「老いを生きる、命輝く時」

1996年 福井県生活学習館 生涯学習双書 

豊かな人生のために  第13集

 

 

はじめに

 こちらへ参ることができまして、大変うれしく思っております。今、私の紹介をずっとしていただいたんですが、いったい私って何者だろうと、自分でも非常に複雑な人間だなと思って開いておりました。それで皆さんは、なおのこともっとわからなかったんじゃないかと思います。で、私の専門は、一言で言えば「夢と死」なんですね。私はずっとこの研究を続けてまいりましたが、今日はそのうちの「死」ということから「老い」について考えてみたいと思っております。

 ただ私にしても、もし、一度死んだことがあれば自信を持って死とはこうだと皆さんにお話できるんですけれども、残念ながらまだ生きておりますので、最終的にはあまり自信がないんですね。しかし、まあ、いいことには、皆さんの中でも死んだことのある人はひとりもいませんから「それは間違っています。死ぬっていうのはこうです。私、一回死にましたから。」そういう人もいないわけです。だから、お互い一緒に研究し、考え、その上でこういうふうに生きたらいいんじゃないか、あるいは、生きがいというのは、どういうふうに考えたらいいのだろうかということの、それぞれのイメージが、皆さんのなかに自然と浮かび上がってくだされば、それだけでもう、本日の講演会は成功だと思っております。で、そういう目的で本日はやってまいりました。

 

老人の定義――非常に個人差のある老いと年齢――

 

 さて、この「死」という問題、この「死」という漢字の字面というか、顔を見ていても変な字でわかりませんね。で、結局、死が何ものであるかということは字のようによくわからない、不思議なものということですね。同じように、「老い」というものもまた不思議なものですね。いったい何歳から老人になるのか、これは大きな問題です。たとえば、定年が五十五歳から六十歳になった今、年金なんかが問題になってきて、六十歳はまだ老人には早すぎるから、六十五歳から支給しようとか。ところが、ある大学なんかの定年問題では、七十歳がいいだろうと。でも国立大学では六十三歳というぐあいに、今非常にバラバラです。新聞を読みますと、最近、阪神大震災で仮設住宅に入っているお年寄りがよく亡くなられますね。気づかずに、そこで死んでいて、気づいたときにはもう腐敗していたという記事には、六十二歳でも、もうご老人だと書いてあるわけですよね。もう、ピックリしましてね、六十二歳は老人かなと、つい、思っちゃったわけですね。皆さんだって、帰りに交通事故にあえば、ひとりの老人が、あるいは老婆が車にひかれて死んだなんて記事にでますよ。自分は決して老婆じゃないといくらがんばったって、それは新聞記者から見ると老婆なんですよ。だから、その時の記事の具合で、時には青年になったり老人になったり、非常に不安定でということですね。

 ある人が、「あなたがもしバスに乗って、席をゆずられたらどうしますか。」と、提議をしたんですね。中には、私はまだ若いと言って頑張る人もいます。今朝も私は見ました。中学三年生ぐらいのかわいいお嬢さんが、おばあさんが立っていたからパッと席を譲ったわけです。そしたら、そのおばあさん「いえ、私、結構です。」と言って、がんばっちゃっているわけですよね。一見おばあさんに見られた人は、やっぱり座ると、何か自分の人生が終わりになったような気がしたんじゃないでしょうか。多分そのおばあさんは、家でがんばっていらっしゃるんでしょうね。人生がんばっているという事はよくわかりますが、そこまでがんばらなくてもいいんだろうと、私などは思うんです。というのは、あなたがたとえ自分でどう思っていようとも、誰かが席をゆずりたいと思ったら、あなたはもう老人なんです。

 老人とは必ずしも何歳からと一律になるものではないのです。よく考えてみますと、何歳というのもずい分と正確なようにみえますけれども、それは、あなたが生まれた時に、いつ役所に届け出たかという月日にすぎないんです。ある人は、六十歳でもまだピンピンしていらっしゃるだろうし、また、ある人は五十五歳でも歯が抜けて、もう死にそうという人もいるわけですね。ある生理学者の実験ですが、ある単位、たとえば一センチの傷を作るそうですね、ちょっと血がでるくらいのね。そして、それが何日で直るか、それで肉体年齢を測定することができるそうです。あなたが、私はまだ五十五歳だからまだ若いと思っていても、あなたの肉体の使い方が乱暴で、そして大酒飲んで暴れまわったり、夜も寝なかったり、そうやって肉体を磨り減らしていったら、あなたの肉体年齢はもうおじいさんですわね。しかし反対に、非常に大切に体を使っていれば、八十歳になっても彼の肉体は非常に健康的だということなんですね。その暦年齢よりはずっと若いということが言えると思います。

 だから、年齢というのは、我々が考えているほど正確にでてくるものではないのです。たとえ法律でいろんなことを決めても、法律では、その時々のいろいろな社会情勢で年金などを考えるんですから、だめなんですよ。ですから、きちっと決められていて、それを一歳でも過ぎたら老人にならなければならないということではない、と私は思うんですね。

 

深層心理学とは――あなたの知らないあなたを勉強する学問――

 

 年齢にはすごく個人差があるのです。また歯というものは、昔から年と非常に関係があると考えられていたのです。その証拠に、「齢」という文字には「歯」の文字が使われています。実は私は、さきほどもご紹介にあずかりましたように深層心理を研究している者なんです。深い層なんですね。皆さんこの言葉、聞かれたことありますか。知っていらっしゃる方は少しはおられると思いますが、深層というのは、英語で、「デプス」と言います。池が深いとか海が深いとかいう、深さのことなんですね。で、その反対は「アップネス」と言いまして、上の方なんです。「デプス」、これは下の方です。じやあ、何の下かと言いますと、意識の下の方です。上が意識だとすると、その下のことですね。

 たとえば、私が「あなた、私の話を開きながら貧乏ゆすりをしていますよ。」と言うんですよ。すると、あなたは「いやいや私はしていませんよ」と答えますね。それでその人は、ぜんぜん気づいていない。これはその人の意識にはないわけです。このように人間というのは、意識している自分と意識していない自分と両方から成り立っているわけです。そして、私が研究している深層心理というのは、この下の方を勉強するわけです。だから、「あなたが知っているあなたではなくて、あなたが知らないあなたを勉強する学問」 これが深層心理学です。ですから、先ほどの話に戻りますが、あなたは意識的にご存じないんですから、貧乏ゆすりしていたことなんか知らないわけです。「あなた、知っていますよ。」と言っても、「いいえ、私は知りません。」と言うに決まってるわけです。そんなあなたの知らないあなたに、私はたまらなく興味を持つわけです。そういう学問をしています。どうやって研究をするかと言いますと、それを話し出すと、とっても長くなるんでけれど、たとえば、ひとつは夢というのがあります。夢というのは寝たときに見るものですね。この夢を解釈したり研究したりすると、その人が何を考えているのか、どういう人生を生きているかということがわかるわけです。これも一つの資料になるわけです。そういうふうにして、あなたの知らないあなたを勉強するという学問があるということを、皆さんおわかりいただけたことと思います。

 たとえば、皆さん、お家を引っ越したりなんかする時、あるいは、育った部屋を移るときに掃除していると、昔書いた日記などがでてくる時があるでしょう。ああこれは、昔私が書いたんだと、そのノートを夢中になってお読みになりますよね。そして読んでみると、なかなかいいことが書いてあるんです。ああ、昔は恵も、天才だったかも知れない。それに反して、今の私は、ぼけてしまって「なんたるちや」という、そういう感じになってくるわけですよ。そうでしょう、私なんかも、若い時よく心理学関係の辞書なんかも書かせられました。でも、書いたことも忘れてしまうことが多いんです。ところが今、原稿を書こうと思って辞書をひくでしょう。私はユング心理学専門ですから、そういう所を引く時、パッとそういう項目がでてきますね。「オオッ、こんな所にこんなものが出ているとは。」それで、よく見るとなかなかいいことが書いてあるんですよ。こんなよい学者日本にいたかな、ずっと読んでいくと最後に樋口和彦なんてでてくるんですよね。「なんや。自分が書いたことももう忘れている。」それはもう、ぼけた証拠なんですけれども、だけど、これを書いたときの私は、いったい何処へ行っているんだろうと思うわけですよね。で、どこへも行っていない。それは私の無意識の中に入っているわけです。意識はもう違ってしまっているというわけです。そして、そういう私の思い出や記憶を勉強する学問が深層心理学なわけです。

 

年齢と歯の関係

 

 そこで、深層心理の観点から「老い」や「死」というものを見ていくと、非常に関連しているのが歯なんです。年齢というのは歯と非常に連結しているわけです。たとえば、子供さんの場合、最初にはえてくるのは乳歯です。それからその乳歯がとれて、永久歯が出てきます。このころ、子供というのは非常に不安定になります。そして、福井ではどうでしょうか。そのとれた歯を上の歯だったら縁の下に埋めてやるとか。下の歯だったら、屋根に投げると次にはえてくる歯がいい歯になるとか、その地方地方によって、いろいろ、おまじないやしきたりがあるんですよ。そして、グラグラになったりすると、子供はものすごく心配するんです。その歯がぬけて永久歯がはえてくると、なにかおにいちゃんになったような、しつかりとした子供になって自信をもちます。特に、前歯と「きば」というか犬歯がはえてきた時というのが、人間が一番自信を持つときなんです。なぜかというと、歯というのは、最終的な武器だからです。もし自分がなにひとつ武器をもっていなくとも、最終的にはかむことができるのです。お母さんの腕をかんだりね。その時歯がしっかりしていると、自分に対して、とってもとっても自信をもつことができるんです。それで、「おにいちゃんいくつ。」と聞くと、「僕はもう五歳になったんだよ。」と元気よく言えるんです。ところが反対に、年をとってくると、歯がとれるんです。皆さんはどうですか。歯が取れるときが一番「老い」を感じるんじゃありませんか。自分がまだ若いと思っていると、ある日、ボリッといってしまった。その時に「ああ、おれは年をとってしまった。」ということを痛切に感じるんです。そして、歯が全部とれて総入れ歯になると、「私はもうだめだ、歯が一本もない。老いさらばえてあとは死ぬのを待つだけ」といって、生き甲斐どころか、もう何もなくなってしまうというそういうことなんです。ですから、歯を大事にするということはものすごく大切なことです。

 私はこれでいいかげんに年をとっているんで、私の時代は、だいたい戦争で死ぬことになっていましたから、歯なんか大事にしようなんていう気持ちは、ほとんどなかったんです。もちろん、歯を磨けということは学校で習いましたけれど、もう二十歳を過ぎれば、あと何年かで戦争で死んでしまうというふうに私は思っていましたし、また、大部分の日本人がそう思っていました。それから、それを過ぎても人生はだいたい四十歳から五十歳ぐらいでした。そうでしょう、子供を育てたら、だいたい親は死んで、サイクルは終わるということになっていたわけです。だからまあ、歯は丈夫なほうがいいのですが、まさか今のように、八十歳、九十歳まで生きる時代がくるとは夢にも思いませんでした。ですから、こういう長寿時代で生きるということが最初からわかっていたら、私ももう少し、歯を大事にしていました。皆さんも、そう思いませんか。髪の毛だって体だって、もう少し大事に大切にとりあつかっていましたよ。

 

自分の人生について常に考える時代

 

 今まさにそういう時代がきているわけです。昔は何といいますか、子供を育て上げたら、四十、五十歳で死んでサイクルが終わっていましたが、今はそれからちょうどあと半分を生きなきゃいけないんですよ。皆さん、どうやって生きますか。これが老いの問題ということになってきます。ですから、子供さん達が結婚され育っていった時、ようやく一息ついてあたりを見回したら、自分達の目の前に長い人生が待っていたということなんです。

 結婚している人がいれば、その人とこれから何十年間か生きていくわけですよ。ですからこのごろは、こんな話があります。定年になったご夫婦で、定年を迎えた翌日、お昼になっても奥さんがいっこうに食事を作ろうとしないから、「どうした、もう、お昼だ。ご飯にしよう。」 と言ったら、「あなたは、きのうまで私達のためにずっと働いてくれました。だから私は家で一生懸命ご飯を作っていたけれど、あなたも私と同じように、今日から会社へ行かないじゃないですか。なんで私がご飯を作らなきゃ行けないんですか。もし、あなたが、お腹が減ったのなら、あなたが自分で作って食べたらいいじゃないですか。」と言われて、愕然としたんだそうです。でもまだ、愕然としているぐらいならまだいいんですけれども、女の人は突然に、「今までずっとつくしてきたけれど、自分にも一回しかないかけがえのない人生なんです。もう私は必要なくなったんだから、私は私の自分だけの人生を生きます。ではさようなら。」と、言いますからね。これは、自己実現症候群というんです。妻が「さようなら」と言うので、夫の方が「なにか俺に不満があるのか」と言うと、「いや、あなたには何の不満もありません。とってもよくしていただきました。ありがとうございました。でも、さようなら。」で、一巻の終わりです。奥さんの方にしたって、一回しかないかけがえのない人生ですから。

 私の母も最近、九十四歳で亡くなりました。父親が亡くなってから実に三十年ぐらい生きました。母は明治の女ですから、父の生きている間は本当に父のためにつくしました。父もまた明治の男でしたから、そりゃ家庭人としてはひどい人間でした。今の人だったら、恐らく耐えられないだろうと思います。しかし、私の母はちゃんと耐えて、そして仕えました。でもなぜか知らないけれど、母は自分の方が長く生きるという確信を持っていました。そして、父の死後最初の一年は、本当に嘆き哀しんでいました。私達も、この人はこれだけ嘆いているんだから、大変だなと思っていましたが、それも、一年間だけでした。この間、母が亡くなりましたけれども、その時、兄弟たちが集まって、みんなで思い出話をしました。「そういえばここ何年もの間、おじいちゃんの名前一度も開かなかったな。」と言ったりしました。前半は、これはおじいちゃんといっしょのおじいちゃんのための人生。だけど後半分は、これは私のための私の人生と本当に堂々と生きましたから、やっぱり明治の女は、すごいものだなと思いましたね。そういう面から見ると、昭和とか平成の女は中途半端ですね。平成なんかになっていきますと、すぐに「さようなら」なんてなるかも知れませんね。「長いことお世話になりました。では失礼いたします。」と出ていってしまう。それで、私は、男も女もいったい自分の人生とは何なのか、何のために生きているのか考えて生きていく必要があると思うんですよね。特に老いの時代というものを生き生きと生きていくために、人様の代理の人生ではなくて自分の人生というものはなんであるか、また、それを生きていくということを、ひとりで考えなければならない時代がいよいよやってきたと考えなければならないと思うんです。

 

老いを生き抜くために

 

誰かのための時代ではなくて、自分のための人生を考えなければならない時代がやってきて、そういう時多くの人々は、何も考えていなかったことに気づくわけですね。そこで、よく考えて見ると、自分の心の中はまったく空虚であり、何をしていいか皆目見当がつかないというわけですね。そして、そういう人が最近非常に多くなり、夢の分析なんかをやっている所へいらっしゃる方々が増えてきましたね。そういう方々は、たいてい、「私は別に何も不満はありません。子供たちはみんなちゃんと育っています。家も不自由なくあります。でも、何か不満なんです。自分の人生が何であったか、そして、この空虚さというものは、いったいどうして生じてしまったのか、それを見つけてみたいんです。」とおっしゃって、来られるんですね。

 そういうわけで、私は、こういう老いの問題や死の問題を、その人達といっしょに考え始めるようになったわけです。で、いよいよ、老いをどうやって生きるかという問題を考えていきたいと思います。

 最近、医学の分野では、末期ガンの患者に対して、患者さんの「生命の質」をどういうふうに考えるかということが強く言われるようになってきました。時間がだんだん終わりに近づいてくると、時間の質がだんだんと高くなってくるわけです。これを「生命の質」と言っております。生命の量ではなく、生命の質なんですね。大切なのは、今までの医療では、できるだけ生命を延ばすという考え方をしていたのですが、いくら延ばしたって、必ず最期がやってくるわけなんです。ずっと生きっぱなしということは、絶対ないわけなんですね。そこで、終わりを意識すればするほど、今度はその生命の質をどうやって高めていくかということが問題になっていくわけです。青年時代も、毎日毎日が輝いていて、非常にいい人生を送ったとします。けれども老年の時代というのは、ある意味では青年時代とは違っていますが、一瞬一瞬は非常に大切な時なのですね。そして、それをどういうふうに自分で受け取っていくかということが問題になっていくわけなんですね。それで、こういう考え方をする人もいるんです。現代人というのは誕生から始まって、ずっと向上していくという考え方ですね。このように、意識の流れというのは常に向上していくという考え方を持っている人が、非常に多いんですね。皆さんもそう思われませんか。私達は、知らないこともだんだん年をとってわかるし、無限に向上し続けるんだと。中には、たとえ死があっても、それは意識がないんだから、結論的には死もないんだとおっしゃる方もいます。まだ、終わりがあるんだと考えられる方はいいんですが、現代人というのは、おもしろおかしくそのままずっといってしまうという考えをもっていらっしゃる方が一番多いですね。

 さきほど、年齢と歯の関係をお請いたしましたが、人間の身体というのは、赤ん坊の時は発達していませんが、だんだん発達して、二十歳から、三十歳ぐらいの時が一番発達し、あとは下がっていくだけです。それでお肌の曲がり角といわれますが、その曲がり角から曲がっていくわけです。分岐点みたいな所があります。山登りをして、坂の頂上にたどり着いた時に、向う側が突然にサーツと開くときがあるでしょ。同じように、自分の人生が全部見える時というのも一度は必ずあるんですね。そんなこと感じられたことはありませんか。ある女の方ですが、三十歳の誕生日を迎えられた時が、私にはショックでしたと言っていましたね。またある人は、四十歳の時がショックだったらしいですよ。四十歳なんていうのはその人にとっては、動物園の象と小学校の校長先生だけがかかる病気だと思っていたんだそうですよ。ある日自分が朝起きて、鏡に向かって自分の顔を見たときにハッと思い出したんですね。今日は四十歳の誕生日だ。もう三十歳代ではない。今日からはいよいよ四十歳だと思ったんですよね。めちゃめちゃ悪いトリックにかかったみたいで、ものすごく彼女はうろたえたんでしょう。私は職業はもっているけれども、結婚していないし子供もいない。いったい私の人生が何であるかということが少しもわかっていないのに、もう四十歳になってしまった。彼女はえらくうろたえたわけですよね。まだずっと向こうまで行かなければ最後は見えないと思っていたのに、まん中の一番頂上に立った時に向う側が、突然パーツと見えちゃったわけなんです。たかが課長で私は終わりかと、たかが小間物屋で私の人生は終わりか。自分の人生の全体がパーツと一望のもとに見えてしまうんですからね。そうすると、多くの人は、今度はうろたえて、こんなことではいけない。もっとがんばらなっくちゃいけない。もっとたくさん恋をしなければいけない。もっと幸福にならなくてはと、それでジョギングを始めたり、ゴルフを始めたり、男の方だったらだいたいそうですよ。これが女の方だったら、そのあたりがだいたいお肌の急激な曲がり角だから、しわができ始めますね。一本のしわをのばすために、もう何万円投資してもいいと思うんですね。ありとあらゆる化粧品を買ってきて、パーツとぬりたくって、このしわをとろうとするわけです。ところが、とってもとっても、だんだん落差は激しくなる一方なんです。「まだ大丈夫です。まだ間にあいます。」とねらわれて、使い続けるわけなんですね。化粧品会社は、「それは、あなたが悪い化粧品を使っているからしわがふえるんで、当店の当会社のをお使いになれば、まだ、まだ、大丈夫ですよ」と宣伝するわけです。でも、そのうちに、みんな途中でやめてしまうのは、やっぱりいくら使い続けていても、どんどんしわの方が増えていってしまうからなんですね。そして、最後には諦めて、また下降線に移っていくわけですね。それでよく木登りしたり無理したりして、落っこちたり、転がったりして入院して、ようやく自分が年だということがわかったといって、いよいよ観念して年寄りになっていくという、そういうパターンなんです。

 ところが、よく考えて見ると、上昇期に適応することも非常に難しいんですね。たとえば、中学生ぐらいの時にどんどん背が伸びていって、男の子らしい筋肉ができてきて、ひげがはえてきて、どんどん男らしくなっている。こういう時、中学生とか高校生が、毎晩毎晩、それらしく心と体を一致させていくということは、非常に難しいですよ。私も旧制中学校の時でしたけど、まあ入学したときは、妨やみたいなもんですが、卒業するときは、ひげがはえていっぱしのおっさんみたいな感じで出ていくわけですから。だけど、ひげなんてみんな一斉にはえてくるかというと、はえてこないんですよ。みんながはえているのに、自分だけがはえないのもすごく困るんですよ。だからあの時代というのは、本当には、かなり不安定になります。

 女の子でもそうでしょう。胸が出てきたり、月経が始まるのも、全部一斉に、A組は明日同時に始まるとか、そうなればいいのですが、そうじゃないですね。みんないつ胸がでるか、いつ月経が始まるかわからないし、ひとりひとりの時期が違うわけです。そうすると、みんな、自分が早すぎるんじゃないかとか、遅すぎるんじゃないかとか、ものすごく不安定になるわけなんです。だから、上昇期というのも適応するにはかなり不安定をわけです。

 ところが上昇期というのはまだいいと思います。なぜならば、いい方に適応するからです。あとで考えてみると、ひげがはえたり、背が高くなったり、別にたいしたことではなく、いずれみんながそうなってしまうわけですから、いつかは忘れてしまうような、そういうことなんですね。ところがですね、一番大変なのは、この老いというのは、下降期に適応するわけです。だんだん死に向かってふけこんでいくわけです。自分の家は今まで大家族で楽しく暮らしていたのが、子どもが一人、二人と結婚したりして、だんだん減って小家族になっていくわけでしょう。そして、最後に残ったのが、じいさんとばあさんですね。ところが、じいさんとばあさんが一緒に死ぬかといったら、死ねないんですよね。どちらかが先に死ぬんですよ。日本ではだいたいばあさんのほうがずっとあとまで残ることになってますけどね。でも中には、先に死ぬばあさんだっているわけでして一緒に死のうといっても、そう簡単にいかないわけです。必ず単独者になるわけです。独居老人とはまさしくこのことですね。ひとりになるわけです。愛し合った二人が一緒に死ぬということを、「情死」というんですが、この情死というのは、日本では、近松の心中物がありますよね。これは、外国人にはあまり理解出来ないようですが、日本人にとっては、最高の人生ですよね。輝かしいですね。道行きというのは、これからふたりで死出の旅に行くことですね。

 私も本当はやってみたいと思うんですが、ただ、一人じゃ絶対できないんです。奥さんが「うん。」と言わなきゃできないんですよ。ここが本当に難しいところなんです。「あんた、何か悪いことしたの。」とか、「あんた、何考えているの。」とか言われると、もう気持ちがなえてしまって、やることができないんですよ。だから、よっぽどの人でないとできません。で、いよいよ死ぬという時、こういう二人の自殺というのは、どちらかが先に死ぬんです。その時「どうぞ、あなたお先に。」とか、「いえ、あなたこそ。」とか言って、不思議なことにもめるんですね。どちらかが先に死ぬかで。「あなたは、もし私が先に死んだら、怖くなっちゃって死ぬのやめるんでしょう。」「お前、何でそんなことばかり言うんだ。」と、言ってね。そこでもめてしまって、情死できなくなるんですよ。

 私は、それほど二人が愛しあっているのなら、何も死ななくても、誰も認めてくれなくても、人生死ぬ覚悟でやれば、生きていけるんじゃないかと思うんですよ。死ぬ必要なんてないというわけです。そういうことは、二人で死んで行くということが、いかに難しいかということなんですね。

 誰でも最後は一人になるわけです。長年連れ添った愛する人と別れなければならない。別れて、そして死に向かってずっと生きていく。これは、人間にとって非常に勇気のいることだと思うんです。きちっと覚悟をし、きちっとした生き甲菱をもっていないといけないのではないかと思うわけです。

 そういうふうに言われると、皆さんは、「私はぜんぜん考えたこともない。」と言われるんです。「私は、そんな立派な人じゃないから、絶対できっこない、私のことはいいです。放っておいてください。私はどうせろくなやつじゃありませんから。」とか言って、とたんにかえって、そっくり返っちゃう人が随分いるんですけれど、そっくり返っても、何しても同じですよ。同じように死に向かっていくわけですから。

 私がこういう死の問題を考え始めたのは、さっきの紹介にもありましたように、神学部で教えていましたから、「宗教の世界」、「医学の世界」と「心理学の世界」、この三つの世界の学際研究をしていたからです。私が最初、こういう研究を始めたのは、今から二、三十年前でしたね。そのころの、特に宗教的な世界の文献では、どんなに立派に死んでいくかという本だけが出ていました。たとえば、りっぱなお坊さんはどうやって死んでいくか。立派な軍人というのは、どんなに立派に死んでいくか。それから、立派な哲学者の最後はどうであったか。夏目漱石はどうであったか等という本はたくさん出ていましたね。その他、『忍び草』などという、夫はこんな立派な人であったというふうな思い出を書いた自費出版というもの、これもたくさんありましたね。でも、そういうたぐいのものは全部、立派な人の死、美化された死、そういうものでしたね。そんな中で、私が興味を持ったのは、立派じゃない人の死、そういうものなのです。宗教もない普通の人が死んでいく時、どういうふうになっていくんだろう、と思って研究を始め、いろんな資料を集めて見たら、意外とそういう研究はなかったんです。当時、「死」なんていうものは研究できませんでしたし、研究した人もいなかったようですね。そうなってくると、私はますます興味を持って、どうして研究しないんだろうと思ったわけです。じゃあ、人間はどういうふうに死ぬんだろうか、人間の末期とはどういうふうになっているんだろうかと考えたわけです。

 

老いを見つめる

 

 そうしているうちに、世界的にもいろんな人の研究というのが、次第に出始め、そういうタプーを破る研究がだんだん多くなってきましたね。それによって、なぜ、今までこういう研究がなかったのか、現代人というのはなぜ、死というものを極端に恐れるのかということが、だんだんわかってきたわけです。それは、どういうことかといいますと、現代人というのは、特別な価値観というもの、ひとつのスタイルをもっているわけですよね。ひずみをもっているわけです。健康とか若さ、幸福、これはいい価値です。その反対に、病気とか老い、不幸、こういうものはすべて否定概念、負の価値なんですね。そして、いらないものとして、これを社会の外に追いやってしまうわけです。

 昔の日本の社会では、不幸というものは起こっては困るけど、あるものだということが予想されて社会ができていました。したがって、どこへ葬るかということで墓地がありましたし、それから、葬儀があるときは誰が手伝うかとか、葬列は誰が先頭に立つかとか、みんなあらかじめ決められていたわけです。そして小さいときから、人間が亡くなるということを身近に感じていたわけです。死ぬということは哀しいことで異常なことだけれども、身近なこととして、それを感じていたわけです。 ところが現代社会の中では、たとえ死ぬといっても、家ではもう死ねなくなる。ほとんど、病院で死ななきゃならないわけです。だから、私なんかも風邪などをひいて、病院へ行くと、いつも思うんですが、だいたい病院というのは、なぜあんなに、白い四角形で建っているんだろうかとね。あの白い四角形をみていると、私は風邪だけれども、もしかしたら死んでしまうかも知れない。行ったら最後、もう二度と出られないんじゃないかというふうに思いますよね。それで、「帰っていい。」と言われて喜んで帰りますけれど、「今晩入院しなさい。検査します。」と言われると、ほとんど死ぬほどの恐怖感を感じてしまいます。

 というように、世間では、若い人の音楽や、スポーツ、ファッションなど何でも、それらに高い価値をおき、老いというものは全く価値がないものとして、否定してしまうという風潮があるわけです。ですから、現代の老人というのは、「中古の青年」になってしまったわけです。そのあげくに、この世の中のどこを見回しても、老人がどこにもいなくなってしまったという、おかしなことになってしまったわけです。みんな、髪の毛がないのに青年の格好をして登山なんか行って骨折したりする。青年のまねをしているわけです。ところが、よく考えてみると、老年期というのも、固有の人生の大切なひとつの時期なんですね。青年期も大切かも知れないが、それに負けず劣らず、老年期というものも大切であるということをみんな知らなくてはいけないわけです。

 

若い世代と老人世代とのコミュニティづくりの必要性

 

 それを研究してみますと、社会の中に負の価値が生じてしまって、処理しきれなくなる、そういう現象が起こってくるわけです。老人を目の前からみんなしめ出してしまうということになると、じゃあ、どこへ老人たちを集めるかという問題が起こってきます。そうして老人だけを集めると、その老人だけが、集まっている社会というのは、異様な社会になります。

 アメリカで一九七〇年代にかけて実際にあったことなんですが、あの頃のアメリカは立派な国でしたし、また、お金もたくさんありましたから、人々は寒いところに住まずに、老後はみんなフロリダへ行って住んだのですね。そして、そういう街をサン・シティと呼んで、太陽の街を作ったんです。太陽がサンサンと輝き、ハワイのような所ですね。そんなふうに日光のあたる所に老人が行くと、非常に長生きできるといって多くの老人達が、カルフォルニアやロサンゼルスのまわりに集まって、そういう街を作ったわけです。ところが、作って二、三年たった時に非常に大きな問題が生じてきたわけです。どういうことかと言いますと、みんないくら若い服を着ていても、老人ということは一目でわかるんですね。そして、老人だけそういうところに集まるというのは、それだけでもう異常な世界なわけですよね。だから今、老人ホームなんかで、老人だけを集めてしまうと、たとえば物がなくなってしまったとか、「あなた私の夕食食べたでしょ」とか、いろんなそんな暗い噂、本当とも嘘とも区別のつかない現象がどんどん起きてきますね。それで、それではいけない。若い世代と老人の世代がちゃんと組みあって、老人がいれば子供も若者もいる、子供が歩き回っているそばに老人ホームがある、という、雑多な人間が住んで初めて、人間としての、人間らしいコミュニティが出来上がるのだという考え方が起こってきたわけですね。こういう考え方が、今までの反省から一九入○年代から一九九〇年代にかけて、起こってきたわけです。

 

老いを恐れることの無意味さ、愚かさ

 

 ですから最近は、日本でも特別養護老人ホーム(特養老)と保育園を同じ敷座内に作ろうとする考え方が出てくるようになりました。私の知っている病院の敷地内にも特養老と、その病院の職員の子供さん達をあずかる保育園とがあります。夏なんか見ていますと、その子供たちがプールへ一列になって行くんですよね。そうすると、老人は、子供たちがプールヘ行くのがわかっていますから、十時ぐらいになると、みんな、窓際へ来て待っているんです。そして、子供が一人ずつ来ると老人はまた手を振ってプールの方へ行くんですね。あれを見ていると、子供というのは、見てくれている人がいると何でもするということがよくわかりますね。逆立ちでもなんでもするんです。反対に老人というのは時間が余ってますから、見るものが必要なんですね。しかもですよ、動作がだんだんゆっくりになってきますから、このゆっくりに捕まったら、なお老人になっちゃうわけです。それで、この「老人」から脱却するためには魚を見るとか、子供達と一緒に過ごすとか、いうことが必要なんですね。子供というの、こっちへ来たかと思うと、あっちへ行ってしまうし、お魚だってそうでしょう。あれを追っているとね、今まで、自分ののろかったものが、急に元に戻って、若返るわけです。そういう意味では、老人にとって子供というものはとても必要だし、また、子供にとって老人ほど、こんなに一生懸金自分達のことを見てくれる存在はないわけです。それで、お孫さんと、おじいさんというのは、非常に親和感があるわけです。だから、おじいさんの言うことは、孫は意外に素直に、それはそうだと思って心に入れることができるわけなんです。また、孫の言うことは、おじいさんは意外とスーッと聞くわけです。もちろん、世の中には頑固じいさんもおりますから、全然受け付けないという人もおります。ところが、お父さんが自分の息子に言うと、僕の息子なんかもそうですが、僕がやれということだけやらないんです。おやじがやらなかったものをやりたがる。ですから、ここらへんが非常に不思議なことであって、私が思うのには、健康とか若さとかこういう価値を決して否定はしないですけども、深層心理学的な立場から言わせていただくと、意識の方があまりに発達し過ぎると、必ず、無意識の中に、こういう暗い面が育ってしまうわけなんですね。それが急にパッと顔を出した時に、それは、非常に恐ろしいものに膨らんでいくわけです。予想しない面があるわけです。そのおばけの存在をきちっと見きわめれば、たいしたことないんですが、老いとか死とかいうのは、やっぱりそういうものだと思うんですね。これらは、誰かが作ったものでもなければ、誰かにだけ特別に起こるということではなくて、誰にでも、自然に起こるものです。だから、年をとっていくということは、新しい体験であって、それは誰にとっても、ある意味で怖いことなんですが、しかし、不必要な恐れというものはなくさなければいけないのです。

 そういうふうに見ていくと、死ということの中に、全然違ったものが見えてくるようになるわけです。

 

人間はどういうふうに死んでいくのか――長寿社会における、ターミナル・ケアー――

 

 次に、ではそれならば、人間はどんなふうに死んでいくのでしょうか。だんだん恐ろしい話になってきましたが、今私が話しているのは、皆さんに死を怖がらせないように話しているわけです。そんなにたいしたことではないですよ、と言いながら話しているわけですが、私にとっても、死は未知の体験で、やっぱり怖いわけです。それで、怖いですけれども、不必要な怖さというものはないわけです。

 それで、死に至るまでの最終段階、これは最近ではターミナル・ケアといいますが、これは、最近、看護学とか医学とか、それから社会福祉学とか、いろんな人がいろんなふうに考え始めているわけです。ターミナル・ケアというのは、人間の末期医療のことですね。ケア(Care)というのと、キュア(Cure)というのは違います。aとuが違うだけで意味が全然違ってくるわけです。これまで日本の医療というのは、キュア、つまり全部治すことを中心に考えてきました。だから、盲腸になって病院へ行けば、いい病院だったらすぐ手術して治してくれる。そういう形で病院というのはできてきたわけなんですね。ところが、医療も進歩し、人間の寿命も延びてくると、治らないものが出てくるわけですね。その最たるものが老いとか死なんですね。これは決して病気じゃないわけです。みんな、老いとか死を病気として今の医療では扱いますけれどもね。

 まあ年をとると付随的に病気がでてきますから、病人になって、病院へ行くわけですが、中には、病気をもたないご老人というのもいるわけです。だから、老いとか死というのは決して病気じゃないわけです。これを病人にするのは、それは間違いなんです。じゃあ、どうするのかというと、病気だったら、これは治療できるわけです。でも、治療できないものが出てくるわけです。これは治療は必要ないわけです。そうじゃなくて、ケアが必要なわけです。ケアというのは何かというと、日本語では「世話」ですね。一方、治療というのは、特に十九世紀から二十世紀のドイツがめざましい進歩をとげた時に細菌学とか外科学が入ってきて、それこそ魔術的に治りましたから、日本人みんなが、近代医学を信じていけば何でも治してくれるというように思ってしまったわけですね。でも、全体の歴史を見てみますと、人間がそんなに治った時代というのはあまりないんですよね。ペストでたくさん死んでしまったこともあるし、また、ちょっと前までは、結核は不治の病だったんですよ。そして、たくさんの人が、特に頭のいい人とかなんかが結核の療養所にいて、それでずっと死と戦ってきたんですよ。堀辰雄とかね。遠藤周作さんなんかでも、青年時代に結核にかかり、その戦っている時の体験というものが、すばらしい文学を産み出しているんですね。ところが今は、ペニシリンだとかさまざまな薬、医療器械、その上、栄養が非常にゆきわたるようになって、人間の寿命というものは、目覚ましく延びたわけですよね。しかし、どんなに延びようと、最終的には老いというものは残るわけです。だから、ケアというものが必要になってくるわけです。

 世話というのは皆さん、どういうふうにお考えになりますか。この世話は、あまり天下国家とは関係ないことなんですね。世話をやくというのは、なにくれとなく小さなことを、心をかけてすることなんです。だから、さすってあげるとか、食べさせてあげるとかいうことは、近代の価値観からみると、それはまるっきり価値がないように見えるわけですが、大切なことに、今になって生きているわけです。

 昔から女性にとって、赤ちゃんの世話をするとか病人の看護をするとかいうことが、非常に得意な分野だったわけです。そして、男性の華やかさに反して、女性の看護学というものは、ずうっと下に見られてきたわけです。ところが最近にいたって、実は世話をするということは非常に大切なことではないかと、その価値を認められてきたわけです。

亡くなっていく人のターミナル・ケアの場所として、ホスピスがあります。もうこのことはみなさんご存じでしょうが、近代的設備でいろんなことをせずに、人生最期の時間は、痛みをとったり、それから、いろんなことをやってくれる人がまわりにいたりして、家族に看取られて死んでいく場所なんですね。それで、そこは家族といっしょに寝ることもできるし、で、また普段、猫といっしょに暮らしていた女性などは、自分がもし病気になっても、猫といっしょに入院したいし、また生きていきたいわけです。そういうことも最近かなえられるようになってきたんですね。それから、ある病院、これはアメリカの病院の話ですが、そのホスピスの中には犬が一匹いまして、その犬はちゃんとちゃんちゃんこを着せてもらって、蝶ネクタイを締めて歩いているんですね。そして、病院のマイクが、その犬の名前を呼んでいるわけですね。「○○ちゃん、ナース・ステーションにいらっしゃい。」と言うと、犬は、ぱっぱっとそこへ行くわけですね。そうして、病院の中に犬が一匹いるだけで、そこの空気がなごむわけです。その病院は、その犬を、看護人と同じように、食事をやったり、みんなのところを回って頭をなでてもらったりして、本当に同じように待遇しているわけなんです。そして、そういうふうに、ペットに病院の中を自由に歩き回らせ、病人たちと接触させる方が、生きがいのために、ずうっと大切なわけなんです。

 庭があったり、花に水をやったり、それから、そういうペットといっしょに過ごしたり、家族が行っても泊まれたり、それからお祈りをする所があったり、音楽を開く場所があったり、町からいろんなボランティアの人がきて、仕事をしてくれるだけじゃなく、紙芝居をやってくれたり、いっしょに踊ってくれたり、お話してくれたり、手品をやってくれたり、そういう催し物も、ふつうのコミュニティと同じようにして「交わりのある死」を迎えることができるのが、本当の意味でのターミナル・ケアだと思うんですね。死というのは、先程から分からない言葉だと言いましたけれども、これはまさしく孤独ということですね。実は死というのは、関係を切ることなんですね。死というのは「あの本を書きあげるまで待ってくれ。」とか「孫が生れるまで待ってくれ。」などという、私たちのささやかな希望とか、考え、都合は一切無視して、突然に侵入してきて、私と家族とか、いろんな関係を切断してしまうわけです。私と妻の間、私と友人の間、社会の間とか、一切がっさい切断してしまうわけです。すると、死にとって一番怖いのは何かといいますと、関係です。交わりですね。だから、人間の意識が終わる最期の時まで、交わりをどうやって保っていけるかということが重要な課題になっています。

 私は、大学院の学生を病院に連れていって、末期ガン患者さんのところを訪問させています。そして、我々はそこから何を学んだかということをディスカッションするわけですが、我々は死を恐れるあまり、本当に病人の話を聞かなかったり、本当にその人のしたいことを開かなかったりするんですね。こんなふうに死というものに最初からやられているという場合が多いわけですね。聞いてみると、亡くなっていく人はたいてい、自分のことを心配するのではをくて、残されていく者たちが大丈夫だろうかということを、むしろ心配しているわけです。心残りみたいなものがあるんですね。その心残りというのは、例えば、自分の娘は結婚する時、「私は怒って勘当同然で別れた。今は東京で家族を持っているが、そのことを一言謝りたい。」そういうふうに言う人がいます。このように、亡くなっていく人というのは、意外とささやかな願いを持つことが多いんですね。もう一度自分の生れ故郷の大福が食いたいとかね。そんなつまらないことを言うわけです。これが世話なんです。本当にその大福を買ってきてあげたり、本当にその娘を捜し出してきて、お父さんに合わせてあげる。お父さんと娘が抱き合って泣いて、そして謝って、そしてその日から、見違えるように、そのお父さんは元気を回復してしまうということもあるんですよね。

 

「命輝く時」 ――生きる喜びを味わう――

 

 我々は命があるというと、意識して体を動かしていればいいというふうに思いますが、それでいいというものでもないのです。私も、経験がありますが、やりたくないことがありますと、この体はとても重いですよね。そしてこの重い体を動かして福井まで来るというのは、本当に大変なことですよね。ところが、ここへ来て話を聞いてくれる皆さんがたくさんいらっしゃる、だから、今日は行かなきゃならないとなると、休も見違えるように軽くなるわけですよね。このように、我々が生きているということは、必ずしも息をしていたり、飯を食って、エネルギーを出しているということそれだけではないわけです。生きているということは、生き生きとしていることであって、本当は、うれしくてうれしくて仕方がない状態のことを、あの人は生きているっていうわけです。

 ただ生きているっていうのは、これは生命体として生命を維持しているという低級の生き方であって、実際はそうしているうちにだんだんと免疫が低下してしまって、本当に死んでしまう。それから、体は生きているけれども、植物人間になってしまって、もはやその人は死んだも同然という、そういう命もあるわけですよね。

 私は、みんなが命というものを考えられた時に、命より輝かしいそういう命をどうやって得られるのか、そして、誰かに求められている、私はかけがえのない人間で、誰かのためになっている、社会のためになっている、家族のためになっている、そんなことを考えることにあると思います。そして、誰かのために生きなければならないと考えた時、うれしくて仕方がないでしょうし、また、命が一番輝くというふうに思います。言い換えますと、他人との関係の中で自分自身を見出した時が最も命が輝くのではないかと思うのです。

 「寿命」という言葉があります。私の寿命は何歳ぐらいかしらと、みんな一度は考えますね。私はこの前、この漢字を見た時に、ハッと思いました。寿命というのは命を寿(ことほ)ぐと書くんですね。自分の命を寿いでいるか、喜んでいるか、そしてその中に本当の命というものがあるのだと思います。老いを生きるということは、自分の寿命に感謝して寿ぐということで、そこで初めて、本当に生きていけるのではないかと思うのです。人生長い方がいいとか、短い方がいいとかいうことではないのです。中味なんです。内から自然と出てまたそういう喜びというものに満たされているというそういう時に、あなたの寿命があるということ。また、私の寿命があるということではないかと思います。

 まあ、こういうふうにお話してきて、だいたい時間がまいりましたので、一応今日のお話は、これで終わりにしたいと思います。恐らくこれだけお話すれば、みなさんはみなさんなりに、ご自分の人生をお考えになっておられると思います。長らく御清聴ありがとうございました。

 

平成七年十月二十八日生きがいライフプラン講座から収録:福井県生活学習館において 文責編集事務局

(1996年 福井県生活学習館 「豊かな人生のために 第13集 生涯学習双書」 発行所:生活学習館)