「がまの脂汗効果」
1992年4月22日 京都新聞 現代のことば
子供のころの懐かしい思い出がある.家の近くの小さなお寺で毎月四の日に夜店が出た。その中にがまの油売りがいた.「さあ、さ!お立合い!御用とお急ぎでないお方は見ておいでよ!」というもので、羽織、袴(はかま)に白はちまきで、やがて真剣を取りだすと、講釈よろしく筑波のがまの油を売るのだった。子供だった私は目を輝かして最前列で、しゃがんで見とれていたものだった。
その私が真剣にスポーツなるものをやりだしたのは六十歳を過ぎてからである。それまではご多分にもれず自分の体の事など一切関心がなかった。そのころ、友人で自分の家の座敷の中で自転車こぎに精を出しているのを見たりすると、「なんと愚かなことを!」と内心思ったりしていた。
ところが、還暦の坂を越えると急に自分の体のことを思い出した。そして水泳を始めたのである。『六十の手習い-泳ぐ』をこの欄に書いたので覚えていられる方もあるかもしれないが、怠けものの私には珍しく、それ以来今でもこれはつづいている。それどころか、病はこうもうにいって、最近は人におだてられて当世はやりのエアロビクスを始めたのである。
赤と白のトレーニングウェアを買って帰った時には、家族にはあきれ顔された。だが、しかしである、やってみるとこれまた驚くことが多い。三面鏡張りの部屋で踊りながら、己が姿を見て筑披のがまよろしくタラリ、タラリと脂汗を流すのである。
六十五歳の肥満のおっさんが若いお嬢さんのトレーナーの指導で飛んだり跳ねたり、その光景はわれながら呆(あき)れたものだと思っている。
その鏡に写ったわが身を見ていると、私とつきあって六十有余年、ふと、よくも私の体は生き長らえて動いてきたものだと思う。大げさにいうと、戦前、戦中、戦後の動乱を働き続けてきたわけである。そして、くたびれ果てて、体をよく見ると脂肪と皺(しわ)の間にあちこちに小さな傷がある。一つは旧制中学のとき登校の途中近道して鉄条網にひっかけて作った傷であり、空襲下逃げまくったときの傷もあり、それこそ一つ一つの傷には思い出があり、歴史がある。
私のような平凡な人間でもそうなのだから、肉体の覚えている歴史は人によってはどのような書物のそれより雄弁であるかもしれない。体に刻まれた傷は小さな傷でも、それを静かにみつめていると、だれでも自分の傷の記憶でその思い出を呼び覚ますことができ、体に対する愛(いと)しきが自然とわいてくるのである。ところで、なによりも体の傷はどんな小さくても人は忘れないから不思議である。
激しい運動のあと、ふと気付いた自分の体の小さな傷、おそらく今、新年度六十五歳で年金年齢に達した私と同様な感慨をもつご同輩、ご自分の体をいたわりながら、これからもお互いに励みましょう。
(同志杜大学教授・宗教心理学)