「日米経済摩擦メディア会議」
1991年5月25日 京都新聞 現代のことば

 このところ日本の新聞を読むかぎりわが国の立場は日に日に悪くなるばかり、ほって置くと、いまや両国民の感情問題にも発展し、日米経済摩擦がやがて「日米戦争」にでもなりかねない状態だと思うほどである。私のように経済も分からず、通商交渉の実態にも疎い者にとっては、今の状態は何かあれよあれよという間に、それこそ昔のようにまた「戦争」に突入するのでばないかという恐れを抱かせるものがある。そんなところに、とんでもない誘いが舞い込んだ。私の親しい友人からである。マンスフィールド前駐日大使が、故郷のモンタナ大学に創設した太平洋問題研究センターがこの経済摩擦の報道に関しての会議をハワイで連休に開くから来いというものであった。その会議では双方のメディアの取り上げ方やその内容、それぞれの相手方のイメージまで、それぞれの国の研究機関が約五百の主要記事についてあらかじめさかのぼって調査し、もし誤解があるならば、どう食い違っているのか、その報道への反省や批判を込めての討議であった。それこそ著名な日米の第一線で報道にあたる人々、論説委員、記者、ニュースキャスター、両政府の交渉当事者、ジャーナリズムの専門家や学者ら約七十人ほどが集まり、手遅れにならないうちにと、一堂に顔を合わせて四日間にわたる白熱した議論が行われた。恐らく真珠湾以前にもこうした会議が開かれていたならば、と当時の両国のむごい報道の仕方に思いをはせながらいまさらのように悔やまれる。
 ところで、私もアメリカ側から出た私の友人も全くの門外漢であった。とにかくFSX(次期支援戦闘機)問題も、ソニーのコロンビア問題も、SlI(日米構造協議)も、小糸問題も、記者クラブ問題も全く本当のところはちんぷんかんぷんであった。ジャーナリストの専門の会議に精神分析家がよばれることは異例で、どうも会議が感情問題に触れてもいいようにとの備えでもあったらしい。
 結果からいうと私たち二人の出席や発言は人々の意表を突いていて、出席者から喜んでいただいた。われわれがいるせいか、発言は活発だが、合理的で、理性的であった。いろいろと素人なりに、考えさせられる点が多くあったので、ここに一部記してみたい。 
 何と言っても考えさせられたのは、間違ってもいいから、日本人はいまや顔を持った人間として発言しないといけないという点である。米国に対して、顔なく、言葉なく、姿もなく、音もなく無数に浸透して来る人間以下の動物か、昆虫のような日本人のイメージは危険である。また、残念なことに大量の情報はアメリカから日本に流れて、アメリカの一地方の経済問題は日本に打電されると日本全体の政治問題となるが、その日本の情報は彼の地では経済欄にしか載らない。だから、顔がなく、日本人はみな経済動物のように見えてしまう。 その上、何より怖いと思ったのは、日本人の被害者意識である。「こんなに私が相手を思っているのに、向こうはちっとも私を理解してくれない」という発想である。先方が親か巨人で、こちらは子どもか小人という意識である。実際は経済的にはもう小人ではなくて、スーパーパワー・ナンバー2の国なのである。そして、この被害者意識のいきつくところ、いつかきた道の、次第に孤立化と純粋化への道である。「こんなに尽くしても分かってくれないのか?」とますます自分を純粋化し、自己陶酔に陥る自滅への道を歩みたくない。その時、なによりもあらためてコミュニケーションの大切さ、メディアの役目の重要性を肌で感じた次第である。と同時に、時に自分も、政府をも切りつつ、国境を超えて人と人を結びつけるアメリカの新聞人のもつユーモアあふれる能力に感心した。 
 日米は私には四十年も連れ添って、もう別れられないはどの仲の夫婦に見える。だからこそ遠慮なく言うのであって、お互いに痛いところまで言いあいつつも、もしこの二人が世界のために何が協力できるかと、やがて外に目をむけて息があわせられる時を思わずにはいられなかった。
(同志杜大学教授・宗教心理学)