子供と老人
(1983年 精神の科学6 ライフサイクル)
一、はじめに
最近、世間から注目されている学問の分野に三つの領域があり、いずれも共通したものをもっているようである。その一つは考古学であって、続々と新しい発掘などによって新発見が出され、学界は活発な議論で賑わっている。次は文化人類学で、これまた様々ないわゆる文明圏以外の国々や種族の研究がまず出版され、次第に現代文化などの画期的な研究へと進んできている。いささか我田引水になるようであるが、もう一つの分野は深層心理学である。いずれも「発掘」、「フィールド・ワーク」、あるいは「臨床的治療」というそれぞれ独特の手法をもって、「過去」を「現在化」するという点で一致している。前二者はまず地球を実際に掘ったり、歩き廻ったりするといういわば「外的せ界」での過去を問題にするが、深層心理学では最初に「内的世界」 の過去を問題にする。つまり、人間の意識という現在の自分から、無意識の中にある過去にわけ入って、記憶の断片をとり出して、現在化し、これを通して治療を完成するという手法である。患者が語る過去はたんなる過ぎ去った過去ではなく、今も彼の中に生きている「過去」であり、これを想い出すことによって、もしこれが病んでおればこれを治療することになるのである。そこで人間の揺籃期が問題になり、いわゆる彼の 「子供」が問われることになる。
ところで、戦後三十数年のこの短いユニークな歴史を手にとってながめてみると、なんと言っても一目で分かる特徴的なことは、この戦後のいわば平和な時代が一口で言うと「子供」中心の文化の時代であったと言うことだろう。すでに戦争で多くの人々の血が流され、尊い命が失われた後でもあり、また生れるべくして生れなかった多くの子供も存在していた訳で、だから戦後は一転して今度は「子供」が中心であったとしても、何ら不思議はなかったはずである。したがって、それらの「子供」を育てた「母性文化の時代」であったと規定したとしてもまたよいであろう。ところで、この母性社会も一時代が終ろうとしている今日此頃になると、そこに「母性社会の病理」という否定的側面が見えてきた。そしてこれも、また自然のことであろうと考えられるのである。元来、子供は天使でもなければ悪魔でもなく、もし我々は戦後のこの時代の中で子供にあまりにも、天使的なものを見すぎたとすれば、その反動として、いま悪魔的なものが見えてきたとしても致しかたのないことである。 最近のこと、自分たちの面白半分に浮浪者の大人の弱者を襲ったり、中学生が散弾銃を手に入れて成人を襲ったり、家庭内暴力や学校での小・中学生の荒れ方が報道されたりすると、私は「可愛いい、可愛いい」と言ってトラの子供を猫のように可愛いがって飼育していた婦人のことが思い出される。気がついてみると、トラの子供は人を傷つける狂獣になっており、射殺命令が出されて、泣く泣くその可愛いいトラと涙の生き別れをしている場面の写真が新聞にのっていたが、なぜか戦後の「子供」の周題を象徴的にあらわしているようにみえて仕方がない。 いったい、この意識の地平の下では何が起っているのであろうか。今の今まで、勉強のできる、そして母親の言うことをきく「良い子」が、なぜある日突然学校に行かなくなり、行けというと暴力をふるうようになるのであろうか。この意識という地表の下の無意識に何か起っているのだろうか0大人たちは、いつまた「怒れる若者」が、そして今は「怖るべき子供」たちが襲ってくることになりはしないかと恐れ、そのためにどう対策をたて、管理した方がよいかに腐心しているようにみえる。そして、この無気味さにますます混乱するばかりなのである。そして、その鉾先を教師や母親や治療者などにむけ、それこそあらゆる自分以外のものにむけてその原因を嗅ぎ出し、犯人に仕立て上げんばかりの勢いである。
これらの学校恐怖症をはじめとして、拒食症、家庭内暴力などの子供の病理現象が社会的に顕著な現象としてみられるようになったのは最近のことではない。既に昭和四〇年ぐらいからカウンセリング・センターの治療室の中では注目されていたのである(1)。最初、子供の心の内的現象としてあらわれたものが、またたく間に、治療窒の枠をこえ、外的現象として世間に流行していった。つねに、この人間の心の中の内的世界の現象が、外的世界の現象と照応する点は面白い。とくに流行現象というものにおいてつねにそうである。どの子供の心の奥にもかくれたものとして存在するからこそ、流行現象というのは起るのであり、また恐さもそのことからくる。したがって、この否定的性格をもった「子供」の問題は社会の中心的問題に次第になりつつあり、無視しえなくなっている。いわく、自閉症、拒食、肥満、多動、落ちつきのなさ、かん黙、非行、粗暴、未熟、子供のポルノ、不純性異性行為、いじめ、薬物中毒、幼児の自殺、未婚の母、など挙げればきりのないほどである。その上に困ったことに、これに対する大人の子供に向っての対策、治療という名の暴行、つめ込み教育、しごき訓練、せっかん、虐待、嬰児の遺棄、放置、無関心、無理心中など、過剰の防衛や圧殺、囲い込みなどの様々な無慈悲な反応があらわれてきている。これらは大人の無意識の中で起りつつある、子供に対する集合的な影の力を感じさせるのに充分である。「子供」の病理を恐れるあまり大人の暴力によって、どれだけ多くの無力な子供たちが被害にあっているか考えねばならない。既に社会は、そして家庭すら、子供たちにとっては次第に充分に危険な場所になりつつあるのではないだろうか。そこで、ここで明らかにしなければならないのは、大人にとって「子供」とは何か。今までみえなかったからこそ、かえって恐れなければならなかったが、その姿をみすえることによって、いたずらな恐れや不安をなくさねばならない。そのため、自分の無意識下にあり、今なお生きている「子供」の意味を考えるぺきなのである。それをみることなしに、すなわち、自分の影と対決することなしに、子供の真の姿はみえてこないであろう。それでは「子供」とは一体なんなのか、どのように誕生してきたか、それを述べることにしよう。
二、「子供」とは何か
子供と一口に言うが、現在のような子供が誕生したのは、じつはそんな古いことではない。フィリップ・アリエスが『子供の誕生』(2)で言うように、西欧のロマン主義の結果であり、ルソー的産物であるのだろう。それまでは古代も中世も子供はいるにはいたが、それらは大人の小さいのであり、今日でいう固有性をもった「子供」ではない。フーコーの『狂気の歴史』(3)がヨーロッパ社会の内側と外側に見棄てられてきた狂気を問題にし、レヴィ・ストロースが『野生の思考』(4)で未開人というヨーロッパ社会の外側に棄てられてきた人間を課題の中心にすえたが、今また、アリエスが、成人からみると野蛮人であり、無費任で狂暴な、しかも身近にいる「子供」を問題にし、これに焦点をむけたのは面白い。つまり、彼によって制度としての「子供」がどのようにしてつくられ、近代家族の中で「子供」がどのように誕生したかが明確に示されているのである。
彼によると、近代以前には、「子供」は存在していなかった。それは「小さな大人」であり、子供が幼くして死んでも、人々は悲しまず、もう一人別の子供が生れればよいと考えられていた。つまり、固有性をもった「子供」は存在していなかったのである。今日のように幼児期という特別の扱いを受ける大人への準備の時期はなく、いきなり「若い大人」になった。仕事も、遊びも、戦いもすべて大人の小型版であった。子供の服も、大人の服の古いのや小さいのが与えられているだけであった。つまり、今日のように、小児科も、幼稚園も、子供服もなかったし、学校も一部の人をのぞいて子供とは無関係であった。
そして、近代に入ってルソーによって、「自然は子供たちが大人になる前に子供であることを望んでいる。この順序をひっくりかえそうとすると成熟していない、味わいもない、そして、すぐ腐ってしまう速成の果実を結ばせることになる。」(5)という名言によって老成した子供という変な大人をつくりだすのではなく、子供期には子供らしい子供を発達させねばならないと考えた。ルソーはある意味で人間の人生の中の子供期というものを特別視して、その固有性を認めた最初の人であった。しかし同時に彼はこれを閉城として「子供」を囲ってしまったのである。そこで、「子供」が注目され、近代の「子供の誕生」となったのである。「かれは生きている。しかし、自分が生きていることを知らない。」(6)や「子どもを愛するがいい。子供の遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、好意をもって見まもるのだ。口もとにはたえず微笑がただよい、いつもなごやかな心を失わないあの年ごろを、ときに名残り惜しく思いかえさない者があろうか。どうしてあなたがたは、あの純真な幼い看たちがたちまちに過ぎさる短い時を楽しむことをさまたげ、かれらがむだにつかうはずがない貴重な財産をつかうのをさまたげようとするのか。あなたがたにとってふたたび帰ってこない時代、子どもたちにとっても二度とない時代、すぐ終ってしまうあの最初の時代を、なぜ・・・・・・」(7)と歌いあげる。これは子供の魂のまわりに囲いをおき、そして、彼が護りたかったのは、大人の悪に犯されない子供の善良さであり、純粋さであったのである。ここに西欧ロマン主義の先駆の思想があり、彼によって見られなかった「子供」の負の側面が後に至って問題となるのである。
わが国においても、この理想主義的子供観はペスタロッチやフレーベルなどの思想が幼稚園運動と共に入ってきて、大正から昭和にかけて、次第に「子供」の固有性が主張されるようになってくる。しかし、これが本当にわが国の社会に普及し、定着するのには戦後の母性社会の出現を待たねばならなかった。今日では大多数の子供が幼稚園か保育園に、そしてすべての子供は学校に囲い入れられる。そこで、前述したように、この「子供」は同時にあまりに理想化され、特別視されすぎるようになってきたのである。家庭でも、社会でも、子供という名のもとに通らないものはなくなってしまった。いわく、童話、子供劇場、着物文化、お子様ランチ、児童公園、玩具、子供運賃、学割などなどである。そして、これらの美しい命名と特別視にかかわらず、見えない制度としての大人の日常性がこれを管理しようと囲い込んだのである。大人の意識が子供を善良で、純粋な存在としてみようとすればするほど、深層心理の働きとして、大人の無意識下の影の部分では、こうしておかねば子供は本来、無規律で、奔放で、未だ成人としての貴任を負えない暴力的な存在だから何をするか分からないという恐れのイメージを増大させることになったのである。そして、ついにはこの檻を破って若者が日常性の社会にあばれ出るであろうという不気味な恐怖に、大人の社会がとらえられるほどになったのである。この間の消息を中村雄二郎の『問題群としての(子供)』(8)は鋭くとらえている。
同じロマン主義の立場に立ちつつも、その初期のルソーの時代と、C・G・ユングとの問では随分と力点のおき方が相違している。ユングは最後のロマン主義者ともみてもよいのであるが、いわば一九世紀末というヨーロッパ社会の影の時代をその青年時代におくっている点で、より濃く「子供」 の影の部分をみたとしても不思議ではないし、また後に述べるように未来としての「子供」の影の部分にも注目していたのである。実際に、夢の中では、「子供」はその人の「過去」であり、「未来」なのである。したがって、多くの人の夢の中で赤ん坊はよく生れるし、世紀末という時代を通過して、ユングは自分の中の 「子供」を過去としてばかりでなく、病んでいる「未来」としても、その治療にあたったのではないかと思う。今日わが国で、最近の総理府の統計(9)などによって国の未来にあまり楽観的な予測をもてない時代に入ってきた時に、人々の夢の中での赤ん坊は一体どのようになっているか、個々の人々の夢の中でのその姿を、最近分析家としては注目せざるをえなくなっている。
じつは、この 「子供」を「過去」 の象徴としてこれに真剣に取組んだ深層心理学者がもう一人いる。それはシグムンド・フロイトである。彼は、ユングより、一足先に無意識の領域の研究に足を踏み入れ、この「子供」にも注目した一人であった。その治療論の基礎部分にこの「子供」があった。ご存知のように彼の系統発生論的なパーソナリティの発達論では、幼児期はその最重要時期として優先性を与えている。生理学的モデルを使用し、幼児の身体の発達論を基礎にするので、フロイトはルソーと同様に、「子供期」の重要性を説いたたようにみえるが、しかし、パーソナリティの発達論からではなく、その治療論からみると、彼が取扱ったのは「幼児期」ではなくて、現在成人の無意識の中に今も生きている「子供」(10)であったのである。ロ愛期、肛門期、男根斯、潜在期をへて性器的体制へと発展するいわゆる性衝動の発達を線的な向上モデルとしてとらえているようにみえるが、その表層ではなく、その深層に注目して、治療論をみると、そして正にそこにフロイトの偉大さがあったのであるが、成人の夢の分析をとおして彼が問題にしたのは現在でもなお生きつづけている「過去」という彼の中の「子供」であった。それを想起という過去を現在化することを通して治療しようとしたのである。すなわち、つねに問題なのは、患者の 「幼児期」 ではなく、患者の中の 「子供」である。そしてまた、実に生き生きと患者の夢には助かったその時代の自分の子供の姿が出てくるのである。それらの子供の姿は、飢えていたり、棄てられていたり、血を流していたり、成長が止っていたり様々であるが、それらはじつに具体的であり、個別的であることが印象的である。
そこで、これらの患者の夢の中の「子供」を具体的に理解するために、どのように分析心理学では夢の分析においてするのか、その手法と、それから導かれる「子供元型」の意味を少しのべておきたい。
夢の解釈には主観的増幅法と客観的増幅法とよばれる二種顆がある(11)。夢の中の象徴が出現した場合、まずその夢をみた人がその象徴についてどのような連想をもつかが重要である。猿なら猿について、その人の過去の経験からこれをどう受け取るかが大切であって、これを連想によってふくらませていく。もちろん、直線的に展開するのではなくて、その象徴を中心として放射線のように増幅するといった方がよいであろう。しかしながら、患者にとってしばしば何の連想をももたらさない夢の象徴もある。それを夢みたからといって、特別に何の連想も浮ばないというのである。この場合、分析家ははじめて客観的増幅法といって、神話や童謡、その他などでその象徴について言及されている意味について述べるのである。あるものは患者にとって何の反応もよびおこさないけれども、またあるものはそこで新しい意味を患者に感じさせることになる。これはユングが主として個人的無意識とよんだ領域の場合もあるが、集合的無意識の領域から出てきた表象についての場合の方が多い。これをユングは元型とよんで、人間の無意識の中の深層にかくれて存在するものとして考えている。ただそれが意識の近くまでもたらされたとき様々なイメージを通してその存在が知らされるのである。「子供」もまたこの元型の一つであって、主として童児神や英雄神などの神話などを通して明らかにされると考えていた。そして、これらの元型は人間の心の内部に太古的な記憶として存在するのみならず、他人という外界に投影されて、生きた神話として人々の行動を無意識のうちに規定しているとしたのである。もし、そうであるとすると、今日の戦後日本の社会の中でも、個々の人生の無意識の中にどのような幼児元型が作用しているか、その特徴はなにか、その「子供」元型の性格を知ることによってあらわになるはずである。したがって次にこの「幼児元型」の内容を述べることにしたい。
三、「幼児元型」とその特徴
ユングはこの「幼児元型」の特徴を四つ挙げている(12)。いずれも、英雄である童児神の特質を指しているのである。個人の集合的無意識の中では、とくにそれは一つの国家が危機に陥ったような場合、どのような英雄神の元型がその深層の中で動き出すかは興味のあるところであり、また戦後の復興にあたって、英雄神としての「幼児元型」がやはり活発であったとしても何の不思議ではない。幼児は「過去」の象徴であるばかりでなく、前述したように「未来」の象徴でもある。この点で、時代をへて今日からみるとわが国ではとくに特定の英雄神が活躍するということはなくて、特に戦後は無数の子供に代表されるようないわゆる「幼児元型」ではなかったかと思われる。しかし、これにもまた英雄神の譜要素が含まれている。それではどのような特徴があるのか、ユングの指摘する四つの性質をまず述べてみたい。
第一は英雄はつねに産み落され、産み棄てられるという「投棄性」にある。子供はどのような子供も産れる時は脆弱であり、危険の中に生み落されるという性質をもっている。最近でこそ新生児の死亡率は下っているものの、現在でもやはり人生の中でもっとも傷つきやすい、危険の中に生存するという宿命には変りはない。嬰児は母親に全く依存して、他人の愛情なしには存在しえない個体である。モーセ神話においてはモーセは生れると、葦の箱に入れられてナイル川に流されることになっているし、イエス伝説によると、生みおとされるとイエスの一家ヘへロデ王の嬰児虐殺の危険をさけて、エジプトに流詞されることになっている。演義経は京を遠く離れた鞍馬山の寺にあずけられ、やっとのこと平家支配のもとで、生きていくことになる。貴種流離譚というようなものは、いずれの国の英雄神話にも存在するものであって、どれも貴い、聖なる種は危険の土壌の中に育つことになる。この箱に入れられること(boxing)はヒルマンHillman,J.の強調する点であり、これは「未来」という可能性が囲われて、もっとも小さい、はかない可能性として存在することを意味している。その中で、かろうじて生存が許されるのである。この囲い込みは、保護であると同時に、圧迫である。駅のロッカーなどで嬰児の死体が発見されるのもこのためであり、外界との通気性のないために、窒息死する。この場合、幼児にとってもっとも重大なのは母親であり、母親との関係性の中で、生命が営まれていくのである。母親は新しい生命に栄養を与えるものであるという命の附与者であると同時に、新しく生れたものも奪い、呑み込んでしまう奪取者でもある。クロノス神がその生れた子を食べるのは象徴的で、世界という時は、可能性という「未来」を嫌って、時にみな殺しして食べてしまう。したがって、古代社会の王にとって、自分の支配を完全にするために、未来を形成するような一切のものを断ち切るために、三歳までの幼児を全部殺すという嬰児虐殺はしばしば行われた。したがって、この時間の世界は子供にとってつねに充分に危険であるし、それが貴種であり、英雄であればあるほど、それは恐れられ、危険となる。ヒルマンはこの現世の元型を、クロノス・サターン元型(Kronos-Saturn Archetype)として、この幼児元型と対峙させた(13)。この特徴は冷く、遠い存在であり、つねに原因でなく、結果だけに重点をおき、王が病気になった状態であって、「未来」は窒息し、そして子供はつねに失われている状況である。力で管理し、統制を好み、固定(coagulate)がその本質で、変化を嫌う。このような状態の中で英雄神たる「幼児」はこの世と戦わねばならない。ケレニーとユングはこの英雄神の性質を「もっとも小さなものより小さく、もっとも大きいものより大きいもの」(14)と規定している。
次に、この子供の遺棄に関して附言しておきたい。この生育史の初期における遺棄体験はその後の成長にとって、重要な影響を及ぼすものと考えられる。例えば、わが国では里子に出す習慣があったとか、一度棄て、もう一度儀式的に拾い上げると強い子になるという言い伝えとか、継母や乳母などの深層心理学的意義は考えなおされねばならない。ただたんなる育児の継続性や豊富な栄養性、幸福というイメージの背後にあるこれらの深い元型の意味も考えられねはならない。しかし、同時にこれらの英雄神は全部育てられると考えると無理がある。英雄神の場合は、多くはその途中で死滅するのであって、今わが国で生れる子供をすべてがすべて英雄神のモデルで育てられねばならぬと考える方が無理なのである。もっと他のモデルが考えられねばならないし、受験・就職戦争をこのモデルで勝ち抜かせようとする母親の期待には、その結果どのような負の結果があるかをみておかねばならない。英雄神というのは、いつも天上的であり、神聖な子供であって、それに反してわれわれの子供はかならずしも、神の子ではないのであって、この点を見誤ってはならない。
第二はその「無敵性」である。「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺があるが、幼児には天上的であればこその何者にも敵しない、自己中心的な「無敵性」がある。登校拒否児の家庭や家庭内暴力の現場でみるものは、わが子ゆえに手荒なことも出来ず、とくに母親が子供の言いなり放題になって、家庭は「子供」という暴君の荒れるままにまかされる状態になっている場合が多い。これは、幼児元型のもつ万能性であって、その「無敵性」が特徴である。社会の権力も家庭内や学校内のことということで無力である場合が多い。そして、この童児神は子供の姿をいつまでももっていて成長しない、「永遠の少年」という特質をもつ場合が多い。身体的には成長していても、幼児性をもち、まるで永遠の少年像のごときこれらの問題をもつ子供をときどきみることがある。英雄神は母なるもの、例えば巨大な竜や鬼と戦ってそれに勝つことを使命としている。別に両親が悪いことをしたというのではなくて、両親であるためにその性格と子としての彼の性格との戦いを戦うのである。とくに、両親の期待が大きく、過剰のファンタジーがその子供に投影されると、彼の中の英雄としての「幼児元型」が増幅され、刺激されて、この使命に目ざめることになる。そして、生れたばかりの子供と母親は文字通り、巨人と小人との関係であって、これを倒さねば人喰い巨人に呑みこまれかねないという恐怖をもつのは当然であろう。この心理的な大小の差異を子供を育てる場合、両親は心にとめておかねばならぬであろう。反対に、母親からの安全感や無限の愛情を通しての勇気づけは本人をして無敵にしてしまうだけの自我の膨張をうながすカの源泉なのである。このような関係で、母親が全くの善や義のシンボルとなって、すべてのことが子供の冬めに先取りして、偽の選択肢しか与えられず、彼のためにあと残されているのは悪や不義だけであるというようなことになる。この場合、子供は渾身(こんしん)のカをふりしぼって悪や不義を通して自己を確立するほかはなくなり、また、この童児神はこの悪の孤独性に耐えねばならなくなる。この全世界に直面し、対時する状況こそがまた英雄をして、「現在」に与せず、取り込まれることなく、「未来」を創造する力の根源となるものである。
そして、第三番目は、子供の 「両性具有性」である。人間は成人すると男か女かのどちらかの性を生きることになる。しかし、言語も個人の歴史ももたない個人の有史以前は、幼児という両性を生きる時期であった。この両性具有性の記憶はその後の性の発達にとってかなりの重要性をもっている。
現実に存在している男性ないしは女性は、成人をとっても肉体的には別々の存在であるが、つまり男性でないものは女性で、女性でないものは男性であるが、心理学的にみると両性の具有性をもっている。男性といえども女性ホルモンはその体内にもっているし、女性的要素をもちあわせている。それは男性性が優勢であるにすぎないのであって、その人の内には女性性の要素も保持しているのである。意識が男性化すればむしろ無意識の深層の奥深く、女性のイメージがかくされていると言ってよい。これをユングはアニマとよぶことにした。男性の魂とか心とかという意味であり、これによって意識は突き動かされることになる。そして、この男性性と女性性との「結合のシンボル」としての結婚、つまり高次の統合を目ざしていると考えられる。確かに「子供」はつねに男性と女性との結合の結果としての産物であるが、同時に男でも、女でもないし、また父親という男性のものでも、母親という女性のものでもない、第三のものという意味をもっている。結婚関係は臨床的なケースを通してみると、子供の問題で結婚が引き裂かれたり、また思わぬ統合へむかって発展することがある。これはこの子供というものの性格においてであろう。したがって、この「子供」の両性の具有性は、母なるものと、父なるもの、男性と女性、とを結合して、新しい「未来」を開拓する志向性をもっていることになるのである。
第四はこの両性の具有性とも深くかかわっているが、始めであり、終りであること。つまり「対立物の統一」という性格を子供がもっている点である。
人間の個体の発生は新生児の証生として、心理学ではとくに重要視される。おそらく、誕生ほど心理的にみて人間の一生の中での重要な瞬間はないであろう。もちろん、無意識の中の出来事であるが、心理的外傷として残るような事件であることは言うまでもない。フロイトがこの始原の時をとくに重要視したのは無理もないところである。しかし、この始原的存在は人間が生れる以前にも存在し、同様に、この「子供」は終末のシンボルともなりうるものである。新生児への再生として考えることであって、死者の生れ変りとして祖父の死去の日に生れた子供をそう思ったり、同じ名前に命名したり、一門が同姓を使ったり、還暦の儀礼などを通して老人が子供に回帰したり、様々な始原と終未、誕生と死とを統一的に理解しようとする試みがある。つまり、「子供」はあらゆるもの、対立物の統一のシンボルとなって、永遠の少年の像のように、時間を超越した存在となるのである。
この対立物の統一の性格の把握にあたって、これをただ静的にとらえてはならない。「子供」 の泣くことを通してこれを考えてみよう。子供の特徴の一つにこの 「泣くこと」(cry)がある。大人は子供のようにはもはや泣けない存在である。新生児の泣きは、たんなる悲しみの香定的な「泣き」ではない。叫びでもあり、積極的に自己の存在を主張する側面をもっている。永遠に満たされることのないものに対する訴えであって、「子供」 の弱さの表現であると同時に、強さの主張でもある。子供はつねにこの被虐性をもっていて、現在に対して、被攻撃的である。これに対して大人の日常性という「現在」は攻撃的であって、泣く子供を皆殺しにする恐ろしさをもっている。王はつねに「現在」を代表し、古代の王はしばしば嬰児を皆殺しにしたことは前に述べた。「未来」を憎んだためである。現在は大人の習慣や規則や秩序が子供を殺しにかかる。そのとき、子供は泣いて抵抗する。そこに永遠に満たされない、また終らない、「子供」 の脆弱性ゆえの訴えが存在しているのである。この今の 「子供」 の泣きをどう理解するか、深層心理学の現在の課題であろう。そこで「永遠の少年」の問題をとりあげて、とくにこの否定的要素から何を学ぶかを考えてみたい。
四、「永遠の少年」症候群
この「永遠の少年」(Puer Aeternus)については、ユングをはじめ、ヒルマン、フォン・フランツ(15)など主としてユング派の多数がこれに注目している。とくに、ベトナム戦争以後、多くの若者が既成の管理体制の文化に失望し、世代間の落差をひろげたとき、彼らが造りあげた若者の文化があまりにも古代の童児神の性格と類似していたので、これを注視したのである。現在でもこの傾向はおさまっておらず、やさしく、野蛮で、無責任で、時に暴力的で、神的で、傷ついているこの若者たちをどう理解するかがつねに問題になっている。
現在では、社会の目はむしろ「荒れる子供たち」にむけられているが、私たちはまず、一九六九年を中心に「怒れる若者たち」が社会病理の前景に出てこれを注目したのである。対人恐怖症や留年など、キャンパスという小世界の中でわれわれの関心をとらえた。そして現在では次第に低年齢化し中学生から小学生の子供たちにその焦点がうつってきている。
ヒルマン(16)はこの「永遠の少年」像の中に、ポソス(πσθοs)をその重要な性格としてとらえている。これは本来「あこがれ」であり、故郷を想うノスタルジヤを意味する。母から出発して、母には帰されず本来自分が属すべき土地、故郷をあこがれて流する若者の姿を描いていて、この疲れを知らぬ魂の彷捜する者を若者と考えている。大人への中間者であり、途上人である。このポソスの発作に襲われた典型的な若者の代表はアレキサンダーであって、世界を文字通り彷徨して、途中で死ぬ、ユリシーズも同様で、エネルギーがあり、故郷に憧れて旅をする若者である。その特徴をいくつか具体的にあげているが、その主なるものを述べてみると次のようになる。
(1)手や足に傷を負う。血を流している。
(2)垂直に上昇、下降する。
(3)道徳無視的行動をする。
(4)アルテミスやアマゾン型の女性との特別の関係をもつ。
(5)無時間的で年をとらない。
(6)失敗に対する好癖性をもち、自己破壊的である。
古代ギリシャのへルメス神など、手や足に傷を負うて、血を流しながら旅をし、野山を巡回する童児神も多い。定住は若者の死を意味し、スぺ-ス・マンとして宇宙をも旅することを夢みるのが現在の若者であろう。交通事故を恐れず、多少血を流してもスピードに酔うのも若者の性格である。キリマンジャロの山に七半で挑戦するため、しばし病院で交通事故の傷を癒し、再度の試みに備えている日本の若者の講をきいたことがある。
彼らの心理状況はつねに、上昇と下降が特徴であって、自我肥大によって世界を手に入れるほど、高揚して上昇したかと思うと、このとき父なるものとの衝突は避けがたいが、明日は全く地獄の淵につきおとされるほどである。イカロスの神話のように上空を飛翔し、無鉄砲に父の忠告もきかず太陽に近づいては海上に墜落する。母の子宮の迷路を思わせるクノッソスの宮殿を脱出できるためには、水平ではなく垂直に父と共に飛び立つ外はなかったのである。また女性との関係がつねに問題となり、道徳無視的であって、その青年としての著さ、美しさは年をとらない。しかし、最後には難破したり、失敗したり、異性に捕われて、終結に至るのである。つまり、彼らは、「余りにも若く、弱く、病んでいて、傷ついており、未だ成熟していない」で、その途上にいるというのが彼の性格なのである。
このような「子供性」は本来は成人に活力をもたせるカとして働くのであるが、これに固着しすぎて、成人しても、内的な無意識世界の中ではこの「子供」がむしろつねに人格の中心をしめるようになると、外面の活動は制限され一見病的な現象が表面に出るようになる。そこで、この現代の「永遠の少年」症候群(17)ともいうべきものが注意されるようになる。一般の構神病や神経症とも区別して、境界例や軽度の神経症として取り扱うようになってきた。笠原 嘉たちは、時に、スチューデント・アパーシーなどとも命名(18)して、この社会に参加せず、無関心という特徴をもつ一群のとくに学生層に注目した。これらの学生たちは通常他人よりも学力があるにもかかわらず、学校に行けなかったり、成績の不振が目立ち、しばしば留年をしたりする。真面目な性格で、家庭の本人に対する期待も大きい。本人たちも別に怠けているのではなくて、不安反応から学業の不振に悩むのである。学校へ行っても試験になると極端にこわくなる。あるいは、語学などの小クラスで先生にあてられるのを嫌う。勉強以外のものには凝ることもあり、斜めの人間関係ならよいが、非常によく知っている人間の間柄では困る。時に、この親しい間柄の両親や先生との問で、突発的に暴力が起る場合もある。しかしながら、ふだんは「やさしい」学生である場合が多い。とくに、見知らぬ他人の間では借りてきた猫のようである。人生をおりてしまったような感じで、これを彼は「オリズム」と名づける。丁度マージャンの遊びを最初から、おりてしまって、一緒にやってはいるが、全面的には人生に参加しない状態の若者の心理状態を指している。「シラケ」状態といってよいであろう。最近では、勉学に一所懸命という態勢をとり、成績もよいが、どこかつかみどころがなく、どのように人生を生きているか分からず、本音の分からない不気味なタィプの学生も多くなっているように思われる。
これらはいずれも、表面的なものの背後に、否定的な「子供」イメージがかくされていて、なかなか意識の表面には出てこないのである。そして、これと外的世界の大人のもつ否定的な「子供」の像と相関関係をもっていて、これが投影されて、集合的イメージとして活性化されるのであろう。これらはなかなか、学生たちの意識にはのぼってこない。そして、登ってきたときは、暴力など感情の力をもって、表面に現れるときである。また、このような社会にとって許容されない力、そして、若者ゆえに力が強く、いったん暴発すれば自分自身をも破壊してしまうその力の存在をうすうすは感じているからこそなお抑圧してしまう結果となるのである。年をとらず、あたかも成長を拒否しているかのようである。この点で青年と自殺とが近親性をもっているのも、また、うなずけるであろう。
弱々しさの中に、どことなく暴力性をもっているという感じは対人恐怖症などの症例によくみられるところで、本当に自分が他の人よりも弱いのではなくて、他人よりむしろ強いために、その強さが表面に出ると他人との関係を破壊するから反対に他人を恐れるというのが、真相なのである。つまり、彼の深層の中に「永遠の少年」が巣食っているということである。この少年がイニシエートされることなしに、病いや問題を解決しないということになる。イニシエートされていない人、またはイニシエーションに失敗した人というのは、この現代という時代が明確なイニシエーションの儀礼も、それにかわる有効な方法をもたない、その犠牲になっている人々であるといえるのではないか。
この若者性の内容について、かなり明確な像を示してくれているのが、サン・テグジュペリの『星の王子さま』である。これのフォン・フランツによる分析も出版されているので参照されたい(19)。
ここではその本の彼女の分析には入らないが、このアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリという人について一言したい。彼は貴族の家に生れて、空を飛ぶ人となろうと決意して、プロの航空郵便櫻のパイロットになり、生渡を空の上で上昇と下降を繰り返し、第二次大戦中にアルジェをたって、フランス上空の偵察に向ったまま永久に帰らなかったフランスの作家である。墜落事故ということになっているが、誰れも本当のことは知らない。古い家に生れながら、何らみるべき地上の生活はなしに雲の彼方に飛翔して行ってしまったのである。彼の『星の王子さま』も天体から、ある日小さな地球を思わせる、それにしては小さな惑星で生活をしはじめるのだが、その大地の貧弱さに読者は驚くであろう。彼の結婚生活も同様で、妻とは一、二週間も一緒にすごすと彼は絶望的な気分になり、空に昇ると爽快になるほどであったという。だから、この作品からも暗示されるように彼はまた星の国へ帰って行ってしまったのである。天上的で、半神的な存在であった。フォン・フランツは彼の作品の中にある、とくに『夜間飛行』の中に出てくる、「高邁な目的のために若い操縦士たちを死においやる」ある種の残忍さと感傷的な調子に注目している。永遠の少年の問題に直面すると、いつもこの影の問題が出てくるものである。この童児神のもつ残酷さと、「飼っていた鳥が死んでも泣くような」感傷性、そしてその豹変ぶりの素早さは記憶しておくべきで、このイメージは明らかにまたトリックスターの性格をも暗示している。両義性をもちつつ素早い変身をする文化英雄という姿であって、「永遠の少年」 の像はまさにそのようなものなのである。
そもそも、ここで「永遠の少年」というのは古代ギリシャの神の名につけられた言葉である。例えは、エレウシ-スの古代密儀には行列の先頭をデーメーテルの子、イアッコスという童児神がつとめた。この神イアッコスはバッコスと似ていることから酒神とも同一視され、またエロスとも一緒にして考えられた。母神を崇拝する若者で、密儀の中では夜生れ、一種の贖罪者になって、植物の繁茂や復活の神として重要な役割を演じていた。したがって、元型としては、英雄、聖なる子供、エロス、王の皇太子、太母の愛する息子、魂の導き手、ヘルメス神、トリックスターや救世主などのイメージを含んでいる。この中でも、地母神の最愛の息子のイメージは今日戦後社会の母性性のもつ豊餞性とその産物としての「永遠の少年」の問題を考える時、無視しえない姿である。この永遠の少年の元型に同一化した人は、一様に母親への絆の強い依存性がみられ、母親コンプレクスの症状ともいうべき母親の愛を獲得するための攻撃的な依存性が特徴である。つねに母親に対してアンビヴァレントな態度をとるため、母親は彼に対して「育くむ」者であると同時に、「呑み込む」ものとなるのである。筆者はこの永遠の少年の特徴を三つに分けて把握する。つまり、その精神性と可能性と自発性とである。少年はつねに上から精神的存在としてあたかも地上に舞い下りるようであるが、全くは地上的存在とはならない。それに対する不安をもつ、若者にとって、可能性こそがすべてである。現実性は彼の敵となり、彼にとっては可能性そのものが本質であると共に病いでもあるのである。可能性を病む人こそ「永遠の少年」と言えよう。そして、その行動や動きはすべて自らに発している。好奇心などの自らの原理に従って、大胆に自由に行動するという特徴をもっている。これらはみな思春期の若者の心理と著しく一致しているのである。したがって、肉体が彼にとって問題となり、社会への適応という現実性が彼への課題となる。しかし同時に、人生において一番立派な肉体をそなえ、完全な姿に達するのもこの「永遠の少年」像であって、超歴史的でありつつ、歴史全体を包含してしまう絶頂期をもっている。しかし、それではこれが激しく対立する老人像というのはいかなるものであろうか、次にこれに対する反発と相補佐について、この「永遠の少年」症候群への治療の手がかりとしてこれを考えてみたい。
五、老人と少年(Senex et Puer)
今日の時代ほど、体制と反体制、持つものと持たないもの、成人と若者、親と子がきわだって対立する時はないようである。臨床のケースからこの亀裂は文化や習慣、法律や服装、言語や音楽、あらゆる側面でその姿をあらわしている。両親たちはその言葉が子供に通じないことを歎き、まるで異民族と共に住んでいるようで、これが自分たちが生んだ子供であるのかと思うくらいである。子供は過剰な愛を圧迫ととり、独自のサブ・カルチャーをつくって、キャンパスのような解放区や自室に鍵をかけて立てこもる。攻撃というよりは、表現がどんなに過激でも自衛の性格をもっている。まさに、歴史が切れて、何も継承されず、異質の超歴史がそこに出現するような感じである。ここに「永遠の少年」が地表に顔を出すのである。この反歴史こそ、彼の性格であり、顔である。
この反歴史に対峙する歴史とはなにか。ここで老人(Senex)というのは、この世を支配する王であり、今や病める王になりつつある「現在」である。彼らは距離と冷たさがその身上である。管理し、統制し、秩序を好むものは、近くによってはならないものであり、遠い距離に立って、抽象的法則をもって、多くを支配する。冷たく、あらゆるものを凝固させることによって管理が容易になる。すべての文化、制度は、このように現在によって支配されるのである。
人間の人生も同様であって通常、前半生を「子供」の時代とすると、後半生は「老人」の法則の支配する時代に入る。前半生を生き生きと生きていた若者がかならずよい老人になるとは限らない。後半生はまた異なった課題があるといわねばならない。
ここで英雄神話の主要なモティーフは二つに区別される。この両者が反発し、どちらかが相手を殺して自分を守る道と、相補いつつ両者が完成する方法である。息子が父と対立し、母を殺して、自己を確立する道である。これも無視しえない重要なイニシエーションの道ではあるが、これがはたして唯一の道であろうかと思う。たしかに、英雄の時代というのがあって、ギリシャ古代やルネッサンス期、最近では一九世紀など西欧ロマンティシズムの時代がそうであった。ナポレオン(一八二一没)をはじめ、政治に文学に芸術に幾人もの天才や、英雄を生み出した。しかし、二〇世紀はかならずしも英雄の時代ではない。ただ、ヒットラーのような黒い英雄を生み出した体験はもつが、むしろ一人の偉大な人格に人々の運命を託するというよりは、いわゆる英雄ではない名もない人々が皆個性的に自分の人生を生きる時代である。そのとき、むしろ老人と少年の相補性こそ考えられるべきなのである。
面白いことに、母親が母親でなくなった時、つまり英雄神話にも出てくる幼児が遺棄されるとき、通常は自然の中に棄てられた。この時第二の母、継母に自然がなったのである。自然はまず動物を使って嬰児を育てる。狼に育てられ、野山を友にすることがある。現在でも、母乳のないとき、牛乳で赤ん坊が育てられるが、これは動物の乳であり、野山は今でも家出の少年を慰め、養うところでもある。動物が機能しない場合は、野山の山川草木が、ある。ワンダー・フォーゲルは青少年が野山を渡り歩くことによって、彼らの魂を養おうとする。これらの自然は守護者となり、世話をするものとなる。そして、老人のイメージの極に隠者がある。教師であり、魂の養育者となるのである。
老人も両義性をもっている。否定面と肯定面であって、前述したように、成人の否定的要素は時間の中で、現在を守り、絶対に自己主張を譲らないことである。彼にとって成長は死を意味する。原因よりも、結果を重んじ、死を賭しても自分を守り、子供の成長を憎んで、虐待し、自分の支配下におこうとする。しかし、この老人が死に直面して、現在から離れる時に、彼は未来との親和性を回復する。それを通して、肯定的な「老人性」が彼に起ってくるのである。
現在、欧米において、最近ではわが国でもようやくホスピスの運動が考えられるようになってきたが、これは末期の患者のための施設である。死にゆく人々がその最後の時間をよりよくおくることが出来る一種の病院であって、このいわゆる「死の家」の運動は、われわれに死のイメージの否定的側面ばかりではなく、積極面への転換を迫るものがある。
この時に、一番理想的状態として考えつかれたのが、施設を幼児施設の出来るだけ近所につくって、あるいは一部としてつくり老幼の交りを計ることである。子供たちは歌を老人たちにうたったり、話をしたり、老人たちは若い人々の活動を見たり、話したりすることで生きる勇気を与えられる。思いのほか訓練された適切な仲介者が存在する限り、子供は死を積極的に理解し、受け入れ、経験化するのである。また反対に、老人ほど、過去を回想して、彼らの中の「子供」を大切にして、これを通して子供に語れる人々はいない。この対がそれぞれの欠点を補強しあいつつ、それぞれをよりよく生かしている。
古来、アレキサンダーにはアリストテレスのような教師が、ユリシーズには日のみえないテレシュースのような老教師が影のようについていたということである。筆者はわが国の戦後の母性社会では、母親があまりにもその愛する子に、自分の溺愛をかけすぎ、また父親不在の病理が今でてきたのではないかと思っている。この点で、デメテル=コレー神話の母神と少女神との関係が参考になる(20)。この中では完全に父は不要で、女性は初め母として生き、後に娘として生きる。彼女は不死であって強力である。むしろ、この神話では母と少女神との神話の方がより意味をもっているが、同時に、わが国では母が少年に期待する英雄神のように、あまりにもすべてを期待し、またその母の生き死にを磨けすぎた結果としての現象に思えるのである。他の男子の英雄神話のように父を殺して個を確立する道もあり、また他に、老人との対によって、また伯父やいとことの関係など多種の関係によっておたがいにイニシエートされてゆく道もあるのではないかと考えている。これから日本はいよいよ高齢化社会を迎えて、中高年齢層の問題はますます重要な問題となってくるが、ここに若者との対で考える視点がぜひ必要であろう。
また、このような目のみえない教師、しかも老人は若者の成長にとって重要なシンボルであろう。若者の指導にあたって、目が見えすぎては彼らの本当の魂の成長は見えないのであるまいか。伯父、叔母などの斜めの家族内での人間関係がこのような若者の発達問題の解決に必要で、父と妹の関係もユニークなエロスの色あいをもっている。同時に、老人のような遠く、淡い人間関係の治療もこれから考えねばならないと思っている。
じつは、この老人と少年は両極であると同時に一致している。どのような子供の中にも「老人」は住んでいるし、老人の中にも「子供」が住んでいる。この点を考えると、むしろ、現在の若者がこの原子核の危険がひそむ時代の中で、死の問題にこのように早くから取り組むことは、また年金制度や自殺の問題を考え出していることは、彼らが後半生の課題をむしろ前半生に悩み出した証拠なのではないだろうか。今の大人たちに歴史をまかせておけないという不安感から、若者たちの中の 「老人」性が激しく揺り動かされて、運動や関心へとかりたてられてゆくのではないだろうか。そうだとすると、「永遠の少年」のまま老化して、本当に老人になることなく終結してしまうことになる。今みられる若者の中にある「老人」性がそう見えて仕方ない。
そのことからの回復にはどうしても、老人の中にある「子供」をもっともっと開拓せねばならないであろう。活力のある社会のために、若者の治療のために、治療者の中にある「子供」との交渉の回復がもっともっと求められる必要があるだろう。
六、おわりに
わが国の伝統的な信仰の中に、祖霊のイメージがある。子供が「爺さん婆さん」の話を好んできき、やがて自分が祖父や祖母のようになる日を想像して、代々「生れ代って」家が継承されてゆくという考え方で、老いの古く疲れた魂はまた休んで、新しく生れた撥刺とした赤ん坊の肉体に宿るというものである。したがって、「尉と姥」の二体は中世の寺社縁起の中にも老翁イメージとして数多く出現する。そして、この老翁は神人の化身となって、また仙童や童子の姿をとって現れる。これからも、老人と子供が一対または一体となって、わが国では考えられていたとみるべきで、老子、つまり「老人」と「子」が共にある思想といえるだろう。中でも宮田登は『楢山節考』のモチーフの姥棄ての中にも、「親棄てもっこ」の話を紹介している(21)。これは「年老いた親を息子が幼いわが子と一緒に、もっこ(車、かご、箱)に入れてかつぎ、山の奥へ棄てに行った。そして老人を置いていざ帰ろうとすると、幼児が一緒に捨てたもっこを持ち帰ろうとするので、その理由を聞くと自分が今度親を棄てにくる時必要だからと答える。父親はそれを聞いて愕然として非を悟り、ふたたび親を連れ戻した」というのがあるそうで、これは『民間文芸モチーフ索引』(J21)「自分の息子の無邪気な行動が不孝の息子を責める」に相当するとあるが、子供と老人とそしてもう一つ成人との三者の関係を深く言い当てている。いかに、子供が老人と合体しているか、そして、注目すべきはこの両者が成人に対してどのようなインパクトをつねにもっているかを示している。「愕然として非を悟る」というところが面白い。 いわゆる「お爺さん子、お婆さん子」が他の子供より、上手に育つかは臨床体験からいってそう簡単ではない。むしろ、問題性を感じさせる場合の方が多いのである。それは、老人が子供に学び、反対に子供が老人に学ぶというより、どちらかが他者を取り込んでしまう場合が多いからである。結論的にいって、少年と老人、歴史と超歴史、秩序と愛、意識と無意識、過去と未来のように、二つに分裂した対極がそれぞれの独自性を失うことなく、交渉を通して他者に学び、自らを第三のものに変化させてゆくかが課題なのであろう。つまり、老人と少年から成人が何を学ぶかが問題となるのであろう。
今後、ユング心理学の中でも単一の元型ではなくて、このような両極性に分裂した元型がどのように発展し統合されてゆくか、さらに研究されねばならないし、この治療的側面を考える必要性がますます高くなってくるであろう。なぜならば、今という時が分裂の時代であり、大きく新しい心理宇宙へと移行してゆく時代であるからである。
注
(1)わが国で学校恐怖症がどの年代から注目されたかは明瞭ではないが、早くから、J.C.Cooligeや L.Eisenberg の school-phobia という考え方が紹介されており、昭和三五年ぐらいには、ぼつぼつ症例としてみられていた。四〇年代に入ってから、例えは、浪花博「強迫症状を呈する登校拒否中学生との治療過程」『京都カウンセリングセンター研究紀要』第二号、一九六七年、三六-四九頁など、かなり初期の研究発表でその後急激にふえており、昭和五八年現在京都市カウンセリングセンターでは不登校の相談件数は一二四件で全体の相談件数の三三.一%をしめるほどに増加している。
(2)フィリップ・アリエス『<子供>の誕生--アンシアン・レジーム期の子供と家族生活』(杉山光信、杉山恵美子訳)みすず書房、一九八〇年、三五頁以下。
(3)ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(田村俶訳)新潮社、一九七五年。
(4)クロード・レゲィ=ストロース『野生の思考』(大橋保夫訳) みすず書房、一九七六年。
(5)ルソー『エミ-ル』上(今野一雄訳)岩波文庫、一二五頁。
(6)ルソー、同書、九六頁。
(7)ルソー、同書、一〇一 - 一〇二頁。
(8)中村雄二郎「問題群としての〈子供〉」『世界』一九八一年一二月号、二〇八~二〇九頁。
(9)一九八三年七月一〇日発表の総理府調査の統計によると、三九%が日本将来を悪い方向に進むと答えて楽観二六%を上回った。
(10) アリエスによれば近世フランス語では一八世紀まで「子供」(puer)は「青少年期」(adolescense)との間には区別がなかった(アリエス、前掲書、二七頁)。また、ルソーはラテン語では「子供」(puer)には「話すことのできない少年」として「幼年」も含まれていると言っている。したがって、本文ではプエール(少年)を人生のほとんど前半全部の広義に使用している。フロイトでもつきつめてみると、区別は一応あるが、リビドー論の全体からみると、人生の前半全部を指すことになる。フロイトは後半については明瞭に言ってはいないが、本文でも取り扱っている「子供」=「老人」をも考えていたのではないだろうか。
(11) 樋口和彦『ユング心理学の世界』創元社、一九七八年、一三六蛇~一六八頁、参照。
(12) C・G・ユング「童児元型--神話に見られる」『続・元型論』(林道義訳)紀伊国産書店、一九八三年、参照。
(13) James Hillman, ”Senex and Puer : The Historical Present in the view of Archetypal Psychology," New Lugano Review/ Art Iniernationa1, Vol XV/1 Jan. 1971, Zurich. p. 72.なお、これは Puer Papers, Spring Puclications. Inc., Dallas, 1979.の中にこの一篇も再録され出版されている。
(14) "smaller than small yet bigger than big" で、 C. G. June and C. Kerenyi, Essays on a Science of Mythology, Harper & Row, New York and Evanston, 1949, p. 85_.
(15) Marie-Louise von Franz, The Problem of the Puer Aeternus, Spring Publications, Zuirich, 1970. 訳としてはM-L・フォン・フランツ『永遠の少年(星の王子さま)の深層』(松代洋一、椎名恵子訳)紀伊国屋書店、一九八二年がある。
(16) James Hlillman, Loose Ends, Spring Publications, Zurich, 1975, pp. 49-62. ''Pothos: The Nostalgia of the Puer Eternus"(1974).
(17) 樋口和彦「ポスト・スチューデント時代」笠原嘉、山田和夫編『キャンパスの症状群』弘文堂、一九八一年、参照。
(18) 笠原嘉『青年期-精神病理学から』中公新書、一九七七年。
(19) フォン・フランツ、前掲書。
(20) C・G・ユング「母娘元型-デメテル=コレー神話」『続・元型論』(林道義訳)紀伊国畠書店、一九八三年、参照。
(21) 宮田登「老人と子供について」『民族学研究』四六巻四号、一九八二年、四二六~四二八頁。