「老年期――老いと死をめぐって――」

1990年 「臨床心理学体系 3 ライフサイクル」

 

 

はじめに ――老年期をどうとらえるか?

 

 人間の体には右手と左手が備えられている。右手で左手を上から触れてみると,自分の左手に皮膚の内側の感触として何かが伝わってくる。皮膚の外側からみる手と内側から感ずる手とではかならずしもその認識は一致していない。老年期を心理学的に把握しようとする場合も,いわばこの手のように外側から眺めて老年期をとらえる方法と,老人になり,それを生きてみて内側から知るのとではかなり異なったものとなるはずである。つまり,ここでは外側からの「老年期」と内側からの「老人」の両面から老年期を考えてみることにしたい。

 

1節 老年期の心理的特徴

 

1.加齢(aging)

 人間はいったいいつから老年期に入るのであろうか。最近では,老年という言菜を避けて高年齢期とか,熟年も使われている。しかし,むしろ正面から老年期の特徴を見すえる必要があるだろう。ある人が言うには「あなたが自分のことをどう思おうとも,電車の中で誰かがあなたのために席を譲ってくれたら,あなたは老人になったのだ」という定義の仕方がある。ふつうは青年期,成人期と経過してはじめて初老期(later adulthood)を迎える。これは45歳から65歳ぐらいまで,それから老年期(Old age,Senescent)は,70歳ぐらいから死に至るまでの老化期を一般に指している。このような老化による老衰期を人間の1つのユニークな時期とみて,これを老人学(gerontology)として生物学的,医学的,社会学的,そして心理的な特徴を研究することが考えられるようになってきた。近年では人口比率からみて無視できない老人性痴呆などの心理的治療や社会福祉の実践面からこの総合的研究が熱心に研究されている。

 その中心的な課題は加齢(aging),つまり年をとるということである。なぜ,生物一般は不可避の事柄として,有機体に再生不可能な免疫系の細胞間に働く不均衡や,物質代謝の失調という老化が現われるのか,こういう問題に直面することになる。現在まだ不老不死の薬は出現しておらず,有機体の加齢の同穎を含めて科学的な解明が鏡意なされているところである。人間のライフサイクルのどの時期をとってみても一様に年をとること,つまり1年1年齢を重ねることは老年期のみでなく,問題である。特に人間の一生を上昇期と下降期との2つに分けて考えた場合,その下降期,つまり老化や衰退の時期に,人間が心理的に適応することはその上昇期に比較して,より困難な問題を含んでいる。もちろん 思春期のような身体の発達の速度が心理的発達に追いつかず,不均衡で失調する場合が多くあるように,特にその発達に対する適応は困難である.しかしこれに劣らず,死に至るまで,どのようにしても,だれでも生理的な老化に抗しえず,しだいに衰退していく過程を生きるのも,また難しいものである。したがって,加齢の事実を自分では納得せず,青年や成人と同様に運動や生活の質や量を増進させようとして,大病をしてとりかえしのつかない失敗を犯すという例も多いのである。老年期は一生の中で他の時期と同様にそれぞれの固有の課題をもった特別の時期であると考える。生理的には下降するからといってけっして他の時期に較べて劣った時期とみてはいけない。現代は青年期や壮年期の活力に最高の価値をおいての肉体の絶頂期を賛美するあまり,老人を「古くなった青年」にしてしまっているのは誤りである。

 したがって,老人期の特徴をよくつかんでまず外側からこの時期の課題を概観的に述べてみよう。もちろん老人期は長い生活経験が1人1人あるので個人差もあり,主観的な内側からの意識を通してみた自分という老人の問題もたえず念頭におきつつ,この2つを共に見すえて追求していかねばならないのである。

 

2.老年期の生理的変化

 

 「老化」という生理的変化,特に体力の低下にどのように適応するかは最も大きい課題である。しかも体力の低下は一率にくるのではなく,全体的な生理的不安定の状態に長い間怯まされることになる.最近では老人の運動のため,どのように体力を維持し,健康で美しく老いるかを考えるフィットネス運動が盛んになってきたことは喜はしいことである。ただ1秒でも速く,1メートルでも長く走るのではなく,自分の体力に合った適切な運動量のメニューを個人差に応じてつくり,健康維持のための専門家に助けてもらいつつ計画的にまた科学的に健康を維持する方法をとらねばならないだろう。

 しかしながら,体力の維持には自ら限界があり,どのように努力してもやがてこの老化現象は進行し,これはやむを得ないことである。老人のためのリハビリテーションも老人生理学の発達と共に,今までのように自然の衰えでこれは仕方がないと言って放置されるのではなく,また老化は病気でもないが,たとえ病気でも体力的にもかなりの回復を望めることがその後の研究の発達で明らかになりつつある。また必ずしもどの機能も一様に衰退するのではなくて,成人や青年に比較しても死ぬまで遜色のない部分的な機能もありうることも,また注意しなければならない点であると思う。

 

3.老年期の社会心理的変化

 

 老年期にはふつう個人にとって社会心理生活にひじょうに大きな変化が起る。まず,青年期において就職し,社会的な責任をもつと,それが成人期において頂点に達し,通常はこの社会的責任や地位に生きがいを見出して働いているが,それが老年期に入ると停年(または定年)を迎えてその社会的役割から降りることになる。つまり,大きな責任からより小さな責任になり,社会的地位や尊敬に変化が起る。経済的な基盤も多くの場合,収入が減って弱体化し,減少する。これらのことによって著しく社会的な重要性が減少したとして,個人の自信の喪失に陥る場合がある。外側から保障される社会的尊敬に代って,人間の内側の自分自身からわき起ってくる人間的な自尊心生きがいを支えとして生きなければならない時期であろう。

 家庭的にも今まで子どもたちに囲まれて大家族で暮していたものが,子どもたちはそれぞれ自立し結婚したりして,家を出ることになる。すると配偶者とただ2人で暮す淋しい小家族の体制となる。したがって,犬と妻との関係が心の通ったものでないと,その綻びが明らかとなる。やがて片方の健康がそこなわれ,老化が進行すると自立した成人としての生活ができなくなり,やがて,子どもや他人の世話にならなければならないような依存の生活になる。人間は一たん自立した者が再び他人の迷惑になるということはつらいものである。考えてみると,人間は幼児期において両親の世話になって育つという依存の生活から,しだいに成人して自立するのであり,やがてまた子どもや,他人の世話にならねばならない時期を迎えるので,これは当然のことである。その他この人というのは医師や看護婦その他知合いの人々のこともあろう。したがって,このように他者との交わりの中で援助を受けて生活することがあるのが老人期である。これも頭のどこかに入れておかねはならないことである。 男性にとって社会的な定年というのは1つの越えねばならぬ心理的なショックである。女性にとっての老人期に入る1つの印は,月経閉止という生理的現象で,しはしはこれは心理的不安定性をよび,自分はもはや女性として魅力がなく,あるいは人間として駄目になったという自信の喪失感に悩まされる場合もある。この時期を越えると,むしろやっかいな性の問題から解放されて,老年期にならないと分からないような心理的に安定したそれまでとは違った生活を送ることになる人々もある。

 次にくるのが,離別の問題である。ふつう結婚している者が老年期に遭遇しなければならない心理的な最も大きな問題の1つは配偶者との死別の問題である。どんなに長年にわたって結婚生活をなし,愛しあって,幸福に助けあって暮していても,やがてその配偶者と淋しく離別して単独者にならねばならぬ。わが国での男女の平均寿命の比較からすると,男性の方が先に死んで,女性が後に残される確率は大きい。女性は男性の死を見とるというのが普通考えられることであるが,しかし,その反対も多くある。そのような場合特に長年つれそってきた妻に死なれた夫は単独者で生きることがなかなか困難なようである。もちろん,今日では人間は何歳になっても男・女共に再婚することも可能であり,共に人間としての幸福な老後を追求することが望ましいことでもある。いずれにしても,死ぬ時はやはり1人であり,長短はあっても単独者の生活を送らねばならぬことは心理的に覚悟せねばならないことであろう。

 老いは病気ではないが,また,老人の罹病率は年毎に増大する。その場合,老人にとってはなによりも健康が維持され,発病時には適切な医療や世話が受けられ,経済的に生活が安定し,生きる楽しみが与えられていることが必要となってくるであろう。そのために老人の医療保障をどのようにするか,在宅ケアを含めた老人医療の問題が重要で,わが国のこれからの老人の社会における比率が増大する今日,これはますます大きな社会の課題となっている。この高齢化社会を生きるためには,その基本として人生の最後まで自助の精神を強くもちつつ,社会的参加が許され,他人のために助けになるという精神と共に,自分が援助を必要とする時になるといさぎよく他人の愛を喜んで受け入れるという姿勢が必要となってくるであろう。

 老年期はとかく生活の場がしだいに狭くなり,社会や周囲との交際を切って,自己に閉じこもりがちになる。心の柔軟性が失われ,頑なになって,気も短く,怒りやすくなる。しかし,同時に老人ほど周囲との関係を必要としている人もいない。視力,聴力,脚力など変化してくると,それを補い援助してくれる人のなさけを必要とするようになる。美しく老い,知恵のある生き方をし,他人に関心をもつ老人ほど魅力的な存在はない。他の人生の時期より比較的にあり余る時間を使って他の人と交わり,たとえ老人の茶のみ友だちでも,何時でも話せる友人を最後までもつことは老年期に必要なことである。悠然としていて身を下降曲線にゆだねつつ,精神的にはつねに未来に向かって無限に発達し,飛躍するように上昇しつづける老年こそ,人間にとっての考えられる理想であろう。

 今までの発達心理学はつねに自立という成人期を発達の頂点として,その次にくる下降期を老年期としてその意味はなんであるか,真剣には考えてこなかった。つまり,どのように誕生の時から,特に生理学的発達曲線に応じて,理想的に発達させるかを考え,またその発達が阻害された場合,治療によって回復されるかだけを考えてきた。つまり,老年期は視野のうちに入っていなかつたのである。強いていえはできるだけ長く成人期を延長させようというだけの考えであった。したがって,最初フロイト(Freud,S.)が考えた心理療法は「終りのある分析」であって,成功した

場合は病気の治癒をもって完了したというものであった。しかし,フロイト自身も「終りのある分析と終りなき分析」(フロイト,1937)という晩年の論文によって,老年期の問題の課題を考えることになったのである。これは「成熟」とか「自己実現」とか,更に死を突破したようなもう1つ大きい「宗教」の次元をも視野に入れた心理療法である。人生40年のうちは「性」というのは恐ろしいほど,強大なカを長年にふるうものであるが,しだいに平均寿命が80年というような2倍もの長さになると,「性」だけで,それも生理学的モデルだけで考えるのではなくて,それを離れて宗教心理的モデルで自己の完成を考えねはならない時代になってきた。直線的向上的な発達論でなくて,いわは円錐型の発達論ともいうべき,ぐるぐる回りながら,同じような地点に何度か帰ってくるが,それぞれの段階には固有の課窺があり,しだいに向上し,深化することによって成熟し,完成するといったものである。ライフサイクルという考え方もこれによっていると考えられるし,またただ直線的に向上的に発達させればよいという考えでもなく,今まで述べたように衰退や老化を深く体験し,負の価値を知れは知るほど,その人の「こころ」の領域が拡大され,「知る」ことになるといったような考え方である。そこには「死」という消滅や,その内・外の体験を中心とした質の高い人生をしめくくる終末期をどのようにおくるかというような問題をも含むものである。

 そこで,老いて,死んでいく人間の内側からこれをみるとどうなるか,述べることとしよう。

 

2節 老年期の内的世界

 

1.老いの自覚

 

 人間はいつ自分の老いを自覚するであろうか。医師としての日野原重明はこう書きしるしている。

「65歳を経過したあと,約5年経っても私の毎日の生活は依然,診療と著述に多忙を極めた。ところが,私が70歳を過ぎたある日,一 枚の原稿用紙を二本の指で持ちながら書斎の中を歩いていた時,はからずもこの原稿用紙一枚が指から滑り落ちた。この時の私の内約な感傷を『老いを創める』と題した私の著書(朝日新開発行)の中でこう告白した。『私は瞬間はっとして"桐一葉落ちて・・・・・・''という天下ならではの私の秋を感じた。・・・・・・』。」(日野原,1986)

と記している。そして,病気にかかったことのない医師が病人を扱う場合よりも,病気を自分の内にもつ医師が病人を扱うほうが病者の観察や理解,そして共感性において優れているのではないかという感想をもらしている。

 このとある日だれにでも訪れる「老い」を見事にとらえている。じつは人間の深層心理の世界では,その人がたとえ少年であっても,その子どもの内側には老人は住んでいるのであって,ただ人間は若い間にはそれを自覚しないだけである。しかし,時に少年や少女にとっても,これと同様な体験をする人々もいるわけで,意外と子どもと老人は共生する性質をもっているのである。童と翁との共存は能の世界だけではない。子どもの言葉の中に時として老人の知恵が含まれており,子どもの関心が老人と同様に未来の社会にむかって透徹している場合もある。それに比して成人期は現在の日常性の中に埋没して童翁の世界は見えないものである。SF小説や児童文学の世界をみると,この子どもと老人の近親性は明らかになるであろう。

 ともあれ,ある時自分が老人であることを発見して驚くのである。外側に起ったなにげない現象が,例えは原稿用紙に書く指から万年筆がすり落ちるとか,窓外の木の枝に残った葉が散るとかが,内側の気持とぴったりと一致した時に「老人」となるのである。

 この場合,外側から「おじいさん」「おばあさん」と呼はれることから,これを意外と意識する場合が多い。孫が生れて,かなり年齢が若くて自分は元気でぴんぴんしていても,翌日から「おじいさん」と呼はれると抵抗があり,わざわざ別の呼称をよばせたり,「年より」「じじい」を周囲に禁句として,自らの著さを誇って老人という状態を拒否する人もいる。

 英語でもシニア・シティズン(senior citizen)という年長者を尊敬して呼ぶ名称があり,さまざまな社会的特典を与える場合もあるが,これは同時にシーナイル(senile)と同様”老衰した””耄碌した”といろいろ医学用語と共に,やはり,これを敬遠して,この言葉を使うことが好まれない場合が多い。したがって,「老い」そのものもなるべく使用せず,「高年齢者」という呼称にしようという考え方もあることは前述したとおりであるが,いずれにしても,この老いをその固有の価値からとらえなおさないかぎり,杏定的な見方だけではどのように呼称をかえても仕方ないことである。

 

2。老いの意味

 

 最近の若者は老人が何を言っても驚かないが,「そんなに父の言うことを聞かなければ,お父さん年とったらボケるよ!」と言って怒ると,子どもは黙るそうである。それほど,両親の老人性痴呆の問題は若い人にも真剣にこれの意味するものは何かを問われることになっている。

 今まで人生を立派に誠実で実直に生きてきた父親がある日突然性格が変ったように物忘れが激しくなったり,徘徊しだしたり,家族の悪口を言いふらしたり,被害妄想に襲われたりする。そして,これに振り回される家族にとって,愛する父親や母親,長年誠実で実直であっただけに両親がそのような状態になるとは考えられないし,これが病的な状態である事実を承認することができない。このようなアルツハイマー病などの場合,脳細胞の変成が進行してから,やっと治療体制ができ上るという場合も多い。誰しも,親の心理的状態の異変は耐えがたいことである。それは過去のよい記憶をそのまま保ちたいからである。

 しかしながら,人間のパーソナリティの構造は深層心理学的にみて,そう簡単ではない。意識構造の下には無意識の構造として,様々な自我という立派な人生の中でもっともよく使用してきた中心的なパーソナリティの他にも,無意識下にさまざまなコンプレックスという心的エネルギーの塊が存在する。意識に障害が起れば,第2,第3の下位のパーソナリティが意識の表面に踊り出ることはやむをえないことである。

 したがって,今まで毎日見てきた父親が本当の父であったのか,今ボケてから出てきた父親のパーソナリティが本当であるのか,一瞬疑うような場合もある。だからこの病気に捕まってしまった人は,その人の心を病気が奪ってしまったのであり,またこれを見守る家族の心も傷つけるほど深刻な様相を呈する場合がある。

 考えてみると,人間のライフサイクルの中でこれほど真実の赤裸々の断面を現わす時期はないとも考えられるのである。どちらが本当の父であったのかさえ,断言できないほどである。

 老醜という言葉があるが,もともと人間は年をとると,鈍くなり,遅くなり,あらゆる面で万人「鈍」になるものである。この「愚」や「醜」は老人とは切っても切れないものかも知れない。むしろ老人であるがゆえの愚かさや醜さを生き抜くことによって,老いを本当に生きることになるのであって,これが老年期の本来の課題かも知れない。これを回避することによって,後からくる若い人々が迷惑をするのかも知れないし,老いたが故に全く異なった次元から,ものを考えて,あえて愚や醜の姿をとりつつ,この世界に対して他の人生の時期の人々の持たない知恵を与えるのかも知れない。

 この世界からみると,この「愚」や「醜」は否定的な価値であるが,同時に一歩退いてこれらになり切ることによって別のものがみえてくる。つまりこの世からの距離をとって,他人がその姿を眺められるようになると,その人の愚は「賢」に,「醜」は「美」に姿を変えるのではないか。

 筆者は「老い」の意味には,この「賢」という軸には「愚」が,また,「醜」を軸にとれば「美」が成立するのではないかと思う。 霜山徳爾はユングの心理学の重要な概念の1つである元型のうちで,「老賢人」(old wise man)の元型を『痴聖』と訳すべきであると提唱されているが,これは面白い点である(霜山徳爾,1985)。老年の英知ばかりをみるのではなく,痴の婆をとった聖(ひじり)の中にこそ老人の婆がみえると指摘しておられる。

 このように,もう1つ俗と聖の両極性の軸も姿を現わすと言ってよい。成人期を俗とすると,幼児期と老年期に内包されるのは聖のイメージである。やがて人生を終えようとする時に,もう1つの違った次元にも一歩足を踏み入れているのであり,その観点からこの世界を見下しているという視点を老人はもってほしいと思う。成人期には言いたくても言えないこと,行いたくても子どもや妻など家族のことを思うとできなかったことを,もう老人になったからこそ,社会から許され,自分でも誰はばかることなく許されるという老人の自由性というものがあると思う。またそれを老人の口から言葉として開くことを人々は期待しているのである。

 

3。死との邂逅

 

 現代では劇やテレビの中で様々な死が取扱われ,死について語られているように思うが,いずれもそれらは第三者の死であり,あくまで第一人称の自分の死とは異なるものである。老年期になって年齢が進んでくるとしだいに自分の死について考えるようになる。つまり自分の死との邂逅である。

 このいやもおうもなく実力をもって迫りくる死は全くの他者であり,歓迎すべきものではない。死期が迫ると,だれしも真面目になる。あるいはどんなに冗談をもって死と対面してもそれらをはねつけ,他人を裁き,測定するという側面をもっている。今死ぬ覚悟しているところだから,ちょっと待ってくれ,・・・・とか,この書物を書くのが終了してから死にたいからちょっと待ってくれ・・・・といった言い訳を,死は絶対に許さない。死は驕って主権者のようにやってくる。その死と邂逅することである。

 そこで必要なことは,死との出会いに必要な準備をどうするかということである。まず第1に必要なことは死という現実的な存在を承認することである。あたかもこれが人生には存在しないかのごとく死をタプー視して,生の局面だけをみて一生をおくるような現代人ほど,いよいよ死が不可避的なものとして迫りくるときに極度に必要以上な恐怖を感ずるようになるのである。生のある所かならず死はあり,死は自然であり,人生に入口があるように出口のあることを承認することは重要である。癌の告知の問題もどのように不必要な恐怖を取除くかにある。もちろん,人間にとって死は未知の経験であるのでこれにはつねに恐怖が伴っている。そのことはうなずけるが,しかし,不必要なそれらは,死を否定して無視すればするほど,姿がみえず巨大になり生を圧倒するに至るのである。これを承認してできるだけその姿を見すえてやろうとする態度は大切である。

 第2は死を過程としてとらえること。死は一瞬の出来事ではない。Dyingという言葉にも表わされているように,死んでいくのであって,そこには別に特別の聖なる時というのはない。やはり普通の毎日であって,人は生きてきたようにまた死ぬのである。そして死というとつねに英雄的な「大きな死」と考えられがちであるが,全有機体の死のほかに,人間はさまざまな「小さな死」の体験をしている。細胞は毎日死んで再生されるし,夢の中では人々はいつものように死んでいく。これらの数多くの死の体験が極端な死の恐怖を救うことがあるのである。

 今日では人工的な呼吸維持装置などの開発によっていったん心臓の鼓動が停止した人が,つまり,これらの近代的な装置が開発されたことによって,いわはもう一度死の国から生に呼び返されるようになってきた。そして,これらの人々の体験がかなり集められて出版されている。今までは特殊な人々と特異な体験であったものが,何方という証言が得られるようになってきた(Ring,1984)。これをN.D.E(Near Death Experience)といって,ある程度の人間の死の過程の体験が明らかになりつつあると言ってよいのではないか。

 これによると,死は恐怖であると共に喜びや一種のエクスタシーの体験として語られている。考えてみると,人間が生れてくる前,つまり誕生前の世界をどうよんでいるのだろうか。生の後が死であるとしても,生の前もまた死である。そして生れてくる時に我々はそれほど苦しまなかったように,死の過程にも本来苦しみは付属していないのではないか。それがあるとすれば,それは自我意識の崩壊への恐れであって,より大きい無意識を含めた人間の生そのものにはむしろ何もそのようなものはないとも考えることができる。

 事実,死の過程を通っていくと,今まで意識として自我がもっていた価値体系は根本からくずれていく。今まで自分にもっとも大切であったという価値が最早なんの働きもしないようになってきて,それよりもだれが今自分を愛してくれているか,というような価値が新しい尊いもののように思われてくる。一切は失われていっても,別にそれは当然のようにみえるが,自分に対して働いているあるカ,それを愛とよぼうとも,またどう表現しようとも,それらがいずれにもまして比べものめないような専いものに見えてくる。そして,それと共に別の世界にイニシエートされていくのである。 第3にこの人生の「しめくくり」,これが老年期の最大の課題となってくる。1人1人の人生はユニークで,かけがえのないものである。しかも,終局を迎えることで,それらは完結される。

完結することによって測られ,ある種の裁きを体験することになる。まだ,未来に可能性のあるうちは,これからそれを行えばよいとか,あれもすれは立派になるとか思っているが,いよいよ死に臨むと,どんな言い訳も役に立たず,しめくくらねばなくなる。

 ここに老人の「繰り言」がくる。繰り返す言葉であって,ちょうど体験の癒せぬ傷をなめるように,同じ言葉で何回も何回も同じ出来事を繰り返すのである。発展がなく,聞くことは苦痛になるほどであるが,私は老人が繰り言を繰り返すことそれ自体が癒しに重要であると思っている。なぜなら,普通の人はそんなに何回も同じことを繰り返すことはできないもので,そこにわずかだが発展があるものである。しかし,そのままを平気で繰り返すということはその体験の中にどのように繰り返しても,癒えぬ何かが現実として存在することを意味している。そこに,その人の心があり,その体験がその人を成立させていると言ってよいものではないだろうか。

 次に注目するのは辞世である。古来,日本人は室町時代から,ごく最近まで人間は死ぬ時に,ただ死なないで,辞世の歌をよんでから死についた。例えば,西行(1118~90年)。の歌に広く知られている「ねがはくは,花の下にて春死なむ,その如月(きさらぎ)のもちづきのころ」というのがある。松尾芭蕉の「旅に病んで,夢は枯れ野をかけめぐる」というのもある。これも1つの人生をしめくくる方法である。死はいつも人間を受動的にし,死が訪れると人間を全く無力にしてしまうが,歌をつくることによってこの死の性格を自分のものにして死を生き切る,その手だてとしてわが国の人は辞世を考え出した。一説によると芭蕉の辞世はじつは死に臨んで作られたものではなく,かねてから作られていたという説もある。もし,そうだとすると,歌がもう先にできてしまったのだから,死なねばならないということもあるだろうし,もっとよい最後の歌をつくるために死のぎりぎりまで歌をつくらずにおくということもできるだろう。そして,そんなに上手に正にその時に良い歌ができるはずもない。そこで辞世というのは死との戦いであって,受動的な死を能動的なものにすることによって,最後積極的に死を克服する1つの道であり,知恵ではなかったかと思う。

 人間たるもの死に臨んでかならず残すというユニークな伝統がわが国にはあったようで,これが今では絶えているのは惜しいことである。和歌や俳句として短い文句の中に象徴化して,その人の人生をしめくくるということはすぱらしいことと思う。この他にも書面,武術や茶道など芸術的なさまざまな道の表現を老年期の人々が好み,また,その人々の心の表現が今までと違った創造性や個性のある輝きをみせることをこの時期の重要な事柄として心にとめておかねはならない。

 

3節 老年期と生きがい

 

 東アフリカのカサイ族に言い伝えられた言葉がある.「魔法や病気,ナイフや矢や戦いや死がなければ,生きるとはただ食って飲んで寝て出すだけのものになってしまう。死がなければ生きる甲斐もない」(ゴードン,1987)。これは老年期の中心的課題である死がただ生理的なものだけでなく,その限界をこえて「こころ」の発展をうながしていることを意味している。

 たしかに死は人間にとって不都合なものであり,希望するものではない。しかし,これがなければ反対に生そのものが輝きを失ってしまって,人間の生にならないのもまた事実なのである。「美しく老いる」という言葉があるが,死の一点に収斂されつつ老年期はあらゆる価値の崩壌へとつながっていく。そしてその滅びゆく段階にもそれなりの美しさはあるのだが,同時にその自然に抗して立つ総体としての個という人間の生の毅然とした芙しさもまたそこにあるのである。

 音本隆明は死を追いつめて,追いつめていき,ぎりぎりのところで次のように記している。

「……なんだか知らないけれど,死の向う側へいっちゃうところまで死を追いつめて,死の境界といいましょうか,ここで死に対面しているんだというところ―――ぼくらは必然的に死というものを一点のように考えているわけですけれども―――その一点も消えちゃうというかたちで,死というのは一種の分布なんだというところまで死を追いつめていくことができます。」(青木,1988)

と言っている。そして,

「要するに,死というのは一種の<分布>なんだ,思考力としての<分布>の問題なんだ,というところまで死を追いつめていくというのが。ぼくの理想なような気がします。」(吉本,1988)

 この分布はおもしろいと思う。死を追いつめてみるとその境界のむこうに逃げていってしまい,逃がしたかと思うと,反対にそこから還ってきて人の世界の中に入ってくる。仏教では仏の往還という慈悲であり,キリスト教的な言い方では十字架の死による復活ということになる。この往復のコミュニケーションがやはり死の問題を解く鍵になるのであろう。

 筆者は長年「死の臨床」の問題を具体的に考えてきて,治療者と患者との間に成立する死を貫いて存在する交わり,「交わりのある死」の重要性を指摘してきた(樋口,1987)。つまり,癌を告知されたりした患者―――告知されなければより深刻であるが―――と治療者との間のコミュニケーションが不自然になり失われる。多くの人々が言うには,周囲の人々はまるで特別な動物や人間のように最早真実を言ってくれないし,深い交わりが失われて,何を言っても気休めの返事の壁に囲われてしまうことになる。

 しかしながら,死の現実を前提としながらもそのコミュニケーションという深いレベルの人間の交わりに持込めるならは,それはそれで意外に明るいものになり,また生きがいのたえずわき起ってくるものになる。死に裏打ちされた生の現実が目の前に立ち上ってくるのである。

 ユング(Jung,C.G.,1875~1965年)は自分が死ぬ前の年に,彼の自伝を口述させて次のように死について書いている。

「自我の観点からすれば,死は破局である。すなわち,死とは邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるように,われわれにはしばしば感じられる。

 そして、死とはそういうものなのだ。死とは実際,残忍性のおそろしい塊である。そうでないように見せかけようとしても無意味である。それは,身体的に残忍なことであるのみならず,心にとっても,より残忍なできごとである。一人の人間がわれわれから引きさかれてゆき,残されたものは死の冷い静寂である。そこには,もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ,穀つぶしがのうのうと長生きをする。これが,われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは,死の残忍性と気まぐれの実際的な経験に余りにも苦しめられるので,慈悲深い神も,正義も親切も,この世にはないと結論する。」(ユング,1963)

 これほど死の一面を冷徹に言い当てた文章を知らない。そして,これに次の文章が続くのである。

 「しかしながら,他の観点からすれば,死は喜ばしいこととして見なされる。永遠性の光のもとにおいては,死は結婚であり,結合の神秘(mysterium conjunctions)である。魂は失われて半分を得,全体性を達成するかのように思われる。」(ユング,1963)

と記述しているが,本当のところ彼にとってこれがどのようなことを意味していたかは知らないしかしただ,その自伝の最後のページに,

 「私は自分の生命のたどった流れに満足している。それは恵み深いものであり,多くのことを与えてくれた。それほど多くのことをどうして期待しえたであろう。全く思いがけないことが,私に対して起こりつづけた。私が(もし少し)異った人間であれば,多くのことが異っていたであろう。しかし,それはあるべくしてあった。つまり,私が私であるようにあるために,すべてのことが生じたのである」(ユング,1963)と。

 長々とユングのことばを引用したが,人生の最後に当たってこの自分が自分になること。どうして他人ではなくて,そのユニークなその人であるということが起る,そのことが人間にとって理想なのではないか。これはけっして万人に共通に起ることでもなく,その人がその人であるために起ることなのである。反対に,ただ運命によって定められ,自然の法則によって成就されるということではない。私はこれを「なるように,すること」であると表現する。これが個人を超越した「こころ」の働きであると同時に,そのかけがえのない1人の人間の生涯の中に独特の姿をとって出現するものなのである。

 この「こころ」の働きをユングはやはり自伝の中で,川の水に替えている。自分が川の流れからひとすくいの水を得たとしてそれはなんになるのだろうか。自分はその川の流れではなく,また流れのほとりに立って何かをしようとしたのでもない。「私は立ち,自然がなしうることを賛美しつつただ見守るのみである。・・…・流れから水を得んとするものは身をかがめねばならない」(ユング,1963)と,あくまで自然に対して謙遜であるべきことも言っている。

 そして,最後に,ユングは老子の言葉,「俗人晴々。我独り昏の如し」を引用して,「それは私が今,年老いて感ずるところを表わしている」と結んでいる。

 どこまでいっても,片方で死は明白になると共に,また姿をかくし,そしてまたやってくる。吉本隆明が分布しているというのは至言であろう。死はあちらこちらの生の片すみにひそんでいて,時に明るみに踊り出て,我々を恐怖させる。しかし,恐怖の最大の敵は愛である。恐怖は人と人との間のコミュニケーションを断絶させ,孤独に陥れるが,愛は,いかようにも定義できるが,舌代ギリシャの時代には神秘的な人にかくされた力としてエロスという名の下に存在していた。それは人と人とにさまざまに働いてそれらを結びつけた。あのキューピットの矢に表現されているように。その矢に射られた人と人は結び合わされるのである。矢じりの傷は鋭いので,ほとんど肉体的な鍛錬によっては防ぐことはできない。面白いことに傷と傷とを結びつけるのがエロスである。これはその昔,デルフォイの神殿に伝わったといわれる神託「傷つけた者がまた癒す」も,この癒しの構造を残している。老いも病気であるよりも,死すべき人間の癒されることのない傷である。この癒されぬ傷はまた全く別の傷によってしか癒されることはない。人間というものは,この癒されぬ傷をひっさげて,これを癒してくれるもう1つの傷,つまり神の傷を求めて歩く存在であり,その傷と傷が合った時にはじめて死の傷は癒されるのであろう。なるほど,イエスの十字架の傷が今も血を流されているように,いつも十字架像に描かれているのはそのためかとうなずいたしだいである。人はそれぞれの生きがいを求めて,老いと死という傷を癒そうと努力する。そこに老年期最大の課題があることは昔も今も変りがない。(1990年 「臨床心理学大系 第3巻 ライフサイクル」 発行所:株式会社 金子書房)

 

引用文献

 

1)Freud,S.,1937, Die endliche und die unendliche Analyse.(フロイト「終りある分析と終りなき分析」井村恒邸・小此木啓書他訳 『フロイト著作集6 自我論・不安本能論』人文書院1970.)

2)Gordon, A., 1978, Dying and Creating, The Society of Ahalytical Psychology Ltd. (ゴードン『死と創造』118頁 氏原寛訳 創元社1989.)

3)樋口和彦 1987 「ターミナルと宗教」馬場一雄他編『ターミナル ケア』金原出版.

4)日野原重明 1986「老いの意味するもの一老いの問題」伊東光晴 他編『老いの発見2 老いのパラタイム』15貢 岩波書店.

5) ) June, C. G., 1963, Memories, Dreams, Reflections, A. Jaffe ed.,Pantheon Books.

(ユング『ユング自伝2 思い出・夢・思想』 ヤッフェ編・河合隼雄他訳158-217・218頁 みすず書房1973.)

6) Ring, K., 1984, Heading Towrd Omega, In Search of the Meaning of the Near-Death Experience, Quill William Morrow, New York.

7)霜山徳爾 1985 「老いと死の意味,五風十雨」 馬場謙一他編『老いと死の深層 日本人の深層分析 11』14頁 有斐閣.

8)吉本隆明 1988 「〈死〉の構造」『人間と死』45-46貫 春秋社.

 

参考文献

 

1)Hoffmann,Y., Japanese Death Poems, Charles E. Tuttle Co., Tokyo, 1986.

2)飯田真他編『ライフサイクル』(岩汲講座 精神の科学6)岩汲書店 1983.

3)飯田真他編『有限と超越』(岩波講座 精禅の科学10)岩波書店 1983.

4)伊東光晴他編『老いの人類史』(老いの発見1)岩波書店1986.

5)伊東光晴他編『老いの思想』(老いの発見3)岩波書店1987.

6)C・A・マイヤー『夢の治癒力』秋山さと子訳 筑摩書房1986.