「古い神話、新しい神話」
1991年8月22日 京都新聞 現代のことば

 世の中全く何が起こるか分からない。あのゴルバチョフが失脚し、そして復権した。このような社会の表層現象の変化は常に人々に驚きと、時に何百万人に苦痛を与える。私は別に予知能力をもっているわけでないので次に何が起こるか全く分からない。ただただ読者と同様に驚くのみである。
 しかし、人々の心の深層で何が起こっているかという興味は別である。ここ二週間、駆け足でのハンガリーを含むヨーロッパ旅行から帰ったところである。旅行者のちょっと見であるが、ただ二十七年前の留学の際から決まったように訪れるチューリヒの街角をずっと定点観測して見ると、わが心の町チューリヒだけに私にはいろいろとことが見えてくる。
今回最初に驚いたのが、あの奇麗な街角の家々に書き残された汚い落書きである。昔なら想像もつかないことで、恐らくあの掃除好きのスイス人はさぞ頭を痛めていることだろう。
 駅前の美しい誇りにしていた公園は麻薬患者のたまり場になっていた。むしろこの方が分散せず注射針を彼らに供給したりして伝染防止のためによいとのことである。筆者の友人に言わせると、先進ヨーロッパはあまりにも整い過ぎ、表面奇麗すぎるからどうしてもこうなるのだという説明であった。しかし、どうみても尋常ではないく伺かが深いところで起こり、急速に回っているようである。
 それはこれまで人々を働かせ、動かしてきた神話が急に古くなってどこかに去り、急速に人々の心をもはや動かさなくなってしまった。そして、何か新しいものが起こってきて人の心を動かし始めつつある。この個人を超えた意識の革命は政治より徹底的で、静かで、動いたら再び戻らない。
 ここでは神話といっても大げさに考えないでほしい。普通の人が生きていく時どうしても心要な自分のよりどころとする心の中の「お話」である。話したかったり、話したくなかったりするあれである。このお話は人から人に、親から子に受け継がれる。また、その時代の神話があって、大なり小なり結構われわれは難問を抱かず当たり前だと思って生きている。七十年間、ソビエトの人々もこれで生きてきた。つまり人に生きる方向と存在の根拠を与えるのが神話である。
 この国にも「女は家に」 「学校に行けば偉くなる」 「自動車を安く多く」「セックスはいい」-から拝金神話、生涯雇用神話などなどすがる気持ちで信じている。ところが、これらの神話ではもはや動かない人々もまた確実に増えていっているのである。ブダペストの集団神話を信じない人々のその憑(つ)きの落ちた覚めた目は私には印象的であった。     
 そこで思うのだが、たとえ新しい神話でもいまや人間の生き方は多様であり、もはや人がわれわれにその集団の神話を押しつける時代ではない。一人ひとりが選んで自分の神話を歩む時代である。では、私を含めて一体自分には喜んで語るべき自分の神話ともいうべき物語があるだろうか。そして、今その自分の物語を生きているのだろうか。この時点、ゴルバチョフの安否を気遣いながら、そして復帰を喜びながら、こんなことを思っている。(同志社大学教授・宗教心理学)