日本人の死の臨床を今考える
(2000年8月 死の臨床35 VOL.23 No.1)
はじめに
まず、私が歩んだ「死の臨床」の今日までの道のりを述べさせて下さい。今の時点で、私自身、どちらかというと、ターミナルケアの研究家としてよりは、年齢的には癌適齢期になり、所謂死の「実行家」とも言うべき人間になりました。この会場にいらっしゃる方々のどなたかに看取られて死ぬとも限らぬ年齢を迎 えております。したがって、これから申し上げることも、看取られる側からターミナルケアを見るとどうなるかという視点でのお話になるのではないかと思っています。
結論から言いましょう。人間に対して死というものの最も強い脅威は「イマジネーションを人間から奪う」ことにあると思います。死が人間に近づくと治療者側からも、被治療者側からも一様に人間のもっている想像力を奪います。もう死が迫っているから何を考えても仕方がないと降参してしまいがちです。実は、このターミナルケアの歴史というものは、人間はともすると全てを放棄しがちですが、最後の最後まで生きている以上、人間は最後の最後まで素晴らしい創造力をもっているのだという証明であったと私は思います。そして、その挑戦はこれからもずっと続くと考えています。
死の臨床研究会 と 日本サイコオンコロジー学会
私の学者として研究の歴史をたどってみると、2つの主題思い浮かび上がってまいります。その第一は「夢」であり、第二は「死」です。1977年の12月あの大阪大学医学部の講堂で開かれた第一回死の臨床研究会のことを忘れることはできません。金子仁郎先生を中心に、河野博臣先生が呼びかけ人で、とにかく会は発足したわけです。当時は医学の中でまだ正面から「生きた死」を取り扱う雰囲気にはありませんでしたから、どうなるかなという思いがありました。ところが蓋を開けてみれば、会場の講堂に入れないくらいの大勢の人で、やっと特別講演のために人をかき分けて中へ入れてもらった記憶が今鮮明に蘇ってまいります。その時の題は「宗教的観点からみた死の臨床」で、会誌の第一号に載っております。(『死の臨床』死の臨床研究会編集発行1978年11月第1巻1号所収)今考えてみると、今日の発展の芽は当時に既にあったわけで、それからの代々の指導者の方々の熱心な努力のお陰で今日に至っております。これについては頭の下がる思いです。 次の節目はなんといっても、その十年後の1988年に始まる日本サイコオンコロジー学会の発足でしょう。もともとオンコスというのはギリシャ語で「塊」の意味ですから、外科のお医者さんを中心に癌の塊を切除することから始まったと聞いています。最初にどうしても外科の専門医を中心で、しかし医学の進歩と共に、次第に患者の生存率が高くなって、その他の医療の専門家にもこのターミナルケアへの認識が次第に広まりました。私のように宗教の分野の者までもこの運動に参加するようになった訳です。
最初は、日本精神腫瘍学会と呼ばれておりました。確かこのサイコオンコロジーをわが国でどのように訳すかで頭を悩ましました。その頃WHOでも活躍されていた先生方が東京でこのサイコオンコロジーのワークショップを開かれ、座長の東大の飯尾先生が、やはり精神腫瘍学会をしようということで決まりました。しかし、後になって世に知られるようになって改めて、日本サイコオンコロジー学会の表記するようになったわけです。(日本臨床精神腫瘍学会編『日本精神腫瘍学会誌』Vol.1、No.1July1989参照)
実は夢の中で何回も死ぬのです
死は医学の中でも、様々に領域を超えて死にいく人を中心に考えられるようになりましたが、死は医学の死ばかりでなく、法律的な死もあるし、家族的な死、社会的な死もあり、領域を超えて検討されねばならない問題です。私は幸い、心理学と神学の領域に身を置いたので、また違った観点からこの課題に光を当てることが出来る一人であったとおもっています。つまり、ユング派精神分析家とキリスト教実践神学者としても両面からです。込み入った話は抜きにして、例えば、例を夢にとりましょう。人間は夢の中ではじつは何回も死ぬわけです。実際の死より生々しく死を体験できるといっても差し支えないのです。この様な体験としての死は本当に人間が死んでいくときのよい準備になるわけです。むしろ、死はどのような人間の成長にとっても不可欠なもので、イニシエーションとして考えると、苦難と再生への道は人間にとって必須の成熟への道なのです。不幸にして、現代人は身体的な死のみに焦点をあてているので、死の意義が見えてこないのです。勿論安易な慰めや死の回避は問題ではありません。どうして、「死を生きるか」が常に課題なのです。
「一丁上がり」のターミナルケアでは困ります
なぜ、現代人は過度に死を恐れるのでしょうか。それはじつは現代社会が他の時代にくらべて非常に特殊な特徴を持っているからです。つまり、私に言わせると「死を否定した文化」を持つからであります。あくまで生の文化であって死を完全に排除していきてきたからです。したがって、いよいよ死が現実のものになると、だれでも今まで考えてこなかった分、過度の恐怖を感じるようになるのです。勿論、人間にとって死は未知の体験であるので、当然どの時代の人も恐怖を感ずるのですが、現代人は過度の反応を起こすのです。したがって、完全に死を抑圧し、否定するわけです。
この様な文化に対してサイコオンコロジーの運動は大変に衝撃的な意味をもったという訳です。そして、これから述べるようにわが国のサイコオンコロジーはわが国の社会に多大の貢献をしたといても過言ではないでしょう。この20年間に起こった出来事は医学のみならず、ホスピスの運動など指導的な人々のご苦労の他に、親しい人々を亡くした普通の人々の力も無視できないと思っています。
どのような貢献を主としてなされてきたかを簡単に述べますが、この様に死に臨めば全ては終わりであり、何の人間の想像力も働かないという絶望的な状態から、ターミナルケアの領域で、特に人間にとって例え死が予知出来るような状態になってもこれだけのことが出来るという人間の可能性を示したことは、この運動の誇れるところではないかと思います。
しかし、ここで私は、決してこのような様々な有効な手段が発見され、使われて、独自な領域が発達したけれども、ターミナルケアのマニュアル化をこれからは防がなければならないと、声を大にして訴えたい。なぜかというと、私も既に癌年齢になり、誰かに看取られて死ぬかもしれないのに、マニュアル化によって「一丁上がり」のターミナルケアでは困るからなのです。
確かに、医学では死を客観的にみなければその様相は正確に把握できない側面はあるでしょう。その上、臨床の場面ではこの死にどこまでも巻き込まれていき、主観的たらざるを得ない面もあるのです。これをどのように調和させるかが、いつまでも研究する者の課題となります。私はこの研究ためには、これから更にサイコオンコロジストの高度な専門的な訓練の場が必要になってくるであろうと思っています。
寄り添い、心を懸けること
わが国のサイコオンコロジーの運動の歴史を簡単に振り返ってみると、次のような課題が段階的に現れてきました。まず、先に問題になったのは癌の患者さんに死の宣告をするかどうかという議論でありました。もともと、「宣告」という言葉は、死刑を連想させるような裁判の用語であったので、後に、これは宗教用語ともいうべき聖母マリヤの受胎告知の時に使われた、「告知」という言葉が今日では使われるようになりました。けれども現代人にとっては、いくら用語は変わっても死生観が変わらない限り、その内容は同様であるので、宣告でも告知でも同様にショックは大きいのです。いま生きている世界を一つしか認めていない現代人にとって、誕生と同様に、死も一つのイニシエーションであり、そのための告知であると言われても無理な話であることは分かり切ったことでしょう。
続いて、次の課題、その目覚ましい貢献は、癌患者の吐き気や疼痛のコントロールでありました。 そしてそれに続いては、“患者のQOL”という概念の導入。そして、最近になって、患者への情報の提供と自己決定の問題を次々に提供し、学会で論議されています。
簡単に振り返るとこのようにして、今日に至っていますが、今はその詳しい内容には触れないでおきます。それよりも、ここではその議論のすべての根底にある“臨床”という概念に関して一言述べたいと思います。このギリシャ語では、人が死の床に横たわり、別の人が傍らで寄り添い「こころ」を懸けるにあった、という概念があります。私の考えとしては、その「こころ」を懸けるということがない以上、臨床的な営みは、何も始まらないという点が、喚起すべき注意点であると思っています。そして、サイコオンコロジーという学問はこよなく臨床的な学問であるという点、どうか忘れないで欲しいと思います。
人間はイメージ・タンク?
ターミナルケアには常に心理学的な要素として悲嘆や抑鬱、それに突然の感情の昂揚などの研究も大いに必要であることは言うまでもありません。しかし、私はそれらの現象の背後にあって大切な論点を一つ指摘したいと思います。それは、治療者の抱く患者のイメージと、また、患者の抱く治療者のイメージのことであります。そして特に大切なのは人の「こころ」の中に働く死のイメージです。どのようなイメージが今それらの人の「こころ」に働いているかということなのです。きついで言葉申し訳ないのですが、もし仮に、死んだら全てが終わりだと密かに心の中で思って患者に接している治療者が、どうして患者の治療が出来るでしょうか。 また、もし治療者がそう思ってしまうなら、それならば自分が今どう思っているか出来るだけ正確に、つまり最小限度自分の心の中に起こっていることを自分で認識していなければならない。人のイメージは無意識に人に投影されて、ここに様々な問題が生じてくるのであります。 では、そもそもイメージとは何んでしょうか? 人は動物と異なってイメージ・タンクと呼んで差し支えないものであります。イメージなしには、何も把握できないし、目に見える形で、認識するからであです。ここで私が問題にするイメージは誰かが勝手に作った広告のような後追いのイメージではありません。自分の中に、自分が作った訳でもなく、出現する生きたイメージです。たとえ「死」のような恐ろしいイメージでも、イメージが自分に対して存在するというのは、癒しへの一歩ではないでしょうか。本当に恐ろしいのはイメージも出ない時であります。イメージがある以上生きているし、イメージと共に生きているのです。いや、人間がイメージを持っているというよりは、人がイメージの中に生かされているといってもよいのです。これこそがイメージの力であり、そのイメージの中に入ることによって生きるのです。八方塞がりに見えた心的な世界が急にイメージによって切り開かれることは、我々が日頃経験するところであります。
花は人が見ようが見まいが、咲いているのですが、咲いている花が急に目に飛び込んでくる瞬間、この花は私のために今咲いていてくれるのだ、と実感するときがあります。そして生きていることを喜びます。イメージの中に生き、そして死ぬのであります。これを私はイメージの愛と呼びたいと思っています。実に多くのターミナルにある人が、それまで気づかなかったけれども、ある瞬間に全てが私に向かってイメージされていることを知り、その喜びを治療者に話されるのです。ターミナルケアで経験するこのイメージの癒しとしての働きに今注目したいと思います。
一流のホスピスにはユーモアがあります
最後に、簡単にターミナルケアにおける治療者自身の問題について考えてみたいと思います。すでに、治療者自身の第一人称をしての死をどう考えるかについては少し述べたので、サイコオンコロジストの陥りがちな点についてここで話したいと考えています。 それは、決して我々は「死と戦う英雄」というイメージに捕らわれてはならない、ということです。ともすると、癌の治療者のように死と戦う人は、英雄となりがちであります。確かに死から奇跡的に悪魔の様な癌の塊を摘出して、生を回復させる治療者のイメージは尊いものです。犠牲的で、気高く英雄的ですらあります。しかし、反対に生かし得なかった時には、受ける失望と敵意に対して充分に覚悟しなくてはなりません。決して病気は医者が作ったのでもなく、したがってどんなに求められてもそれは万能ではありません。治療者もただ一人の人間であり、英雄でないことを改めて意識する必要があると思います。
では次に、この種な仕事の携わる治療者が陥る問題であり、敵でもある「職業的な疲労」と戦うかを述べて終わりとしたいと思います。答えはまず、話せる友人を持つことが非常に大切であることです。職業生活以外の日常生活について何でも話せる人をもつこと。この関係を通して、知らず知らずのうちに蓄積される疲労の支配から自分を自由にしてくれるのであります。自分は決して万能な英雄ではなくて、自分も一介の市民である、という自覚がいつもこの種の仕事に従事している人の危機から自分を救ってくれるのであります。
つぎに必要なのは何としてもユーモアのセンスであります。死は人間を、そして、すべてを真面目にします。真面目の敵には、非真面目で答える、これは不真面目ではなくて、生のどうしようもない現実をもう一つ離れたところから見る目が必要である、ということなのです。どのような悲劇も、もう一つ上から、自分が何をまごまごやっているかが見えてきて思わず笑えてくるのです。患者さんも、最後までユーモアを持った人間であることを忘れないようにしようと思います。一流のホスピスには一日中微笑みや笑いが絶えないといます。これは一様にそのような施設を観察した方々の言う言葉であって、本当のことなのです。
おわりに ~Care of Souls~
では、最後に一言、ご自分の「魂」に何時も餌をおやりなさい。古来「魂の世話」Care of Soulsというのは人間の最大の課題でした。最近、日々自分の「こころ」の養生をすることが一番に大切だとつくづく感じるような年齢になりました。
本日は話を聞いて頂きまして、心から感謝します。