「もう一つの戦争」
1991年2月16日 京都新聞 現代のことば

 このところだれの頭も中東の湾岸戦争でいっばいである。新幹線の中では受験生と並んで、一夜づけよろしくサラリーマンらしい人が、イラクの歴史やイスラムの宗教についてあちこちで本を開いて読んでいた。 確かにこれは大変な戦争である。しかし考えてみると、私たちの身の回りにはそれこそ数多くの「もう一つの戦争」が戦われていることも忘れてはならない。それもこれも当事者にとっては生き死にをかける大戦争に違いない。それらが、とかく大戦争に人々の耳目が奪われてかすんでしまうのは惜しいことである。
そういう中にエイズ(後天性免疫不全症候群)との戦いがある。わが国でも一時新聞紙上をだいぶにぎわせたが、いまば少し影が薄くなっているという感がある。しかし、世界的にみると、やがて二十二万人にも患者数がなり、エイズウイルス感染者にいたっては一千万人にやがてなるだろうと言われている。さきごろの厚生省の発表(一月三十日)によると、この日本でも過去累計で三百七十一人になろうとしている。欧米では前途のある芸術家や俳優など創造的な仕事をしている若者が、この一九八一年に新しく発見されたウイルスによって、つぎつぎにその尊い命が失われていくことはまことに痛ましいかぎりである。アフリカの諸国は母子感染によってさらに深刻である。 
 このエイズとそのウイルス感染症との戦いのもっと激しい戦場は、この病気に対する誤解と偏見に対するものである。エイズはキスや握手、セキや蚊など普通の社会生活の接触では伝染しない。したがって正しい知識をもてば、十分社会生活もできれば、結婚生活もおくれるし、まして、感染症の段階では症状がないので、ほとんど一般の人と同じに生活をおくることができる。ただ、発病の不安と、もし人に知れたらどんなに恐ろしいかという無理解の恐怖と戦わなければならない。わが国の場合、かなりの部分の患者と感染者が血友病の輸入血液製剤をとおしての感染であったため、彼らのすべてが疑われる結果となってしまったのは不幸なことである。医師も患者のためによかれと思って、行った治療のなかに、当時はまだ発見されていなかったとはいえ、一部の人々に害をあたえていた訳で、この事実がわかった時の両者のショックはいかばかりであったか想像できよう。 
 世界的にもエイズ予防財団をはじめとして、これらの人々への援助が十分とはいえないが進んでいる。友の会や患者のネットワークづくりの献身的なボランティア活動やカウンセラーの養成などの試みもある。
 しかしながら、現在のところこの病気を根治できるワクチンは発見されていない。したがって、感染するや一生長期にわたっていろいろの種類の恐怖と戦わなければならない。もし自分自身が感染したら、一体この秘密は守られつつ、適切な治療が受けられるだろうか?仕事や通学はつづけられるだろうか?など悩みは深い。 
 どの戦争も戦うべき最大の敵は恐怖である。この恐怖に負けると結果は悲惨である。社会が恐怖のため過剰防衛という皆殺しの誘惑に陥るからである。どんなに大きい戦争があっても、いつも恐怖と戦う多くの「もう一つの戦争」のあることを忘れないでいよう。 いま、WHO(世界保健機関)ではエイズ予防のためには諸外国で実に即物的で、しかも直接的な指導を行っていてわれわれを驚かす。予防のためのコンドームの現物を見せての指導である。わが国ではまだまだであるが、やがて空港や大学の学生部で背に腹はかえられず配布する時が来ないとも限らないし、現に今年あたりそろそろ海外での性的接触を通じ、若い人たちの間で感染者が増える傾向がでるかもしれない。 湾岸戦争の行く禾を案じながら、発症との戦いという「もう一つの戦争」を今も戦う私の身近な戦士の姿を思い描きつつこれを書く。
 (同志社大学教授・宗教心理学)