崩壊する家庭――破れぬ神の姿を求めて――

テモテへの手紙第二 3~14節

(1996年8月18日 京都丸太町教会説教)

 

説教というもの

今日は「崩壊する家庭」という題で皆さんにお話しをしようとしています。けれども私は、日本の家庭が他の国の家庭と比べてどの程度崩壊しているのか、あるいはその崩壊の程度がひどいのか、ひどくないのか、そういうことについて話をしようと思っているのではありません。私は、説教というものは、文化教室の講演や在来宗教の講和というものとは全く違うと考えています。こういった講演や講和というものは、自分の知識の上に新しい知識が加わって、そして「じぶんは新たにこんなことを知った」と喜び、満足を得る、といったものであります。しかし説教というのはそれとは違い、聞いていくうちに、なにかがはずされていく、今まで自分達が支えていたもの、考えていたこと、絶対であると信じていたものが一つ一つはずされていく、そういうものではないかと思います。そしてすべてがはがされて、最後に残るもの、そこに起ち現れてくるものこそ、神の姿ではないかと思うのです。もしそうならないとすれば、それは説教に問題があるからであって、私の説教が必ずしもうまくいくとは思いませんが、それを目標として話をしていくつもりです。

 

「彼の信仰は私の誇りであり慰めであった」

今回の聖書の言葉、テモテへの手紙第二 3~14節は有名な個所であります。ここにはテモテの家庭について書いてあり、彼のお父さんはギリシャ人、お母さんはユダヤ人でありました。この家庭にあったキリスト教の信仰というものはおばあさんに入って、お母さんに伝えられ、テモテという孫に伝えられたと記されています。テモテは、パウロの第二回の伝道旅行の時同伴したくらいの信頼厚い弟子であり、伝説によりますと後に小アジアの地方のエペソの大きな教会の監督になった人、初代教会の柱になった人であります。そしてパウロ自身から、「彼の信仰は、私の誇りであり慰めであった」と言われています。それほどのテモテの信仰というものは厚く、恐らくその誇りの部分は彼のお父さんから、慰めの部分をお母さんから教わったのではないかと思われます。つまり、テモテの信仰を育てたのは、まさにテモテの家庭であったといえるでしょう。

しかしながら、私は紀元第一世紀のテモテ家の家庭問題について述べるつもりはありません。問題は私達の家庭であります。ここで、私はある現代の一つの家庭について、事例を挙げながらお話ししていこうと思います。本当は身近に実在する家庭を一つ取り出したいところですが、立場上それはできません。したがってこれからお話しする家庭は、皆さんの家庭ではありません。ところどころ似たようなところが現れると、自分のことではないかと疑う人がいますが、それは全く違いますのでご安心下さい。今からとりあげる一例は、きちんと本として発表されているものです。ただし、選ぶときに、私達に限りなく近いものを心がけました。恐らく似ている方が、参考になるのではないかと思います。

 

突然会社を辞めたNさんの家庭

Nさんの家庭は、お父さんであるNさんが42歳です。大学を卒業し、自動車会社に入社し、就職以来20年経ち、優秀なセールスマンでした。奥さんはM子さんといって、この奥さんの実家の敷地内に一家は暮らしていました。ある時からNさんは微熱に悩まされるようになり、検査入院しました。しかし身体的な異常は何も発見されず、お医者さんには心因性のものであるとの診断を受けました。それ以後も、この人は真面目な人ですので、一生懸命会社に出勤して仕事をしました。しかし、ある日突然会社を辞めてしまったのです。M子さんが驚いて「なんで会社をやめたの?」と聞いてもたいした返事もなく、ただ家にごろごろとしているばかりです。家族にしてみればそれは青天の霹靂です。M子さんが今後のことを心配して聞いても、「貯金で2~3年はなんとかなるだろう。私には本当にしたいことがある。」とNさんは口では立派なことを言いますが、やはりなにもせず家でぶらぶらしているばかりです。M子さんがよく調べてみますと、最近新任の上司に仕事のことで注意をされ、それが辞めるきっかけになったらしいのです。さて、この家庭には子供が二人居ました。高校1年生の長女と中学2年生の長男で、二人とも登校拒否気味でした。男の子の方は1年前に有名な私立校の中学に入学いたしました。受験勉強で一生懸命でしたので、燃え尽きるようになって、入学後は成績がどんどん下がっていってしまいました。ここままではこの学校の勉強にはついていけないので、転校しなくてはならいかもしれない、という状態です。この男の子は、普段は口数が少なくて従順で、いつも常にボーっとしている印象が強い子供です。お母さんや先生が注意をしてもあまり手ごたえがなく、何を考えているのか分からないように見えました。ただ、スナック菓子とファミコンだけは、握ると絶対に離さなくて、そのことについてだけは絶対的に頑固でした。お母さんは困って、スクールカウンセラーのところに相談に連れて来られたのです。女の子の方も、両親が望むような快活で勤勉な子供でしたが、何がきっかけだったのかは分かりませんけれども、突然パニックが起こり、「学校に行きたい」といいながらも学校に行けなくなりました。体が着いて来ないのです。この娘はお父さんにべったりひっついて離れなくなりました。お父さんはこの娘さんのお世話係のようにかかりっきりになりましたが、しかし一向に症状は改善しませんでした。一体この家族四人に何が起こったのでしょうか。

 

些細なことが、大きな問題へ

私はこのケースを見たときに、大なり小なりどの家庭にも思い当たる節があるのではないか、と思いました。ここには悪人は出てきません。仲良し民主主義の家庭で、お互い労わり合いながら過ごしているのですが、しかしその家庭に何かが起こっているのです。そもそも、Kさんが会社に行かなくなった一つのきっかけは、微熱であります。お医者さんによると、医学的には異常はないとの診断でした。私はこの家庭の状態と、私達の日本という国の戦後と、かなり似ているところがあると思っています。それは「微熱がでている」ということです。微熱というのは、病というには健康だし、でも決して本当の健康ではない、そして非常に厄介なのは、とても些細である、ということなのです。この家庭に現れる一つ一つの問題は微熱のように非常に些細なことなのですが、その些細なことが大きな問題へと変化しています。お父さんが会社にいかないと困る、子供が学校にいかないことは許されない、というように、見逃してくれないような問題へと全部つながっているのです。つまりこの微熱というのは小さなことではあるけれども、実は何か重要なもののサインではないか、この社会の常識が当たり前で注目に値しないようなことだと考えているでも、このままにしておくとその内に大きな問題、何かまずいことに変化するのではないか、と思われます。

お父さんは突然退職してしまうわけですけれど、彼の中には恐らく内側から突き上げてくるものがあったと思われます。自分でもはっきりしない何かがあったのだと思います。恐らくこのお父さんは家族に対して愛のある人ですから、周囲のことに関して非常に真面目で一生懸命やってきたと思われますし、このことには何の間違いもありません。絶えず周囲に気兼ねして自分を出すまいとしてやってきたのでしょう。これは家庭だけでなく、社会の中でどこにでも起こっていることです。戦後の民主主義は、仲良し民主主義ですから、みんな仲良く、災い、混乱なくとにかく表面は騒ぎを起こさないように気をつけているのです。登校拒否の子供さんに会ってみてよく思うのは、、非常にやさしい、気兼ねする人が多いということです。自分が学校に行かないことについてみんなが心配していてくれる、というと非常に心苦しく思い、なんとか答えなくてはと思っているのです。しかし、なぜか体が動かないのです。これは、自分の中のものをずーっと長年押さえ込み続けてしまったために、動かそうとしても動かないという現象がおきるのではないかと思われます。

 

家庭はお互いを承認する場

この家庭に問題が現れる兆しとして、一つはっきりしているのは、父親の不在であります。家に父親がいないということです。さてこの後Kさんの家庭でどんなことが起こったかといいますと、一つには家でぶらぶらしていたお父さんが、スーパーマーケットに買い物に行くようになりました。実はお父さんは奥さんとスーパーに行きたいと思っていたのです。私の家でも、誰かが見ているかもしれないとか、余計なものを買うから、といって家内はいやがりますが、実は私は行きたいと思っています。このKさんもそう思っていました。私には、このお父さんは家族で何かを癒したいと思っているのではないか、という風に思われました。私達専門家は、こういう登校拒否の子供さんを治療するときに、「家族の絵を描いて下さい」ということがあります。そうすると、ほぼ90パーセントの人が、食卓の風景を描くそうです。家庭イコール食卓と捕える人が多いのです。その食卓においては、居場所というのが大変重要です。だれかが入院したり、旅行に行ったりすると、その人の席は空席となり、その空いた席の存在がその人の不在を示します。家庭の中では、その家庭を構成している人、すべてそれぞれに居場所があり、存在感があります。家庭というのは、一人一人のメンバーが例えそこ場に居なくても、いつも常にお互いに承認する場所です。だから、神様は私達が生まれてきたとき、家庭というものを用意したのです。食物も食べられず自分自身で防衛する力を持たない無力な時代に、家庭を与えたのです。家庭の中では、小さな生まれたてのとても小さな子供であっても、かけがえのない大きな存在感を持っています。子供も大人も、それぞれがきちんと自分の場を与えられているのです。お父さんは、長年不在であった自分の存在を取り戻し、家族としてそれぞれを承認していく場を取り戻そうとしたのではないでしょうか。

 

もう一度、どうやって生きるかを考える時

日本における家庭について、少し遡ってみたいと思います。恐らく明治時代になってから、お父さんの存在が、人間のお父さんでなく、威厳のあるいばったお父さんへと変化しました。私の父は正しく明治の人で、そういったお父さんでした。常にお父さんには食卓のお皿が一つ多く、反対にお母さんの食卓には淋しく、いつも父がいばりながら母がその陰で色々と気を使ってくれる、といった家庭でした。なぜお父さんは力もないのにいばっていられたのかと言うと、国家が家庭に入ってきたからです。ひげを生やし、立派でないのに立派な顔をして、勉強しろと説くのです。その後、すべてが国家に飲み込まれてしまい、家庭が崩壊してしまった時期もありました。私の家庭でいえば、私の弟がよかれんに行くと言って16歳で家を出て行ってしまった時、両親はいったいどのような気持ちだったのか、本心は図り知れません。しかしそこに現れていた父は国家の父であり、何も言わず、そして弟は戦場に行ったわけであります。戦後はそれに代わって経済大国となり、父というものが制度の父として家に入り込んでしました。お父さんはともかく真面目に一生懸命働き、そうやって身を粉にして犠牲になっていることはすべて家庭のためであると信じていました。これほどまでに自分が家庭に尽くしているのであるから、いったい家族になんの不満あるだろうか、と考えていたのです。そして、子供には、「だから勉強しなさい。いい会社に入りなさい。」と説いたのです。

Kさんの場合、突然その会社を辞め、そのことによって、外側の権威というものがなくなった時、実際彼はどれだけ失望したことでしょうか。しかしこのようになって初めて、Kさんは家庭においてもう一度人間の権威を再構築しようとしているのではないでしょうか。突然に仕事を辞めて皆に迷惑をかけながらも、もう一度自分がどうやって生きるか、なにが自分の本音なのか、ということをもう一度考えなくてはいけないという時がきたと感じたのではないでしょうか。だから決断したのではないでしょうか。

 

母から発信される暗黙のサイン

一方、K家での子供達の方はというと、一日ぼーっとパジャマを着てうろうろしていて、まるで自分自身が溶解してしまったような状態でした。そういう時、母は非常にやさしく、そして母の心は非常に傷ついています。こういうやさしい子供たちは、お母さんが傷ついているのを見ると自分たちも傷つきますから、早く学校にいかなくてはならないと焦りますけれども、母子共々、手も足もでない状態が続きます。母子関係というのは、非常に麗しく美しい側面と、逆に独特の危ない関係があります。母親というものは、子供に向けて、常にたくさんの沈黙の暗号を無意識に発信しています。例えば、そこを受験してはいけない、それを買ってはいけない、その場所に行ってはいけない、など、決して口にだしてはいないのですが、暗黙の禁止事項のサインがいくつも出ているのです。そして多くの子供は不思議なことに、その暗黙のサインにあわせて形どられていくのです。知らないうちに、だれに教わったわけでもないのに、大人になってもなぜか私はある所で買い物をしたことがない、なぜかある色の洋服を着ることがない、というようなものができているのです。そしてある時が来ると子供はそれに気付き、今まで疑いもなく信じていたことに疑問をもちはじめます。でもそのことを口にしてはいけないことも知っているのです。大人の世界では何の不思議もないことでも、子供は不思議であると感じます。例えばどうしてお父さんとお母さんは結婚したのだろう、どうして人は死ぬのだろう、というような不思議なことが無限にあって、時にお母さんに尋ねてみても、「何言ってるの。そんなことあたりまえよ」と言われ、片付けられてしまいます。そうやって口にしないままに抑えられてしまったたくさんの事、お母さんが無意識のうちに発信した暗黙のサインによって禁じられたたくさんのこと...それらに自ら疑問を抱き、自ら考える日がやってくるのです。それを破る力を子供が持つ機会を育ててやらなくてはなりません。また、いつかそれが破られるということを、お母さんは知らなくてはなりません。

 

「いつか父をやっつけてやる」

さて、やがてこの家では、お父さんと息子が二人でファミコンをやるようになりました。お母さんにとっては見ていられない状態ですが、父子というよりは兄弟のように男同士で楽しみはじめました。お母さん理想とする家庭というものは、清くて正しくて美しい、みんな仲良くする世界です。しかしファミコンや将棋などでは闘わなくてはなりません。だから見ていられないのです。こういったゲームでは、始めは大人はそれとなく負けてやっていますが、そのうちそうはいっていられないほど子供が腕をあげてきます。そして勝負は真剣になってきます。そのうちに、将棋の勝負の中では、時に子供が雪隠詰に会うことがあります。もう勝ちの可能性がなくなり、じわじわと絞め殺すように後がなくなっていく、そのとき、心から「ちくしょう、いつか父をやっつけてやる」と思うのです。実生活ではなかなか死というものに出会う体験は出来ませんが、これなどはその模擬的な体験であると思います。人間が発達し、理想の社会が現実になったとしても、やはり悪はどこかに存在するでしょう。今こうしている間にも、突然に強盗が入ってくるかもしれません。これは辛いことですけれども、生きていく上でどうしてもこういった苦しい体験はあるわけですから、悪や死を模擬的に体験することは大変重要であると考えられます。そしてそういう体験を通して、子供は力を養っていくのです。

 

お任せの人生から、個々の人生へ

お父さんは、子供がいくらぶらぶらしていても、在席している以上学校に月謝を払わなくてはなりません。彼は自分の退職金をはたいて月謝を払うかどうかの瀬戸際に立たされます。あるお父さんは、自分の前人生働いたお金を息子のために賭ける人もいるし、あるいは賭けられない人もいます。私は、人間の父というものは本当にできることと、できないことがあると思います。どこかに限界というものがあり、断念する場合、これ以上できないと判断せざるを得ないときがあると思います。一方子供は父親に望みながらも、父親を超えて、本当の父というものをあくまでも求めていくでしょう。すなわち、子供にとって、人間以上の父の存在は必要だし、父にとっても人間以上の存在が必要なのです。二人がファミコンをしながら、将棋をさしながら、人として向き合い、その結果人間の父が敗れることもあるのです。

神が男と女を創造し、結婚させ子供を産み、家庭によって育てられるというのは非常に大切なことだと思います。そういった中で育てられるのは大きな恵みです。しかしどんなに人間が努力しても、それだけでは完成しないのです。やがて人間の父、人間の母が敗れるときがきます。そして共に礼拝をして罪を懺悔し、共に一人の神を求めなくていけない時がやって来るのです。この時初めてお任せの人生から個々の人生へと転換していくのです。日本の教育も、21世紀を迎えて変化していこうとしています。ゆとりのある教育も大切ですが、個性のある教育が重視されてゆくことでしょう。今までは、子供は公立学校を選ぶということができず、また、学級を選ぶということもできませんでした。そのために、学校に行くことができなくなれば、家庭にとどまるしかなかったわけです。しかし制度が変り、そういう場合は学校を変えることもできるし学級を移ることも出来るようになりました。現在8万人の登校拒否が出ています。8万人分の教育費というのは大変な額です。それほどの税金を出していながら子供が学校に来ないのは、子供の問題ではなく制度そのものの問題であるということを、社会はようやく気付き始めています。

 

起ち現れてきたもの

このような家族の問題について考える時、教会というものは、神様の前に一人一人が個としてなんの隔ても仲介物もなく、顔と顔を合わせて絶えず生活を省みられている場であることを改めて思います。私はキリスト教の信仰というのは、「神の子殺し」であると思っています。神様はその一人子を人間に賜ったということは、自分の子供を十字架によって殺したということであります。反対に、マタイ伝の11章にでてきます、「エリ エリ ラマ サバクタニ : わが神わが神、どうして私を捨てたもうのですか」という悲痛な言葉は、子供が父なる神に対して神の裏切りを承認して、父を断念したという究極の言葉だと思います。私達は、このぞっとするような現実の中で、心ならずも断念し、裏切らなくてはならない存在であるということを、思い知らされることがあるでしょう。これから生きていく道も、一人一人が個々に生きていかなくてはならないのです。それぞれが自分の個性によって神を賛美し、個々を神に捧げなくてはならないのです。ところがその神の一人子が断念した、この十字架の時、驚くべきことに、全く違う世界が開けたのです。自分が断念したとき、そこに起ち現れてきたのは、なお自らを傷つけながらも我々一人一人を生きて愛してくださる神の姿だったのです。そしてその苦難を通して我々はそのことを知っていくということ、それがキリスト教の信仰の意味なのではないでしょうか。