藤崎義宜先生より追悼のお便り

藤崎義宣先生が、追悼の意を込めて 2014年3月に行われた「ファンタジーグループ世話人のためのタイツアー」についてご報告下さいました。

 

このツアーを企画された動機について、藤崎先生は、「このツアーの準備が、師の死に耐える一つの要因となったのは間違いないでしょう。ツアーにつけたタイトルが「死と再生の旅」というのは、セラピーのプロセスに絶えず「死と再生」のテーマが現れることと、樋口先生の死をどのように受け入れ、自らが再生する課題とが同時に重なっていたのです」とおっしゃっています。

 

また、「ツアーを振り返ると、樋口先生はどの瞬間にも一緒におられて、旅を守り、それぞれの参加者一人一人に必要な体験をさせてくれたのだと思います。その証拠に、それぞれが充分魂の深く底深く貴重な体験をすると同時に、特に食事のときなど、とても楽しく堪能できたのです。とても楽しく、そして言葉にできない新しいエネルギーを得る旅になったのです。それぞれが樋口先生の魂の存在を感じる旅だったのではないかと思います。」とも語って下さいました。

 

 

 

そのレポートを、写真と共に掲載いたします。

ごあいさつ                   藤崎義宣

 

タイスタデイツアーを終えて、数週間が経ちました。ツアーを終えたばかりの時と、しばらくの時 間の経過の中でツアーを振り返るのでは、ツアーへの印象、体験も少しずつ意味合いや印象、重要と思える点が変化してきているのではないかと思います。

 

私自身は、ツアー終了直後は、次の日の日曜日の礼拝での説教や会議、また幼稚園の始園の準備や 入園式、新年度の計画など、また教会土地の購入への具体的な対応などが満載で、しかも、ツアーの疲れなどがあって、自分にとってツアーが どのような意味があったのかそれ程生き生きと思い返すことができない日が続きました。

 

また、4月におこなった東京ファンタジーグループの世話人会は、2月の東京ファンタジーの振り 返りと今後の東京ファンタジーの開催地の選定と今後の在り方を話し合うとても大切な山場のミーテイングでもありました。短い間にいろんなことを決めなくてはならない日々を過ごすために時間を使いましたが、皆さんから寄せられてくる感想文を読みながら、このツアーが楽しい体 験を伴いながら、同時に一人一人にとっても魂の旅であり、死と再生の体験を伴うものであったことが分かり、無駄にしんどい体験だけをさせ たわけでもないことを知り、いささか胸をなでおろしているところです。

 

ツアー終了後、あんなに疲れ果て、しばらくはツアーはいいやと思っていましたが、日を追うごとに疲れもとれ、肩の上に感じていた重さも軽くなり、不思議なエネルギーが内側から出て来ているのを知りました。また、皆さんから寄せられる感想文が、自分の疲れを癒し、新たなエネルギーの源になっていることも感じ始めました。まさに、私にとっても、皆さんの感想に触れ、その言葉を味わうことが新たな旅の始まりとなっていることを感じます。

 

旅は終わったところから、心の旅・魂の旅の始まりとなる。まさにそんな感じです。旅を振り返り、そこからいろんな体験と印象をくみ取る、自分が感じていたいものを振り返って言語化し、洞察する。これらのプロセスは、ヒルマンがサイコロジャイジング(心理学化)と呼んでいたものですが、ぜひ何回もツアーの体験を振り返り、味わい、洞察をしていただければと思います。そこから知恵が生まれ、新たな世界観とヴィジョンが立ち上がってくると思います。

 

パタヤやカンチャナブリは、私たちにそれぞれの町の表情や秘密、豊かさ、傷、痛み、病を見せてくれ、しかも、私たちをやさしく受け入れてくれました。

 

最後のバンコクは、自分で思っていた以上にデモの影響もあり、首都バンコクは混沌と対立のエネルギーに覆われていたために、暑さと疲労が私たちにのしかかって来たのだと思います。バンコクの交通は、私たちの都市の交通のイメージではなく、あの混沌としたチャオプラヤ川のイメージであると言われます。

 

流れに任せて、行きつくところまで行かなければならない。川の流れは、人間の意志や自由による のではないという感覚がタイ人にはあるようです。「なるようになる。なるようにしかならない。」川の中に投げ入れられた小石は、たちまちの内に混沌とした川の流れに飲み込まれ、二度と見つかることはなくなってしまうでしょう。

 

その流れに逆らって確実に空港にたどり着くためには、相当な意志の力を要しました。夕方のあの 時間帯に車やタクシーに分乗して空港に向かうと大渋滞にはまる可能性がありました。バンコクでは渋滞にかかると、川の流れのようにその流れに身を任すしかありません。大渋滞にかかると、2時間3時間は平気でかかってしまいます。飛行機の時間が決まっている状態で、分乗した車がどうなってしまうのか、高速道路の入り口まで、デモで日常とは違った状態になっている道路がどうなのか、読めないことが多く、確実に時間までに空港にたどり着くためには、徒歩で電車に向かうしかありませんでした。

 

流れのままに身を任せるのも人生であるなら、流れに逆らって、流れのさらに先にある世界にたどり着くために、一歩一歩踏みしめ、意識の力で魂を養い、出来事を心に、魂に刻みつけていく作業も、また人生の一つの過ごし方でしょう。

 

錬金術のプロセスによる物質の色彩の変化は次のような過程をたどると言われています。

 

未熟さ・無知の緑から腐食・死の黒へ、そして、希望と救済を仰ぎ見るブルー・ブルースへ、そしてプロセスのリセッション、第一段階の終了としての白へ、さらに新しい創造が始まる赤へと変化し、賢者の石、錬金術の銀、やがて金を得るプロセスへとつながる。

 

このプロセスの中で、卑俗な金属である物質は何度も、死と再生、破壊と再創造の体験を繰り返す。 

 

武蔵五日市の雪景色という恵みで始まった山里を舞台とした東京ファンタジーは、今年の2月の白一色の雪景色の中でプロセスを中断し、いったん幕を下ろしました。錬金術の白のプロセスを思わせられる出来事でした。東京ファンタジーは次のプロセスへの意向が始まるのだという不安と揺れと希望の中に東京の世話人たちがいるように感じます。

 

私は、暑く苦しい中で、空港へと思い荷物を抱えながら向かったあの一歩一歩がこれからのカギの一つになるのではないかと感じて います。

 

今回のツアーでは、仲間とグループの大切さを改めて思わされました。苦しく、厳しいだけでなく、遊びもあり、おいしいものもあり、時にはゆったりと癒され、そのようなグループが拡大し、成熟していくとよいなと思います。

 

魂を錬成し、通常の金や銀ではない朽ちもせず、滅びることもない貴重な金や銀を得ることが、イメージとファンタジーを用いる錬 金術の目的です。

 

このようなツアーがまたできるとよいなと思います。