志社大学教授・宗教心理学)