「人の心と心をつなぐ電話」
1991年7月10日 京都新聞 現代のことば

 目をつぶると人の心が見えてくる。例えば、電車に乗って座席に座って目を閉じると、目の前に男女二人が立ったとしよう。目さえ閉じれば、すぐだれでもこの目の前の二人はどんな関係か心理学者でなくてもすぐ分かる。目を開けるともういけない。目は人の表面の悪いところしか見ないようで、耳の方がどうも高級な器官であるらしい。特に、男という私の目は悪いものばかりどうも見たがるようである。
 電話で話を聞くと、意外と人の心の奥深いところが、しかも本人も意識していない不安や恐れも聞こえてくる。出前の注文のように電話は今までビジネスだけに使われてきた。ところがこれを人の心と心をつなぐ試みとして使ったらどうか。二十四時間いつでも自殺予防や悩みの相談にあずかるという「京都いのちの電話」ができて、いよいよ十年になる。現在約二百人のボランティアの人々が、厳しい訓練を受けて日夜奉仕に当たっている。もう開局以来十三万件の相談を受けているそうである。中には尊いいのちの喪失を未然に防いだこともあり、微力でたとえ一人でもそれは意義深いことである。
現在、モスクワを含めて世界の主要都市には必ず一つ存在するようになってきた。
 確かに近代都市は刺激も多いし、何より創造的である。たえず人々が流れ込んでくる。しかしその半面、人を孤独にし、無責任にもさせる。もし、これを電話の緑でつないで人の心と心をつなげたらどんなに良いだろう。どの宗教にも、政党にも偏らず、匿名の市民による、匿名での奉仕である。
 この奉仕に当たる方の相談員になる動機をきいて面白いことに気が付いた。「若い時に、じつは一度死を、ということがありました。その時はひょんなことから助かりましたが、だから機会があったらと思って、私でもお役に立つでしょうか」といわれる方が多いのである。
 大変尊い動機でいつも感心させられる。しかし、どうもわが国のボランティア運動の陥る弱点がここにもあるような気がしてならない。それは「私はボランティアだから何を、いつ、どうしてもかまわない」という誤解である。
残念なことに多くの運動が毎年春に始まって冬にけんか別れで消えていく。ボランティアにばお金は払わないが、その体験を生かして、より成熟した人間になる喜びは払うことはできる。そこで、そのための専門家の協力という指導がどうしても必要である。しょせんこれは素人の心の救急バンソウコウとしても、電話は身近にあるし、その場でかけられ、その向こうで少なくとも普通の人の一つの反応を知ることができる。これが都市生活では求められている。「やがて自分もいつかは相談を頼む身でも、今は相談の電話を取らせてもらう」-これが偽らざる相談員の気持ちである。ここには未熟な受け手もいるだろうが、必要ならどうぞ℡075(864)4343に。
(同志社大学教授・宗教心理学)