メリクリウス神話元型と日米経済摩擦

(1991年 イマーゴ 夢 Vol.2-12


 フロイトにしても、ユングにしても、夢の分析は普通分析室という狭い小さな小字宙を舞台として行なわれ、今でもどちらかと言うとこの一対一の関係で行なうのが原則である。安楽椅子やパイプの煙などがその時代のこの部屋の小道具であったし、人のこころの内的世界の無意識が取扱われ、そこに働く元型が問題とされてきた。しかし考えてみると、人はその人の生きた時代全部を引っ提げて分析室に現れるから、じつは分析家はそれこそ抽象的でなく、一人の人生という具体的な経験としてその時代という外的世界の全部を取扱っているのである。だからこそ、フロイトが一人のヒステリーの患者に払ったそのエネルギーの巨大さが理解でき、その症例から学んだことが二〇世紀の西欧世界全体の癒しに繋がったのである。

 最近になって、私の分析家であるジェームス・ヒルマンなどユング派の中でも、人類が破滅しかねないこの終末的な時代、もっと積極的に分析室の外に出て、普通の人々を相手にして夢を問題にし、そのこころの深みで働く元型を語る時代であると言っている。そして、ドリーム・セミナーを彼は各地で開いて直接、外的世界という大宇宙を相手にしている。

 こんな時ボストンで活躍しているやはりヒルマンに親しい私の友人のロバート・ボスナックから一通の手紙が舞込んだ。この春(一九九一)の連休にハワイに来ないかと言うのである。マンスフィールド前駐日大使が故郷のモンタナ大学に創設した太平洋問題研究センターが最近の日米経済摩擦を憂慮して、両国のこの報道に現在責任のある論説委員や新聞記者、テレビのキャスターとして活躍するジャーナリストや経済交渉に当る外交官、学者を集めて、一週間にわたって、顔を合せて合議をしようというのである。それぞれの国でそれまでに新聞テレビで報道された約五〇〇の記事を両国の研究機関で予め調査し、そのレポートに基づいて、報道の仕方、なぜ経済戦争にまで発展するのか、その原因は何か、どうしたら協力できるかというのがテーマであった。

 アメリカ側から彼が参加するから、一緒に働きたいので日本側から気心の知れたお前を推薦したから来てくれというものであった。こういう会議に心理学者が招かれるというのはアメリカでも珍しいらしい。とにかく私はFSX(次期支援戦闘機)の問題も、ソニーのコロンビア買収も、SII(日米構造協議)も、小糸問題も何にも分からず、出かけたのである。どうやらこの合議には感情問題がからむかもしれないという主催者側の深慮遠謀であったらしい。

結果からいうとかなり参加者からは喜んでもらった。二人の発言や見方が時に人々の意表をついたので、ジャーナリズムの第一線で活躍している記者たちを面白がらせたようである。それに会議中、精神分析家に見られているせいか、発言は活発だが理性的で、かなり際どくなっても終始感情的にならなかった。こういう会議での心理学者の使い方もあるのかなと思ったほどである。

 期せずして二人が取上げた問題は両国のお互に相手の国への無意識のプロジェクションであった。特に、アメリカの日本に対する集団的意識ともいうべきイメージであった。この底にはメルクリウス元型(英語ではマーキュリー)が働いているとみた。つまり、ワシントンから日本を見ると彼らには日本人の顔が見えないで、物だけが大量に流れ込んでくるという恐れをとおしてこの神が見えるのである。つまり、アメリカの情報はすぐ日本政府の政治問題になり、新聞のヘッドライン記事になるが、東京から打返すと米紙の片隅の経済記事になる。だからいつまで経っても日本人の人間としての顔が見えなくて不満だと言うのである。

 メルクリウスはローマ名だがもともとはへルメスで通商、交易、ビジネス、コミュニケーションの神であった。戦後の日本はこよなく通商国家であり、情報産業国家を今も狙っている。一方アメリカは戦力をもつ覇権国家である。力で世界を見る時、それが脅かされると、どうしてもメルクリウス神話元型の否定的な影を相手に向けることになる。では、いったいヘルメスの影とは何だろうか。日本の今の姿に照してどう誤解されるかを読んで欲しい。

 へルメスは風の神で姿が見えず、移動する。足が早く、道の神で羽根のある足でどこまでも旅をする。交易がとても上手で、人を騙す利口さや策略にたけている。二枚舌で、小人で、品がなく、行動はいつも不可解である。時に反道徳的で、性的に淫らで、多産で、いつも他国人であり、国を出たり、入ったりして、瞬間的にしか姿を見せない。そして、最も悪いのは人の魂を死の国に導くのである。

 こう書いてくると、何と当っていることか。そして恐ろしいことはいつしかこの投射の鋳型にはまって、自分を見失うことである。そうならない為には、なによりも意識的に日本人は顔をもった人間として発言すること、言葉をもつことである。もし、姿なく、言葉なく、音もなく、無数に水のように浸透するなら、それは人間以下の動物か、昆虫というイメージになり危険である。そして、そのうえこれに日本人の被害者意識が加わる、「こんなに相手を思っているのに、私を理解してくれない」という巨人に対する小人の甘えで、「こんなに尽くしても分かってくれない」とやがて自分を純粋化し、自己陶酔の自滅へといってしまう。これはヘルメスの死の道である。

 では、どのようにこの否定的なメルクリウス神話の元型の憑きから自由になって、それこそ本物のコミュニケーション国家になれるのか。あらためて本当の相手の姿としてみれるコミュニケーションの大切さを柄になくこのメディア会議の出席で想った次第である。