「Pastoral Care から 死の臨床へ」
2012年11月4日 日本死の臨床研究会年次大会 鼎談におけるスピーチの骨子
於:国立京都国際会館
はじめに
「日本死の臨床研究大会」は、今年で36回目となる。
その記念すべき第一回は、1977年に開催された。
設立発起人の一人であった私は、午後からの特別講演を受け持った。
ちょうど私が 50歳の年であった。
会場であった大阪大学医学部付属病院は、講師の私が 入れないほどの人が集まり、その熱気に 驚いたことを、今も鮮明に憶えている。
以来、35年間、この大会は、多くの方々のご努力により、着実に回を重ね、成長し続けている。
と同時に、私も年を重ね、今年85歳となった。
現在私は、進行性大腸がんである。
ステージ4であると告知された。
現在分子標的薬の単独療法を行っている。
そのため、体力的な低下があり、今は長い距離を歩いたり、自由に字を書いたり、また長時間パソコン画面に向かうことができない状態である。
そのことを最初にご承知願いたい。
正直に告白すると、この場に立つことを心配する声もあったが、しかし、私は私なりの使命感を持ち、この大切な時間を使わせていただきたいと、今、考えている。
臨床心理学の歴史
これは、私の学問的成果の自慢話ではない。
臨床心理学の歴史を未来につなぐためのものである。
私が最初に驚いたのは、当時のアメリカでの臨床体験であった。
そこで初めてチャップレンの存在を知り、日本とのギャップを感じた。
それは、病める人間を人間として扱うか、または物体として扱うか、という 人間の尊厳性や 霊性に拘る 基本的な問題であった。
と同時に、これは現代医学の根幹に関わる課題として、私は考えている。
私の一生は、その「巨大な溝に橋をかける」ような、ささやかな一歩であると 思っている。
そして、今も残されているギャップは 大きいと感じており、後を継ぐ皆様によって、やがて、この巨大な溝が 埋められることを、心から期待している。
ご承知のように、心理学は20世紀に入って、長足の進歩を遂げた。その中でも、臨床心理学の誕生と変化は、著しいものがある。
u その学問は、William James(1842-1910)の宗教心理学から、実質的に始まった。
u そして、19世紀末から 20世紀の 初頭にかけては、 神秘体験、催眠術、精神分析などの人間心理の研究が 盛んに起こった。
u 中でも、20世紀に入り、精神分析を はじめとする 精神医学の発達と 進歩が 著しかった。
u 前後して、大都市に、大きな精神病院が出現して、様々な治療法や、向精神薬物の開発が、行なわれた。
u それと共に、次第に心理学は、宗教者の手から、一般心理学者の手へと、離れていった。
つまり、私に言わせれば、心理学は、次第に 魂を失い、言わば 科学的実験操作に 委ねられる「魂のない学問」へと 変化したのである。
それに反抗する動きが、臨床牧会訓練(Pastoral Clinical Training)であったと、私は考えている。
つまり、「魂のない学問」から、「魂のある学問」へと、変化したのである。
では、私とPastoral Careの出会いについて、これから述べよう。
u 時代をさかのぼり、アメリカにおける、Pastoral Careの誕生は、1925年である。
u 米国マサチューセッツの 州立病院で Anton Boisenが、世界初の Hospital Chaplain となった。
u 戦争後まもなく、私がアメリカに行ったのは、1958年である。
u Andover Newton Theological Schoolの大学院で、宗教心理学科に席を置き、それを専攻した。
u そこでHospital Chaplainの存在を、初めて知った。
u 私は、Boston City Hospital と、Massachusetts State Hospital に、長く滞在して、Pastoral Careの臨床訓練を学び、チャップレンの資格、及び、Chaplain Supervisor の資格を 習得することになった。
u また、1960年、最初の米国組織American Protestant Hospital Association(臨床牧会訓練協会)の一員と なることができた。
u そして、日本へ すぐさま帰国することとなった。
帰国してすぐに、私は、わが国でのPastoral Care を広めるために、以下のような活動を行なった。
u 教会に向けて 同士を糾合し、この運動の 先鞭をつけた。
u それと共に、病院に向けての 活動を 開始した。(淀川キリスト教病院;ブラウン院長、日本バプテスト病院:クラーク先生 など宣教師たち)
u 学会活動としては、基督教研究33巻3号にPastoral Clinical Training Education を寄稿し、公刊した。
u さらに、「病む人と共にー病床牧会カウンセリング」出版を刊行した。
これらの研究は、誕生したばかりであり、教会や神学界においては 実はこれに対する反応は 鈍かった。
さらに、病床牧会訓練の場を、日本バプテスト病院をはじめ、いくつかの、キリスト教の病院に求めた。
最初、受け入れは困難であったが、後に 先生方の理解によって、次第に それが実質化していった。
わが国における臨床牧会訓練の発達
私は 訓練として、病院と大学教育の中で、様々な営みを行なったが、最も注意した点は、以下のことである。
病院においては 「患者」は、患者として死ぬが、最後に、人間として死ねないという現実がある。
↓
人間を どこまでも、活きた人間 Human Documentsとして考えられねばならない。
つまり、Death とDying とは異なり、死にゆく 活きた人間を、どこまでも、相手にすることである。
Cure でなく、Careという 概念を、導入すべきである。
↓
また、さらに、ボランティアを受け入れ、チーム医療を行い、チャップレンを中心とした、スピリチユアルケアを 発達させることが、必要だと 考える。
↓
ここで注意しておきたいのは、スピリチュアルケアとは、宗教も含めた全人的、広義のものである ということである。
私が心がけたPastoral Careに基づく行動
私は、様々な 死の臨床についての、啓蒙活動を はかった。その一つ一つを 列挙すると 以下のようになる。
1)『肉体の終わりとしての死』思想の科学
2)「死の臨床研究会」が、発足した。 ちなみに、これが、今日ここで行われている「死の臨床研究大会」の、初回大会である。その記録には、本日 司会を して下さっている 柏木哲夫先生も、名前を 連ねておられる。
3)厚生省の「カウンセリング」用語の認知。WHOの 専門委員として、カウンセリング講座を行う。
4)死の三兆候説から、「死の定義」の設定へ、貢献する。
5)「日本 臨床 精神 腫瘍 学会」を設立する。
6)日本医学総会などで、死の定義、ターミナルケア、HIVカウンセリングなどに ついて発表、発信を続ける。
以上、「死の臨床」を中心に、私が 公に行なって来た 行動を、かいつまんで 説明したのである。
この流れの中で、皆さまがたが、これを引き継いで下さり、今、このような大きな力に育っていることを、喜んでいる。
では、ここからは、一転して、この研究の、個人的な体験を語ることで、お許し願いたい。
私の体験した死
入院中に、不思議で異常な体験をした。
長時間の点滴が終わり、突然、それが途切れた時に、見えるはずのないものが見えた。
人工的で、無機質な機械やパイプが目の前に現れ、そこから水を搾り出そうとする、必死の自分が、見えていた。
完全にパニックになっており、生まれて初めての体験だった。
私は、人間が 精神的に耐えうる一線を 超える時の、すさまじさを、初めて体感した。
人間は、自分に もはや、耐えられない現象と、叫びや 悲しみが高まって、パニックとなることを、経験した。
異常体験から学ぶこと
人間には、信じ難い現象が、起きる可能性を、我々は知らなければならない。
それは人間の、無意識の世界であって、自分では、もはや コントロールすることは、不可能である。
死にも、意識の部分と 無意識な部分があるように、人間が、コントロールできない世界があることを、知るべきである。
大切なのは、それに対して、あくまでも「謙虚である」ことである。
死は、単数ではない。複数以上の複雑なものである。
がん も、単数ではなく、複数。一つではない。
がんという塊は、どんどん分裂し、複数化していく。単純なものではない。
今まで 私の意識が、外に向かって大きく広がっていたとすると、今は違う。
外側ばかりではなく、内側にどんどん細分化され、複数が増殖していくのである。
それによって、より敏感になり、音や美しさ、味などの芸術的世界、内側の世界が、研ぎ澄まされて、深まっていくことを 感じている。
まとめ――「残身」のイメージ
弓道には、ご承知のように、「残身」という言葉がある。
残心(残身)
矢の離れたあとの姿勢をいう。離れによって射は完成されたのではない。なお残されたものがある。
精神でいえば「残心」、形でいえば「残身」である。
「残心(残身)」は射の総決算である。
一貫した射が立派に完成されたときは、「残心(残身)」も自然立派であり、射手の品位格調も反映する。
(全日本弓道連盟、弓道教本第一巻より抜粋)
弓道では、ただ的に当てることを、良しとするのではなく、残身を大切にするという考え方がある。
美しい残身は、すでに矢が離れた後も、イメージとして、いつまでも残るのである。
人の生前の姿は、いつか消えていくものである。
時間と共に、忘れ去られていく。
大切なのは、「いかに 死ぬか」ということであるのである。
一貫した生き様が、立派に完成された時、美しい「残身」となるのである。
そしてそれは、強く人々の心に焼き付けられる。
その印象は、いったい、いつまで人の心に残るのであろうか。
その、美しくもはかないイメージを、私は今、心に浮かべている。
現在、私は、がんの闘病中であり、一時的な高揚は、やがて静まり、私は次第に、年を取り下降の道をとって、死に臨むことになろう。
この、死ぬかもしれない という緊張の中で、私は死を全うしたいと考えている。
長い間のご清聴を感謝し、このように皆様方と、運命的な出会いを持たせていただいたことを、私は心から喜んでいる。
以上