野本真也先生 弔辞

野本真也先生からいただきました。   

         

                                         友人代表 野本真也 様

 「これからは、ぼくのことは『カコちゃん』と呼べ」。同志社大学神学部の壮図寮で最初に出会った時の声が、今もわたしの心の中に響いています。でも、青山学院の英文科を卒業し、神学部3年編入をしてこられた26歳の先輩を、18歳の一回生のわたしには、とてもそう呼べるものではありませんでした。
 そしてその後も、ずっと今まで、わたしは一度も「カコちゃん」と呼びかけることはできませんでした。なぜなら、わたしにとっては、その後もずっと尊敬すべき先輩であり、先生であり続けたからです。


 樋口先生は神学研究科を修了し、大森めぐみ教会伝道師を経て、アンドーヴァー・ニュートン神学校で宗教心理学を学び、また臨床牧会カウンセリングのスー パーヴァイザ—の資格を得られて帰国され、ただちに宗教心理学と宗教教育の本宮彌兵衛先生の後任として同志社大学神学部教員になられました。
 さらに1964年、在外研究のためチューリヒのユング・インスティテュートに行かれ、精神分析家としての資格を得て帰国されました。そのとき、出会われたのが、ジェームズ・ヒルマン先生でした。
 そのヒルマン先生が一昨年亡くなり、昨年の夏、ヒルマン先生追悼の記念会のためにアメリカのコネチカットへ行かれたとき、樋口先生は過労のため倒れら れ、帰国後、検査の結果、大腸癌であることが明らかになり、死ぬことを覚悟されたのです。そして、その病をおして昨年11月4日、京都国際会館で開催され た「日本死の臨床研究会年次大会」で講演なさったのです。
 その原稿を先生からいただきましたが、先生はその講演の中で、「死にゆく、活きた人間を、どこまでも相手にする」スピリチュアル・ケアが大切であり、そ のための臨床牧会訓練が必要であるとして、京都バプテスト病院の協力を得て始めることができたと語っておられます。まさに、その京都バプテスト病院のホス ピスで、先生は最後の時をご家族の皆さまと共に過ごされたのですが、これは神さまが先生に「よくやった。これですべて良し。さあ、わたしのもとへ来て、 ゆっくり休みなさい」と言われていることのしるしにほかならないと思います。
 また講演の中で、先生は入院中「人間が精神的に耐えうる一線を超える時の、すさまじさを、初めて体感し」、「人間は、自分にもはや、耐えられない現象と 叫びや悲しみが高まって、パニックとなることを経験した」と告白しておられます。しかし、まさにそのような異常体験から、「死にも、意識の部分と無意識な 部分があるように、人間がコントロールできない世界があることを知るべき」であり、「大切なのは、それに対して、あくまでも『謙虚である』ことである」と も語っておられます。
 まさに、この先生の謙虚さこそが、日本にまだほとんど知られなかった「カウンセリング」や「臨床心理」、「ターミナル・ケア」、「ホスピス」といった考 えを日本に導入し、実践活動を展開され、同志社大学神学部の学際的神学の主翼を担い、また晩年には京都文教大学で臨床心理の学部と大学院研究科を立ち上 げ、多くの教え子たちを育て上げられた秘密ではないかと思うのです。
 また同時に、この先生の謙虚さこそは、すべての人を友と呼び、友として交わり、わたしたちの弱さを共に苦しみ、死の恐怖までもみずから味わうことで、神 の愛を指し示し、その結果、死を克服して復活したイエス・キリストへの深い信仰に基づくものであったことを、今、改めて強く知らされる思いがいたします。 そして、わたしたちは、先生のこの謙虚さと信仰のゆえに、後輩であろうと、教え子であろうと、カウンセリングのクライアントであろうと、いのちの電話のボ ランティアであろうと、わたしたちはみな先生の友人、友とされているのであり、そのことを誇りに思い、感謝したいと思います。


 そして、現在の悲しみと淋しさを超えて、天国で、ふくよかに微笑む先生と再会し、「カコちゃん!」と呼びかけ、主の愛の内に共に包まれることを皆さまと共に願いたいと思います。
 2ヵ月ほど前でしたが、玄関のベルが鳴ったので出てみると、なんとそこに、樋口和彦という銘の入った杖をついた先生が、この写真のように、にこやかな顔 で立っておられました。「歩けるようになったので、散歩がてら、ちょっと顔を見に来たよ。はい、これおみやげ」と言って、小さなビニール袋を渡されたので す。あとで、あけてみますと、その袋には大福餅が二個入っていました。
 ああ、お元気になられてよかったなあ、と安心したのですが、これが先生とお会いした最後の時となってしまいました。
 もしかしたら、先生はあのとき、「大福餅を食べるときには、わたしのことを思い出してほしい」とひそかに思われていたのかも知れません。ですから、わたしはこれから大福餅を食べるときには、必ず樋口先生のことを思い起したいと思います。
 ご遺族の皆さま、綾子さま、詩ちゃん、悦ちゃん、マー坊。この一年間、ほんとうによく尽くされました。ほんとうに悲しい、つらい毎日だったでしょう。し かし、その毎日、毎日が、それまでには味わえなかったような、ほんとうに中身の濃い愛の交わりの時であり、まさに神さまから与えられた恵みの時であったこ とを、どうかしっかりと受けとめて、今の悲しみと淋しさを乗り越えていただきたいと思います。
 そのために、主の限りない慰めと誠の平安がありますように、心からお祈りしております。