「大統領の風邪」
1992年1月20日 京都新聞 現代のことば
まかり間違うと、これから起こるかも知れない原子爆弾の地球破壊のなかで、一番レントゲン放射線に強いのはゴキブリであると言われている。そのためかどうか分からないが、突然部屋のなかにゴキブリのやつが出現すると私は殺虫剤のスプレーをもってかけまくりたくなる。苦しがるとこれでもか、これでもかと噴き掛けている自分を発見して苦笑する。
まことに考えてみると人間様の意識の勝手なところで、自分中心である。大げさにいうとこれが大量殺りくの思想かとぞっとする。
この度のプッシュ大統領の訪日はさまざまな感慨をわれわれに残して帰られた。官邸での総理主催の晩餐(ばんさん)の折に突然のお風邪で倒れられたのも、大統領としても初めてなら、たまたまその倒れられたところをテレビで全世界に放映されてしまったことも最初であった。それを見ていたわれわれも大いに心配したものである。大切なお客様がわが家にお泊まりになって、病気になられたようなもので、さぞ接待に当たられた方々はご心配のことだったろう。しかし、大統領も人間だから、風邪にも病気にも、かかるであろう。大統領のおっしゃるように老人だから、民主党員だからかからぬ訳はないのだから。ところが、どうも大統額候補ブッシュは違うらしい。彼は飛行機のタラップをかけ下り、かけ上がらなければならないし、九日間暑いい国と寒い国を駆け回らなければならなかった。わが身に引き比べると、私はむしろ倒れない方がおかしいと思うぐらいである。
これから、二月のニューハンプシャーの予備選挙に始まって、十カ月間、全米が発熱する。差し当たり、日本などどんなとばっちりを受けるか息をのんでいるというところか。その予備選は今回はこの訪日から始まったという声もある。その折も折、その選挙が要求する鉄人、スーパーマンが倒れたのである。世界がハッとするのも無理のないところである。東京で倒れたブッシュと倒れなかったブッシュと比較すると、本意でなくご本人にはまことにお気の毒だが、少なくとも私には倒れた大統領の方がよかったように思う。日米会談の実際は発表になったもの以外素人の私には知るよしもないが、鉄人で押しまくった彼よりも、やはり大統領は人間であったと思われた方がよかったのではないか。
風邪やばい菌や癌(がん)はみな外からきたもので自分で責任を持とうとしても持てないものと考えられている。しかし、心理学者の私には不思議な生き物のように見える。この生き物はいつも自分本位な意識という主人公に何かを語りかけているのではないか。そう言えば時に私も都合よく、そして間の悪い時に風邪を引くし、それで後で自分の意識の危うさをこれで助けられたと感じる時もあった。
大統領はさておき、むしろ地球のため、こころのエコロジーという観点からゴキブリやばい菌、ウイルスは、何と言っているだろうか聞いてみたい気がする。すると能率と絶滅の意識のかなたに、突然に整然と社会を作って寄生しあいながら賢明に生きているアリやハチやサルの知恵の世界が見えてくるかも知れないのである。(同志社大学教授・宗教心理学)