「都市と分析:東の目で」
1986年 春秋社 宇宙意識への接近
西洋の劇では、何か新しいことが起こる時には「事件」が起こります。日本の古典劇である能では、たいていの場合「旅人」がやってきます。舞台には橋懸りというのがありまして、そこを通って、時にはあの世から、訪問者が訪れるというわけであります。つまり、遠い所からだれかがやってきて、新しくなるのです。 皆さんの中には、アフリカからいらした方もおられますし、ブラジルからも、フィンランドからも、あるいはラッセル・シュワイカート博士のように、宇宙からやってこられた人もおります。きっと、素晴らしく新しい考えや世界がここから生まれることでしょう。 何よりありがたいのは、これらの訪問者は時に、この舞台でいろいろな混乱を起こしますけれども、やがて帰って行くということであります(笑い)。 私は、これらの人たちの目を借りて、日頃私が見慣れているこの京都や、世界というものがどんなものを今もっているか、どういうふうに私たちは住んでいるのかをもう一度見直してみることができるのではないか、これはたいへん嬉しいことだと思っております。さて、狂言らしい言い方をしてみますと、まず、「それがしは、この辺りに住まう者にて侯」ということになります。私はこの近くの東山の麓、修学院という所に住んでおります。ここへは今日は自転車でやってまいりました。それでは、この一人の東洋に住んでいるユング派の分析家の日を通して、どういうふうにこの都市や、人間の未来が見えるか、そういうことをお話しいたしましょう。
私はまず、「傷」の話から始めます。
皆さま方はすでに、このプログラムでもたくさんの立派な日本の伝統美をご覧になったことだと思います。弓や踊りや、お花や、太鼓や、お茶であります。私は知っています。皆さま方のお国にも、それぞれ固有の伝統の文化があって、それらはすべて同じではないけれども、同じように立派なものであると思います。同時に、私も、また、この立派な自分の伝統文化を大変誇らしく思っております。 しかしながら、このような立派さや偉大さは、時に、人々を感心させたり、優越感や劣等感というある力を人間の心の中に呼び出すことができますけれども、調和とか、平静さとか、長く続く創造性とかいうものを、呼び出すことはできません。でありますから、優れたものではなく、私は自分たちの「傷」からお話しいたします。「傷」は、お互いを謙遵にさせ、お互いに人と人とを出会わせるからです。 ここにはご存知ではない日本の方々も大ぜいおられると思いますが、実は私たちユング派といわれる分析家は、この国にはたいへん数は少ないのです。ここにいらっしやる河合隼雄先生と、私と、もう一人若い方の三人しか正式にはおりません。ですから、夢の分析や心の治療というものが何であるかということを、ご存知ない方がたくさんいらっしゃると思いますけれども、これを一言でいえば、「自分の傷で他人の傷を治すこと」であります。他人の心の治療者にはどうしても、このような脆弱性というのが必要なのであります。
私は先ほどもいいましたように、この山の東の場所に小さな分析室をもっています。多くの人々がここに訪れてきます。おおかたは日本人でありますけれども、時には外国人も訪れます。私はこの書斎兼小さな分析室を、焼き物をつくる窯のように思っております。そして、人はある意味で体の中に火をもって、これを燃やして生きる者であります。だから、心が冷くなった人に、私の心の熱という火を焚いて、温めるわけであります。したがって人々は、自分の傷をもってここにやってきます。そして、もっていらっしゃるものは、時に汚ないもの、隠したいもの、臭いもの、吐き出したいもの、などがあります。そこで、それを入れるため、私の心の中がいつも、空(から)である必要があるわけです。これは、河合先生がいわれるように心が中空であればあるほど、いろいろな人がその中空に向かって「もの」を投げ入れることができるというわけであります。 私は時々、なぜ日本人は他の国の人々からよくも悪くも、プロジェクションを受けやすいのだろうか、不思議に思うことがあります。しかし、おそらく、皆さんの中にもまた、「自分たちの国こそ、日本人よりももっとプロジェクションを受けやすいし、傷を受けやすい」と考えている人もあるかも知れません。しかし、私は、日本人というのは、皆さんが考えるほど「東」の国の人ではないと思っています。どの日本人の一人をとってみても、その人は今では西洋式の教育を受けます。洋服も着ております。近代技術を駆使した産業社会で働いています。しかも、恐ろしいぐらいにその能率をあげています。ある意味で、「東」の人どころか、それはまったくの誤解で、「西」の人よりもなお「西」におるかも知れません。たとえば、新幹線の速さと正確さはほとんど完璧であります。この意識的な合理的完璧さというのは、時に人を恐怖に陥れることさえあります。
しかしおもしろいことには、彼の心の奥底には、やはり自分の 「東」があり、別の人格をもっていることです。ですから、日本人のパーソナリティには、多くの人たちがこれに気づいているようにある種の二重性というものをもっているのです。あれだけ合理的な人が、なぜ急にそんなに非合理になるのだろうか、あれほど理性的な人が、なぜ突然感情的になるんだろうか。あれほど能率的な役人が、なぜ家では何も仕事をしない非能率的な人になるのだろうか。皆さんは入国される時税関で日本人のお役人という官吏にお会いになったと思いますが、なぜあんなにふつうは礼儀正しい人が、時に無礼で、気鎌が悪くなるのだろうか、不思議に思われた方もあるでしょう。 私は、この私たちの国の科学の歴史を見る時に、その進歩の速い速度と、そしてまた、知能だけを発達させてきたその文化の偏り、その両者の分裂の具合、それがまたほとんどアクロバット的であり、また、分裂病的でさえあると感じます。私はこのような傷を受けた人を自分の部屋に迎え入れることでこの裂け目を時々見ます。そして、胸を痛めます。 ここで私は数学的統計を使って皆さま方に一つ一つ、これがいかに深く、しかも分裂しているか、いかに歪んでいるかを示す必要はないと思います。けれども、私は、自分の心の統計学の計算機でその量と質を計算してみますと、一番最初に部屋に入ってこなければならない患者さんは、日本の「子ども」だろうと思います。日本の子どもは今、病んでおります。学校での「いじめ」とか、学校恐怖症とか、若年者の自殺とか、入試地獄とか、思春期やせ症とか、そのような現象がこの社会にも今起こっているわけです。一見して物質的に恵まれ、社会的に繁栄しているように見えますが、実は地上に姿を見せている子どもと、地下に見えない姿でいる子どもとの間に大きな差があるわけです。たぶん、地上に見える部分の子どもは、アメリカの人たちが日本の教育の制度を感心するように、数学が良くできてお行儀のいい子どもに見えるかも知れませんが、いわば、意識という地平より下にある人間の無意識の見えない地下の子どもは、血を流し、暴れまわり、発達せず、死すら願っていることが多いわけであります。
二番目に運ばれて来る、傷をもった人は、「ご婦人」であります。今日はここでは長々とお話しいたしません。このお話をここでいたしますと、私の時間はすぐ飛んでしまい、いくら時間があっても足りないほどですから。ただ一言だけいいますと、日本がそれ自身全体として繰り込まれていますように、日本の婦人もいやおうなく西洋的な男性社会の中に入れられて生きているわけで、女性がこの型の社会の中で生きるということはどれだけたいへんなことであるか、非常に痛切に感ぜざるをえないわけであります。なるほど、戦後、男性と同じように学歴をもちはじめました。参政権ももちました。職場に働きに出るようになりました。そして今、彼女たちは、比喩的にいうならばスーパーマーケットのレジ係になって、本当の女性の自己実現がどこにあるか今考えているところだと思います。 第三に運ばれて来るものは、「都市」であります。人間でないもの都市、という言い方は、ちょっとおかしな表現でありまして、私の患者にしては大きすぎるように見えますが、「都市」も人間のように病んでおります。人口過剰や、酸素不足や、住居問題や、交通事故や、騎音や、空気の汚染や、資源の浪費で病んでいるというわけであります。しかも私の大部分の患者は都市に住み、直接に都市を癒すわけではありませんが、それらの人たちが、いわば自分の「都市」をもって訪れるわけであります。そこで、この都市の問題を分析家として考えざるをえなくなるわけであります。
考えてみますと、私の分析学も、実はウィーンという都市や、チューリッヒという都市とこよなく関係し、そこで二〇世紀に育ったものであります。二〇世紀の都市が母となって、生まれ育ったものであるといってもよいでしょう。
しかしながら、私の会える方々の数は限られています。分析室というその空間は、非常に濃縮された、一つの小さな宇宙にしかすぎません。私が今強く感じますのは、これは宇宙船にも似て、さまざまな人間の心の実験が営まれている窯ということになるでしょう。ですから、私はあくまでも一対一の出会いと変容を大切にいたします。けれども、一九世紀の終わりや、二〇世紀の最初の時代と、最近では、たいへん様相が変わってきているわけで、次第にこの窯は部屋から外に動き出しています。外に歩み出しているとでもいいましょうか。もっと多くの人々を問題とし、もっと多くの患者の所へ行かなければならないと思います。そこで、個人を超えた「都市」というものも分析の課題になってくるというわけであります。なぜ、国ではなく都市なのか。それは分析室が、心のある場所であるからです。先ほどペリー先生もお示しになりましたように、都市もまた、生き物で心と体のある場所であるからであります。
ある時私は、京都にある阪神高速道路公団の技術者集団の研究会に出席したことがあります。そして、招かれて、『夢と都市』ということでお話をいたしました。終わってからその技術者の方々に、なぜ私みたいなまったく関係ない人を呼んだのかとお尋ねしたことがあります。そうしたら、若い技術者の方はこういうふうに答えられました。彼らはもともと道路をつくる専門家でしたが、いわばついでに都市までつくろうと思ったわけであります。事実、京都の西の方にはニュータウンが出来ましたし、大阪との間にもたくさんの町、いくつかのニュータウンが出来ました。しかし、それをつくっていく過程で高速道路をつくろうとした時、いろんな人がそれに対して抵抗しました。彼らは真面目で真剣ですから、一人一人の不平や不満を聞こうとしました。しかし、やがてわかったことは、結局さまざまな人がさまざまなことを要求をし、一体人々は何を求め、彼らはそれをどう処理していいかわからないということになったわけです。そこで、この研究会を組織しまして、あり、それがわかれば大体どこにいるかわかるようにこの町は出来ています。それに反して、ある意味で現代人は、方向感覚を失った動物といえましょう。この人生どこへ行っていいのかわかりません。高速道路に乗れば、ぐるぐるまわって、どこへ行くのかわからない。私はインドネシアのバリ島に行ったことがありますけれども、バリ島にはアグン山という聖なる山がありまして、やはり方角がわかるように出来ております。そして、このコミュニティで一番困った人は、方向感覚のない人だというふうにいわれております。ですから昔、村人の一番の重い罰は、村の外へ彼を連れて行ってぐるぐるっとまわして、方向感覚がわからないようにさせてしまう。これが一番の罰であったようです。そういえば、私も子どもの時に、よくそのような罰ゲームをやりました。現代人は方向感覚喪失という罰を受けているのでしょうか。
また、この「都市」には影があります。どの都市にも、よく考えてみると汚名はつきものであります。都市をして都市にさせるのには、残念ながら手っ取り早いのはいつでも汚名であります。たとえば、京都は日本人の好きな坂本龍馬を殺しました。ダラスは、ケネディを殺しました。シカゴにも、たくさんの陪い暗殺という死があったことで有名です。広島にもたくさんの死がありましたし、東京にもありました。また、都市にはやたらと何かを記念するモニュメント(碑)があります。そして、悲劇があります。これらの悲劇という影が、むしろ都市というものをつくっているともいえましょう。
また、都市の意味の中には、「滅びる都市」もありますけれども、人の心の中で 「滅びない都市」というのもあります。私はこの会場で、パツアリーデス博士からアラブ様式のお話を開きまして、たいへん感銘を受けましたが、人々の心の中にはメッカやエルサレムのような「都市」もあるのです。このように人々の心の中で壊そうと思っても壊れない都市、不滅の都市もあるということを知っておりますし、そして、まだそれが壊れないばかりか人々の心の中に今も生きているという事実もまた、分析をしているとわかってきます。
また、「都市」というのは、生きた人々だけが一緒に住んでいる所ではございません。 死んだ人たちとも一緒に住む所です。ローマの街にはムンドゥス(mundus・世界) というものがあって、それは街の真申に掘られた穴で、その穴は冥界との境であるというふうに考えられていたそうであります。そしてローマ人は自分の町をつくるたびに、それを世界の軸として考え、その上に都市をつくったと聞いております。京都にも、大文字焼といって毎年陰暦七月十六日、この東山の如意岳をはじめ、五山に送り火がともされて祖霊を祭ります。その時、街のすべての――この頃はそういうことをしない人もいますけども――灯が消されて、人々はそのかがり火を見ることになっています。今日でもたくさんの人が戸外に出て、その自然の火、祖霊たちが帰って行くのを送る火を見るわけであります。ある意味でまだ死老と一体になっている人々、つまり無意識的には今でも京都の人々は少なくともそういうことを行っていると私は思っています。
考えてみますと、この都市というのをギリシア語でポリスといいます。これはおそらくポリ、「多い」という語からきているのだろうと思います。たくさんの人たちが密着して、距離を短くとり、密集して住んでいる場所、ということからくるのでしょう。今までご説明いたしましたように、都市には建築物という体がありますが、同時にもう一つ人々の生きた生活という心がございます。そのうえ、都市はある意味でその上にスピリチュアリティというものをもっている、と私は思っております。われわれが今まで住んできたこの近代、つまり、四〇〇年か五〇〇年続いた近代というものは、今日この現代にいたって、今その終わりに近付いているというように多くの人々は意識しはじめています。すなわちこの近代では、科学は科学、宗教は宗教として人間は区別して考え、とくに科学に、人間の外のことを任せ、宗教は人間の心内だけを司るものとして、世界を二つに分けて取り扱ったのであります。しかしながら、今この二元的な近代という時代を終わって、次のポスト・モダンの時代に入って行く時に、新しい時代となるいくつかの予兆がありまして、それは宗教と科学というこの二つのものは、もう一度再び結びつけられるのです。たとえば、アメリカ合衆国にとくに顕著に見られるアメリカン・ファンダメンタリズムは、荒々しい仕方でこの二つを結びつけております。またこの会議でカマラ大司教がおっしゃったように、南アメリカでは解放の神学といわれる試みが、この地麦神の国を実際に実現するために、この社会科学と宗教という二つのものをこれまた手荒な仕方で結びつけようとしております。その二つに加えて、何よりも、世界の至る所で、ニ一世紀では「都市」で、再びこの二つのものが新たに結びつけられるはずです。じつは、先ほどのべリー博士の講演にもありますように、われわれの文明が生まれた時、もうすでに、メソポタミアには都市はあったし、中国にもあって、ずっと今日までそれが発展してきているのです。建築物という体と、歴史という生活、祝祭という精神が混怨として一つの全体空間をつくってきたのです。 もちろん、都市の建設には科学は必要です。都市の建築物は科学的に計画され、計測され、建築されなければ、われわれには危険で、そのような所に住むことはできません。しかし同時に、それだけでは「都市」は出来ないのであります。今申しましたように、人間の歴史が必要で、それは人人の生きた生活です。また、祝祭が必要です。それには心の深みがあり、高められる精神があります。この混然として凝縮された、全体の空間というものが「都市」なのです。これらは私が取り扱ってきた人間の心の分析に深い関係をもっていると思います。 そこで、どんなに中途半端だからといって、合理主義や機能主義を私たちは今捨てるということはできません。しかしながらまた、合理主義を超えたいわば超合理的で、しかも超個人的なものを「都市」はもっています。だから分析はその対象として都市を考えることが、今必要になってくると私は思っているわけです。 ここに一つの「美しい都市」というのがあるとしますと、まず、われわれはその都市に入ろうとする時、すぐそれが美しいか美しくないかを考えます。では、「何が美しいのか」を考えるとこれはそれほど簡単ではないかも知れません。そしてもちろん、近代の絵画は、われわれが単純に考えるようにただ美しいものを美しいとしてきませんでした。反対に、醜いものの中に美しさを見た時もありましたが、しかし、それはそれなりの理由というものがあったわけで、いずれにしても「この都市は美しい」というような一つの審美的基準というものが、ポスト・モダンの価値の基準になりえるのではないでしょうか。私には分析という仕事からそれがいえるのです。つまり、分析の対象である夢は決して、正しいとか正しくないとかで決定されるものではありませんし、むしろ、人々が「美しい」と感じ、人々が心に「魅かれる」というような基準で考えられるものです。私たちは、「心」というものが、一体何であるかあまり多くは知りません。しかし、心が動く時、人々に訴えるものがあります。もしかすると、マイクロフォンにも、この私の洋服にも、絶えずどこにも出てくるものかも知れません。流行も生むでしょう。心から心にも伝えられ、増幅されるものです。それは個人の所有ではなく、それを超えます。もう一度、この審美的尺度からあらゆるものを見る必要があると私は思っています。 もう一つ 「都市」について話す時、欠かせないことは、巡礼ということです。都市を、または都市の中を巡るということであります。皆さま方は昨日、パスでこの街を観光でお巡りになったでしょう。そこには、今申し上げましたような多様な要素があり、東は東、左は左、右は右で多様なもの、良いもの悪いものを見られたことだと思います。都市はまたマンダラのようにさまざまの相違した細部から出来ています。左ですることと右ですることとは違い、上で感ずることと下で感ずることとは違います。これを巡ることによって人々の心を生き返らせる都市、人々の心を癒すのが都市でもあります。修学旅行やお上りさんたちのように、そのためにたくさんの人々が、遠くからいらっしゃるのだと思います。しかも、英語のトラベル(travel)というのは、トラブル(trauble)という言葉からきているというふう聞いておりますが、昔の旅は、もともと難儀なものでありました。今日では観光雄行というのがあって、これは苦難のない旅であります。永から、苦難を取ってしまったのが観光で、放とは違います。ここで今回バーニー会長に再会した時、彼は足の骨を折って杖をついていて私を驚かせました。また、この会に出席予定のドルフェス博士は私にお手紙をくださいまして、途上イスラエルからチューリッヒに行き、そこで手を折ったから、京都に行けないといってこられました。その他、まだたくさんの人が、来日のはずで故障で来られなかった方が結構いるということをバーエー会長から開いております。旅には苦しみはつきもので、「都市」はそれを要求するのかも知れません。ちょうど、分析室にだれもが苦悩をもって、たどたどしく訪れるように。 皆さま方は巡礼者として京都にいらっしゃったのだろうと思います。多くの心の目をもって、この「都市」をよく見て行ってほしいと思います。今回のこの会議のポスターの絵に一人の人間が矢に当たって苦しみ、そこから新しい科学の発想をしている図柄がありましたが、そのように苦しみを通して都市がどのように人の心を癒すかを別の目で見てほしいと思います。そしておそらく、地球の外からこの地球を見たらば、やがて地球というものは、皆一つの 「都市」 になるのではないかと思いますし、しかも緑色に輝く「不滅の都市」に皆さまとともにしたいと思っております。