「トランス・パーソナルの現在」
1987年 ニューサイエンスと東洋
なぜ今「東洋」なのか。
京都の東山山栗の一角、修学院の山裾に夢の分析室などをかまえていると面白い。勿論、学校勤めのかたわらの業なので、僅かな許された時間をこれに当てるだけであるが、それでも近年、この京都に西洋から、私に言わせれば、流れついた西洋人が時々訪ねてくる。この四、五年それが目立つようになったし、青年もあれば、中年の女性もいた。その中にカリフォルニアのトランス・パーソナル心理学インスティチュー卜(1)を卒業されたという婦人の来訪も受けた。
長年、日本人の夢の分析をしていると、時々外国人のをやってみたくなることがある。なぜか知らないが日本人のは難しくて分らないのが多い。それに反して西洋人のは、たいてい教えられた通りで、めり張りがきいていて、時々やると自信がつく。そこで、時々お相手することになるのである。
そこでわかったことがある。多くの西洋人は自分の「東」を求めて、東洋に来る。今は日本、そして京都にきて失望するのである。日本に来てみて彼らの求めていた東洋はなく、そこで目にしたものは、西洋の街であったし、会社であり、洋服を着て、英語を習いたがる日本人であった。
分析を通して、大分の人々が捜していたのは自分の心の中に存在する「東」であって、地理上の東にきても見つかるはずがないと悟って、再びそれぞれの故国に帰っていったという人が大部分である。そこで考えてみると、この「東」とは一体なんだろうということになる。
面白いことに、ヨーロッパからみると、ボスボラス海峡をへだてたむこう側はもう東洋だし、エジプトも東洋だし、イスラエル、インド、チベットに中国、そしてこの日本も東洋ということになるのである。東・西関係などという外交用語ではソビエトとアメリカの関係ですらある。これはどういうことだろう。こんな広大な土地で、文化も習慣も歴史も違う地域を十把一からげにしてこれを東洋だと言われても、そこに住む人々は目を白黒させるばかりである。随分と乱暴な話だと思う。
ところがヨーロッパからみて、つまり西からみて西以外の所は全部東であるとしていると気づいてみると、なーんだということになる。つまり、東の人は自分を東洋の人間であると呼んだことはない。中国人は自分たちを中国人とよんで、東洋人と称したことはない。いつでも西洋が東洋をそう呼んできたのである。
いつかこのことについて、「ユング心理学におけ”東”という概念について」という題で『東洋思想』という雑誌に書いたことがあるが(2)、その時もクリスマス物語の中では、東は博士という知者が旅をしてくる場所であり、またエデンの東の物語のように追放される対象でもある。いわば西が勝手に自分の影を投射する対象でもある訳で、これでは東はいつでも両面価値的傾向をもたされ、ある時は「畏敬」されたり、ある時は「混沌」「未開」の場所というように、西の御都合でどうにでも見えるというようになると指摘したことがある。京都に流れつく外国人も「東」を憧れてくる訳だが、その見方は両極端があるように思う。そして、希望とみるか、失望とみるか、その人の心の態度によって見え方がちがうのである。
そもそも、西から東をみようというするところが問題であり、やがて無意識から意識を、東から西をみる仕方を覚えると、彼らは故国へと帰って行くようである。そもそも、東洋(Orient)という言葉は、日の出の方角を意味し、それによって方向が定まるのである。だから、ローマでは教会の祭壇を東側にして建てられ、ヨーロッパではみなステンド・グラスを通して朝の光が入るようにエルサレムにむけられていた。だから、祈りは東に向けられ、オリエンテーションとは指導、教導をも意味していた。じつはヨーロッパという宇宙空間の方向という基礎を与えるものであった。対象から光源をみているうちに、次第にその色も光もみえなくなって、進歩した西だけを尺度としてみるようにいつしかなってしまったのである。しかし、時々自分たちの意識にどこか歪みや迷いがでたときに、いつもその「東」を無意識的に考えやってきたのではなかったかと思う。そういう訳で、かなりの数の外国人も何を求めているかも知らず、日本に吹きたまると見ている。
そんな中で、突然やってきたのが、国際トランス・パーソナル心理学会を京都で開きたいという話であった。最初、セシル・バーニー(Cecil Burney)会長と二人の方が京都にみえられた。一九八三年第八回目の会がスイスのダボスで開かれ、ダライ・ラマ師も出席されたり、わが国からも京都大学のやはりユング派の学者であり分析家である河合隼雄先生が出席、講演されたことも私は知っていた。ちょうど八月から九月にかけて私もスイスに滞在していたからである。それに、急に今回の話である。四月二十三日から二十九日まで、一週間、折から連休にかかる日本で学者も誰も一番忙しい時期である。一体誰が、この忙しい時期に高い会費を払って一週間も京都に釘づけになるであろうか。私は言下に「これは失敗します。日本人の常識では考えられません」と言いました。有名なゲスト・スピーカーだって二時間時間をとるだけでも無理な話だというのが、いつわらざる気持だったのである。
それから、一年間、何回かバーニー会長と事務局長のリネット・リース(Lynette Lees)女史がやってきて、次第に準備がととのえられていった。むしろ準備の時の方が楽しかったのかも知れない。京都の街を飲み歩き、都市を語り、地球の未来を語り、人々を語ってだんだんとプログラムができあがっていった。しかし、正直なところ最後の最後まで、何人集まることやら、トランス・パーソナル心理学会とは何かということがもう一つピンとこなかったのである。日本の国内組織委員会に、稲盛和夫氏を会長に、池見酉次郎、井深大、太田新太郎、河合隼雄、名和太郎、西谷啓治、山口昌男の諸氏が名をつらねてくださった。その皆さんも同様な思いではなかっただろうか。
第九回トランス・パーソナル国際会議と銘うって、『伝統と科学の融和 - トランス・パーソナルな立場から新しいパラダイムを探る』という主題の下で、予定通り開かれることになった(3)。予想に反して、というか、超えてというべきか、百名以上の内外のボランティアの活躍によって、文化的な諸行事も整然と会議の間をぬって行われ、綾部太鼓にはじまって、宮下富実男氏のこの会議のために作曲したシンセサイザー・コンサートで幕を閉じることができた。その間、連日内・外の平均七百名をこえる参加者によって熱心に討議が進められていった。
そこで、勿論、この手の会議はその全般など把握しようもないし、一参加者にすぎない者が、何が起こったかをまた記述しようもない。しかし、これが最初のわが国におけるトランス・パーソナル心理学の学会であった訳であるから、その印象をも含めて、その意義や評価やらを少し考えてみたい。
トランス・パーソナル会議とユング心理学
これだけの種類の違った学者や国籍、人種の異なった人間がいて、よく混乱が起こらないものだと感心してみていたら、よくみると、どの国のグループの中にも、ユング派の心理療法家が入っていた。講演を私の前にされたジョン・ウィアー・ペリー博士(DR.John W.Perry)も、サンフランシスコ・ユング研究所の創立者の一人であるし、高名な分裂病の治療家でもあった。それになにより驚いたのは、日本を幕末に開国に追いやった黒船の艦長ペリー提督のお孫さんであったことである。先年サンフランシスコで分析心理学会の大会があった時、私は郊外の森の中にある簡素な彼の家に招かれたことがあった。その他、マサチューセッツからラケル・ヒレル博士など、数多くの人の顔もみえた。また、わが国でも箱庭療法の名で知られているドーラ・カルフ(Dora Kalff)女史もこの会議の中心的メンバーで背後から支えておられた人の一人である。
そのように見てみると、ユング心理学のトランス・パーソナル心理学運動に対する貢献は非常に大きいと思われる。しかし、トランス・パーソナル心理学は全体からみると、いろいろの人々の影響を受けて発展してきたのであるが、むしろ直接的にはアブラハム・マスローの「至高経験」やチャールス・タートの「変性意識の研究」、スタニスラフ・グロフ(Stanislav Grof)によるLSDの研究、それにもまして東洋的心理学が様々なかたちで影響しあっており、簡単にはどれだとも言えないが、それらを包攝しながらまたニューサイエンス運動として大きなうねりをつくって、二十一世紀に向かって流れていくのだろうと思う。特に、トランス・パーソナル心理学による研究機関はサンフランシスコにも常設されており、大学院レベルの機関として学位も出しているところまできている。ことに、ベトナム戦争以後、アメリカの若い人々に受け入れられて、ちょうど、東洋への志向と重なって益々発展しつつあるように思われる。
そこでまず、今回の会議の顔ぶれ、参加者たちのプロフィールの要点を述べてみよう。トランス・パーソナル心理学会が最初に開かれたのは一九七二年のことで、アブラハム・マスロー(Abraham H.Maslow)などが呼びかけてアイスランドで開かれた。その後心理学者や精神分析家だけでなく、物理学、生理学などの自然科学者の他に、宗教学、文化人類学、経済学などさまざまな分野の学者たちが参加することによって、一九七八年にブラジルのベロホリゾンテの第四回会議から国際トランスパーソナル学会と称するようになり、一九八二年には、インドのボンベイで 「東と西――古代知と現代科学」という題で、更に人類学、音楽、美術、医学を専攻する人々も加わって、前述のダボスの会を経て、今年の京都の会となったのである。
今回はまず四つのテーマに分かれて討議が進められていった。第一回は全体のテーマと展望であって、これにはピーター・シュウォーツ(Peter Schwartz)、ロイヤルダッチシェル・グルーフの事業環境予測の責任者として長期の事業環境分析と不確定領域の調査を担当する主任研究者である。それに、ロバート・シュウォーツ(Robert Schwartz)、雑誌『タイム』 のニューヨーク元支局長で、ルックの編集者、現在は、タリータウングループという経営者集団のセンター所長である。それに、日本から、玉城康四郎、河合隼雄、文化人類学者の山口昌男がそれぞれ講演し、また、討論では西谷啓治、稲盛和夫が加って行われた。
第二回は第一テーマの「”過去” の未来」 で、ウズマズール・クレード・ムトゥワズ(Vusumazulu Credo Mutwa)、南アフリカ共和国のズールー文化と神話の導師で、治療家でもあるズールー・イサヌシで、大変なストリーテラーのアフリカ文化美術館長である。昼休みに会議場の庭は、彼の神話の語りを聞こうとして多くの人が集まった。それに、南アメリカの社会改革と取組んでいるブラジルの大司教ドム・ヘルダー・カマラが平和運動について語った。日本からは千宗室、勅使河原宏が加わり、更に珍しい「思考と芸術におけるアラブ形式」というベルギーに現在住み、ルーバンカトリック大学の社会学者、アンドレ・パッアリーデス(Andore Patsalides)のスライドを使った講演もあった。
第三日は「ビジネス、科学、技術の未来」の部会で、元会長のスタニスラフ・グロフの「現代の意識研究と人間の未来」、それにフランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela)の「人工知能と人間の認識」、日本からは現在は在米の経営心理学者岩田静治が参加、それにカール・ホッジス(Carl Hodges)というアリゾナ大学環境調査研究所長で海洋牧場や裁培環境制御の専門家、オーストラリアの物理学者、プライアン・マッカスカー(Brian McCusker)が加わった。題は「科学の”科学”性を見直す」 というもので興味深かった。
第四日目は「個人の未来」という部会で、箱庭療法のドーラ・カルフ、前述のジョン・ウィアー・ペリー、それに日本から新体道の青木宏之、それに樋口和彦の「都市と分析――東の目」が行われた。ソニーの井深大の幼児の創造性教育とエリザベス・キュープラー・ロス(ElizabethKubler Ross)の「死―――成長の最終段階」は、人生の入口と出口を話されたが、愛という無条件的受け入れの重要性をどちらも強調しせいた。
最後の部会は、「地球の未来」というテーマで、アメリカの宇宙飛行士、ラッセル・シュワイカート(Russell Schweickart)の巨大な宇宙へ出発するスライドを使っての宇宙感覚の体験と、その青く輝く地球への責任を説く訴えには一同感動したものである。それから、ウィリアム・アーウィン・トンプソン(William Irwin Thompson)の大平洋時代の話。彼は教育のための共同体として知られるリンデスファーンの創立者で文化史学者である。日本で修行したリチャード・ベイカー(Richard Baker-roshi)は、現在、サンフランシスコの禅センターなどを創立、教えている。それにインドの国会議員で、ヒンズー教の導師、カラン・シン(Karan Singh)の「古代インドの叡知と新しい意識への転換」と題して雄弁に講演された。日本からは稲盛和夫の「科学技術と人間性」が出され、最後の一日は全体の講演や討議を含めて、全体討論がなされ、池見酉次郎、岡村誠三(以上すべて敬称略)の諸氏が討議に加わった。
以上、少し煩雑でわかりにくいし、あまりにも多くのトピックと課題で、一見してまとまりに欠けているようであるが、休憩の時間やレセプション、それに自然にできたグループと各種の催し、体験学習会など、誰もその全容は知りえないほどであった。それもそのはずで、この会はトランスパーソナル(超個人)であって、人と人との仲垣が超えられて、親しみのある雰囲気がかもし出されていた。筆者も、多くの学会に出席するが、大ていは半日ほど出席すれば、大方の結論はおのずと判るのであるが、この会議ばかりは朝から夕方までつめていてその成行きを見守っていたほどであった。最後は、内・外のボランティアの人たちによる慰労会で、深夜どうやって家に帰ったかも憶えていないくらいで、未知の人々との出会いがどんなに素晴らしいものであるかを感じさせてくれるに充分な学会であった。
さて、ではこのようなトランス・パーソナル心理学にどのような形でユング心理学が貢献しているか、理論的背景を若干ここで述べてみたい。
第一は無意識の意識とでもいうような高次の意識に対する関心である。御存知のように、フロイトによって無意識は臨床的に発見されたのであるが、ユングによってこの無意識は集合的無意識の領域にまで拡大、深化されて、名実共にその本質が明らかにされたのである。意議は無意識の母から生まれた子であって、意識が無意識を造ったのではないことが一層明白となった。西欧人にとってこのことを心の底から理解することは大変困難なように思われる。特に、意識の中心にある自我を放棄することは、正に死に等しいし、その後には何も残らない。無は無であって、死と同じであるからである。
チューリッヒのユング研究所にまだ留学中だった頃、よくアメリカ学生などが当時、人間には無意識の領域があって、そこから夢などが生まれ、意識との間には補償作用があるなどという講師の講義などあると、きまって質問するのだった。「どのように科学的に証明できますか!?」などで、どうしても彼らには理解するのが難しいように思われた。頭と同時に心の問題でもあった。別に、特に仏教の深い素養のある者ではない私にとっても、それほどこれを認めるのに抵抗はなく、なぜ素直に意識以上のものがあることが理解できないのか不思議に思ったほどである。今日・ユング心理学がわが国に紹介されて、多くの人々に曲りなりにも理解してもらえているのは、この基本的概念の一つである無意識というものの存在の理解が西洋人よりも容易だからであろう。ところが今度は反対に、意識や特に近代自我の理解が日本人にどこまでできるかとなると東洋人であるわれわれには、まことに心もとないことになるのである。
トランス・パーソナル心理学の中でもホログラフイック・パラダイムというのがある。例の脳生理学者のカール・プリブラムや物理学者のデイヴィツド・ボームなども「暗在系」(インプリキット・オーダー)と「明在系」(イクスプリキット・オーダー)という考え方をして、目に見えない世界のものごととして暗在系を考えるようになってきている。これはユングの無意識の概念に大変近い考え方であって、あるいはこれから更に発展してこうなったとも考えられるが、物質でもあり、意識でもあるような、それが一つになった隠された秩序の存在を予定してみているのが面白い。考えてみると、unconsiousというのを無意識というように訳したとき、もう仏教がそこに入っている訳であって、無意識は心理学の用語であると同時に仏教用語でもある。ある意味で、だから日本人に容易に受け入れられるのかも知れない。ただ、ユングはこの無意識を一切の根源と考えていた。そしてこれをエネルギーの塊りのような創造的な力の本体であると同時に、フロイトのイドではなくて、目的的に運動する主体であるとも考えていた。だから、意識が一方的な片寄り現象を起こすと、これを病気とよぶけれども、これは一種の警告であって、無意識からのメッセージを意識が受け入れさえすれば、また意識が絶えず開かれた存在として交渉をもっていれば、そこに補償作用が起こって、新しい意識に生まれかわるものとしている。
それでは、どうしてこの無意識のメッセージを意識が知るかというと、主として夢を通してであり、その他ユングのいう能動的イマジネーションを通してその言わんとするところがわかると考えている。フロイトにとっては無意識はただかつて意識の中に存在したものが、ただ記憶していることが嫌いになって、多分不快であるので、再び無意識という貯蔵庫に押し入れられたもののことを指すのである。しかし、ユングはこのような個人の体験の領域にあったもので、再び無意識の領域におかれたものを個人的無意識といって、集合的無意識とは区別していた。
たぶん、フロイトは神経症、つまりヒステリーの研究から出発したが、またそれらの症例では忘却されていた心の傷がもう一度意識の領域へともちきたらされることによって、連想法による夢分析によって治療されたのである。ところが、一方ユングはチューリッヒ郊外のブルグヘルツリイ精神病院の中の主として分裂病の患者の研究から出発していた。これらの患者たちの深層心理の底、つまり無意識には個人的体験とは全く関係のない古代の神話のイメージや童話のもつ像を彼につげたのである。つまり、イメージは個人を超越したもっと人間の深い集合的な領域から自律的に生まれてきたものであった。私たちには、無意識そのものは隠れた存在であって、全く姿をつかまえることはできないが、ただそれはイメージとして、彼はこれを元型とのちに呼んだが、そのさまざまな原イメージとしてその働きを意識に知らせてくれるのである。
もちろん、フロイトの注目したような影の暗いイメージもあるだろうが、無意識そのものはけっして暗いだけのものではない。意識が反抗して、それを受け取らなかったり、無視したりする時に、意識からみてただ黒いものとして登場してくるにすぎないのである。しかし、意識の無意識に対する構えが変化すると彼の姿も変化する。それはあたかも目的的な生命体のように働くのである。この全体と、その中心を自己とよんで自我と区別していた。この自己の働きこそ、個体化過程とよばれるものであって、彼に生まれたとき与えられて備えられていたものが、すべて開花する状態を指し、自己実現と考えていた。だから、これは全くすでに個人を超えた活動であって、ただ彼は一般的に彼になるというのではなくて、非常に矛盾した言い方になるが、その一般的なものが最も個性的なかたちで具体的に体現されるのが個体であると考えられ、じつはその時もっとも個性的になるのである。
この意識を魅了して止まないものが、無意識の存在で、夢の分析は、夢を通して無意識に存在する元型のイメージを認識し、その働きを知ることになる。したがって、これは一種のホリステックな考え方である。
この無意識の意識というべきものは高次の人間存在に対する自覚である。これについて、今回は来日されなかったが、ケン・ウィルバーはその著『構造としての神』の中で、かなり明確に意識の発達段階を述べている。今日までを、古層的段階から、呪術的、神話的、合理的と分けており、更に高次の心魂的、精妙的、因果的とそして、その極限をも考えている。同じことを物質(マター)、身体(ボディ)、心(マインド)、魂(ソール)、霊(スピリト)と各レベルを上ると考えてもよいと言っている。また、「高いレベルはそれ以下のレベルの上に″拠っている”けれども、高い方が低い方によって惹き起こされたり構成されたりしているのではない」とも言っている。つまり、低い次元と高い次元は混じりあっているが、また、低い次元に還元してみても、何の理解にも至らないし、低い次元のものは唯高い次元によって理解できるという考え方である。だから、身体は物質に還元してもそれは解決にはならず、ただ根拠を示すだけであり、心という視点からみるとき、身体は正しく理解できると解されるのである。これはフロイトの、すべては性欲に還元されるという立場とは逆で、マスローの至高体験によってのみ人間の価値は判断できるという考えに通じている。
言い換えると、近代の意識が宗教を合理まで高めて理解してきたけれども、前近代の反合理に別に帰るのでもなくて、合理を超えた超合理の立場こそ、真にむしろ合理的立場であるという主張であって、霊とか宗教とかいうものを科学の世界にも堂々と持ち込もうとする態度である。このポスト・モダンの宗教の立場についてはあとで改めてとり挙げることにしたい。
第二のユング心理学のトランス・パーソナル心理学への影響は系統発生と個体発生とを結合させて考える仕方である。ここも、両者共に理解するための鍵となる。
つまり、ユング心理学においては、元型は一種の心の型の個から個への受け継ぎであって、肉体と共に心の遺伝でもある。教えなくても本能的に鳥や魚が産卵した時にその場所にかえったり、回遊するように、群としての刻印されたパターンをもっている。集合的無意識は個の発生とともに受け継がれ、胎児が系統発生のあらゆる時代を急速に通過して、人間に進化するように、人間の意識も個を超えて、総体として次第に発展してくる。ただこの進化はかならず進歩であるとは限らない。西欧文明もまたギリシア以前の段階から次第に意識の歴史として展開されてきて今日に至っているのであって、それらの集合的象徴は生まれながらに刻印され、受け継がれて生まれてくるのである。これがユングの元型論であるが、同様に、ガイヤ仮説もまた地球という有機体が一つのまとまりをもって進化していくことを考えている。内的世界と外的世界とは照応しつつ、響きあい、全体が一つの有機的となって発展しているのである。
ここで面白いのは、デカルト・ニュートン的なパラダイムによれば、世界は対象世界と主体とに分離することになる。つまり、外的世界は機械の部品のように組み合わされていて、機械仕掛けで運行するようになっている。今日のように観測機械が超精密になってくると、ちょうどフロイトがアンナ・0の症例でブロイラーと患者とが一体になって転移現象を起こし、これが彼の精神分析の創始につながったように、観測者という主体と物質という客体がきちんと分けられないようになってしまった。会議でも委員長の稲盛和夫は、セラミックの研究ではどうして物質が結合するかが、次第に物と物との間に未知の領域がでてくるし、観測者の態度がその結果に影響を及ぼしたり、二度と同じ観測結果がえられない状況もあると証言している。
次第に地球全体ガイアという生命体の進化を仮定せざるをえなくなってきているのである。そして、その地球の意識は同時に、一人一人の人間の脳の中にも存在するし、集合的無意識として共有しているのである。今日までこの集合的無意識や元型をいうために、ユング心理学はどれだけ科学杓客観的研究でないと非難され、宗教の世界から正統ではないと待遇されたかわからない。科学であるにしては神秘で、宗教であるにしては異端的であった。
ここであと十三年すると、二十一世紀に突入する。それでこれから十九世紀の世紀末で経験したように、そしてまたそれが次の新しい二十世紀を孕(はら)んでいたように、これから十数年後には二十一世紀だけではなくて、いわゆるポスト・モダンの時代に入る訳である。ニューサイエンスの波はこれをすでに先取りしたかたちで、課題を提出しているところがあって、これらを宗教的と科学の側面にしぼって、その関係を考えてみると面白い。
ポスト・モダンの宗教
この十七世紀から続いた四百年のモダンの時代は、日本では約百年が考えられるが、一言でいえば「科学は科学、宗教は宗教」と別々の世界に棲み分けられていた時代であった。前者は物を、後者は心をという訳である。あるいは、科学は外の世界を、宗教は人間の心という内の世界を支配するという考え方である。もし、前近代的な呪術や神話を科学の世界にもち込むと、それは人々のひんしゅくを買うし、むしろ宗教は前近代の遺物と考えられるのがオチであった。したがって、神は死んでいないにしても、死にかかっていたことは事実である。宗教は前の時代への一種のノスタルジアとしての機能しか与えられてこなかったと言えるだろう。
ところが、最近、また神が舞台の前面に出てくる予兆というか、出現とよんでよいのか、再び両者を一元的に考える体験がさまざまなところで起こってきている。例えば、今回の会議に来日した元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカートは宇宙体験が、彼に大きな精神的インパクトを与えたと次のように記者との会見で語った。「カメラの故障で宇宙での作業がすべて中断され、私はたった一人、不意に宇宙空間に取り残された。はるか足の下で美しく輝く地球を見つめながら、人類全体の文明発展の最先端、いわば人類の指先のような存在としてたまたま自分がそこに浮かんでいると思った。そしてこの貴重な宇宙体験は人類全体で分かち合うべきものだと痛感した」と言っている。そして、また「私に限らず人類が大気圏を飛び出して宇宙へ出ていくことは、子供が母親の胎内から出て誕生するのと同じで、進化の一過程だと思う。宇宙空間から眼下を見下ろせば、地球が一つであることに気づく。宇宙に行けば自動的にそうなるというものではないが、宇宙での体験があまりにも鮮烈なだけに、人間の意識を変え地球全体を一体としてとらえることが可能になるのです」と述べている。
これは近代科学の最先端の技術を通しての新しい体験であると同時に、同じ近代科学の技術が核による人類絶滅という脅威の下に誰でもが立っているのであって、青く輝く小さい美しい地球がいとおしく見えるのも無理もないことだと感ずる。
これは新しい精神の文明を呼び起こすものであって、近代主義という今までの精神と科学の二元論のバラダイムでは解決できない新しい課題を人類につきつけている。
現在の世界での、特にキリスト教世界での科学と宗教の関係を示す事態に新しい動きといったようなものがみられる。神学者のハーヴェイ・コックス(Harvey Cox)も指摘するところだが(4)、近代主義はナショナリズムと共にポスト・モダン・の精神的支柱とはならないとみている。私も属していることになるいわゆるリベラル神学の流れは、科学と宗教とは同次元におくと、必ず衝突が起こるものとみて、原理的にはこれを理性的に内と外というように棲み分けさせて今日まできたのである。一応成功したかにみえた。神から自由になって、科学技術は神を恐れざる境地まで発展させてきたのである。そして、そこにみえてきたものは、それこそ公害や飢餓、人権や戦争の問題などであり、あらゆる点でその欠陥があらわになってきた。これは技術の末端の問題ではなく、社会を成立させているこの四百年の西欧近代の基本的バラダイムの再構成を呼びかけるまでに至った。
そう考えてくると、現在、少々手荒な方法ではあるが、この二つのものを直接的に結びつける試みが二つある。一つはアメリカにおけるファンダメンタリズムの台頭であり、進化論の否定、千年王国説の重視など、その主張を通して、よい悪いは別として、科学と宗教を直接的に結びつけるうねりがあるのである。もう一つは今度、カマラ大司教(Dom Helder Camara)も来日されていたが、南米を中心とした解放の神学である。これも銃を取ることも辞さないで、圧迫からの解放を克ち取ろうとする企てである。もう一つ付け加えるとすれば、イスラム教圏の同様な科学と宗教の精妙な一致にみられる政治的な動きである。
二十一世紀はこれらの精神的な動きを無視しては、考えられないし、神の国の再臨や不正のない社会をもたらす宗教の社会学、または政治学の時代であろう。
しかし、これと対照的に、静かな方法で、また日常的な仕方でこれを結びつけるむしろ心理学的な動きがある。従来、マスローなどが「至高経験」としたり、ウイリアム・ジェームズなどがその『宗教経験の諸相』などの中で、論議したものはどちらかというと日常性を超えた体験であり、特別な人や特殊な能力をもった人に稀に起こるものとして考えられてきた。ところがやがて誰でも、科学技術の進歩によって宇宙体験がえられるような状態になったり、薬物科学が発達して人間の精神作用に影響を及ぼす薬ができるようになったり、またそれが日常的にも使用されるようになると、東洋の精神的な宗教的遺産が改めて注目されてきた。これはけっして合理を否定することなく、日常的な方法によって再び内と外の世界を結合させ、高度の精神の段階へと人間を高めてゆき、そして低次のものをもう一度再統合することが可能になったのではないかと考えられる。ここに東洋への新しい宗教的志向が感ぜられる。これは、けっして反合理の運動でなく、むしろ内側から日常的な宗教的な行為によって脱けていくような脱合理の道であるかも知れない。彪大な物質を消費する経済組織や欲望の過大な刺戟を基本とするような情報操作から脱して、人間の心を中心としたエコロジカル(生態学的)な視点である。
これを実感させられるようないくつかの出来事に会議中出会った。その一つはピーター・シュウォツの基調講演であった。ダッチシェルのような巨大な組識の中にいて、しかも今その組識は、彼の働く部門では管理者なしの自由な競走と共に助け合いしながら研究を進めていくという点である。科学的に出来ればするというのではなくて、そのプロジェクトがたとえ失敗した時でも地球に害をもたらさないという保証が実行の基本的な標準になっているとも彼から聞いた。地球という一つの生態系に対して、そこに寄生して生きる人間の責任、そしてまた人体にも多くの生物がその中で生きているのであって、それへのある種の思いやりの気持ちを感ずることができた。バイオエシックスや遺伝子の操作など、ガイアという奇蹟的に存在する地球への畏敬なしには研究は進められないであろう。また、それと対照的であったのはムトゥワのアフリカ神話の語りの素朴な面白さ、そして記憶の素晴しさであった。彼の天地創造物語はふつうに話したら夜昼つづいて行っても一週間はかかると言われる。中でも男・女の創造神話で初めて女性が神様によって造られ、男が最初に女性に出会ったところのシーンなど、腹をかかえて笑った。「彼はこの何かわからないもの、動物かな!?・・・・・・と疑いつつ近づくと、彼女は”私は人間です。心配しないで下さい”と」。「その声をきいて彼は驚いて木にかけ登った。彼女は怒って、動物のサイをけしかけ、木の幹を押し揺すると、上から猿がバラバラと落ちてきた」というのである。そしてこの二人が仲よくなるまで話はながく続くのである。彼の頭、そこには知恵が一杯につまっていた。私の目が彼と会うと巨大な体をねじらせながら、「日本の自動車連盟メーカーの人に言って下さい。もっと大きい、私の入るような車を送って下さい」。彼の皮肉を含んだ言葉は、我々に考えさせるものをたくさん含んでいた。彼に自動車を売りつけることの意味をである。
期せずして、同じテーマを異なった方向からみた三人の学者がいた。一人は学者というよりは一人の研究者であるが、ソニーの井深大で、主として胎児や嬰児の知能発達以前の創造性の開発に対してである。新生児は従来考えられていたほど、無意識で受け身の者ではなくて、聴覚は胎児の時代からもう発達していて、母親の声を覚えているし、嗅覚は母親のブラジャーの嗅いをかぎわけられるほど発達している。パターン認識も同様であって、意味と共に漢字を憶えなくとも、それ全体としての認識能力すらもっており、知能の発達以前に人間の能力はすでに多くあり、それが一方的な知能遍重の知識教育のために、かえって失われていることを説いておられた。
これとグロフの誕生時の体験とはどこかで重なりあうようである。彼は最初LSDの薬剤を使って研究していたが、これが使用禁止になると過呼吸法によって、現在は同じく心理療法家の奥さんと二人でこの方法を開発して実験しておられる。スライドを使用しての講演であったが、いかに人間の無意識の状態の体験、例えば出産時の産道を通ったときの経験がその後の患者の人生に影響を与え、危機的な場面でそのイメージによって苦しまされるかがわかった。例えば、生まれる子供は母親によって閉じこめられ、窒息させられる体験でもあり、やがて前途の道に光明がみえて、解放されることになる。誰もがかすかな意識の中で出会う体験である。しかし、閉じ込められるという恐怖を感ずる人もいれば、解放されるという喜びを感ずる人もいるのである。非常に心の深層から湧き起こつてくる恐怖感の中にはこれも含まれるので、例えば、戦争などを起こす場合、このままでは自滅し、首をしめられ、窒息するので、座して死を待つより立ち上れというような政治的スローガンに弱いのは、このためであると言っていた。
このような死の恐怖と戦って、死の受け入れまで、ただこれを否定的にはみずに、人間の変容の重要な時間と考えた『死ぬ瞬間』(5)などの著者、キュープラー・ロスの話も感銘深かった。彼女は、別に特定の宗教や宗教的機能を強調しているのではない。むしろ、精神的とか、霊性とかいう人間の超越的機能に注目しているのである。エリザベス・キュープラー・ロスセンターのマークには、まゆから蝶に変わるその変容の表徴が使われているそうで、子供に死を説明するために、ぬいぐるみの幼虫が裏をかえすと蝶になる玩具を手にもって話されていたのが印象的であった。そして、死のいよいよ逃れられない時が近づいてくると、人間は誰が一番ほんとうに自分を愛してくれていたか、はっきりとわかるようになると言っていた。意識に付着した自我の価値体系がもはやなにも役立たなくなると、あらゆるものが無化され、消失されていく。そのあとに残るものは愛であって、いかに愛されたか、また愛したかという人間の基本的な高次の意識が上ってくる。多くの人々が死期が近づくと、今まで思い出せなかったような幼い時の友人とか、今入室してきた看護婦さんとか、時空を超越して会いたくなるのもそのためらしい。これは、自我という意識でなくて、死を通して新しい意識に目覚めていくイニシエーションの過程としてみているようである。このような、愛に目覚めるような能力の開発こそ、今求められているものではなかろうか。
最後に、簡単に筆者の講演にふれておくと、『都市と分析――東の目』(6)と題するものであった。近代都市がどのように、二十世紀の新しい科学の芽を育ててきたか、フロイトのウィーン、ユングのチューリッヒなど。この明るさの都市には、また記念碑や殺人や犯罪など、暗い面をももつ。分析は人の暗い面と治療者の冥(くら)さをコミュニケートさせる技術である。中世の錬金術にも似た、それは物質としての金でなく、人間としての「金」を創り出すことを目標としている。京都は山に囲まれ、庵をあむに適している。そして、この技術は人間の傷からはじまる。そして、人々が汚いもの、隠したいもの、臭いもの、吐き出したいものを投げ入れるに適した空をその中心にもっている。その場所で変容が始まる。「東」はその場所であり、それは両価的な意味をもっている。「東」はまた知慧のある所、あらゆる未知で創造的なもののくる場所でもある。その分析室は人々の心の小宇宙を取扱うと共に、次第に今は、その空間を出て都市という器をもつようになってきている。国家はもはや人々の体ではなく、都市が体となっている。だから、都市は木かげや小径、横町、夜店、・おしゃべりする所、死体を葬る所も必要としている。これは一種の心のマンダラであり、多くの都市はそのようにして造られた。ポリスのポリは「多い」という意味で、多くの価値をもち、機能的な物としてのコンクリートの高層建築、そして昼だけしかない逃け場のない管理機構としての都市ではなく、人間の住む町であり、心が癒される都市(まち)がどうしても必要になってくる。京都にはたくさんの祭りがあり、この祝祭は都市の精神であって、これにより人間は生き生きとして、心はより高い所へと運ばれるのである。都市はそれを日常生活で、だれにでも与えているのである。美しい都市、聖なる都市というのは、そういう街で、心の中で永遠に破壊されない都市である。そして、そのイメージの中に多くの人が棲み、生活する。そして今、地球全体がその都市となりつつあると、大体そのような要旨の話をしたのである。
誰でもたとえ有名な人でも、どんなに遠くからきても会議でスピーカーとしては四十五分しか話させない。これを運営するボランティアなどの人々はみな弁当で、講師は交通実費だけ、それでどうして整然と実り豊かに出来たのであろうか。今も良くわからない。それがトランス・パーソナルな運動そのものだったのだろう。次は二年後に、メキシコのユカタン半島の岸で集まるのだそうだ。
そして終ると皆はそれぞれの故郷へと帰っていった。
(1) California Institute of Transpersonal Psychology, Menlopark, CA94025
(2) 樋口和彦「ユング心理学における"東"という概念について」『東洋思想』東洋思想研究会、6号、一九七八年。
(3)9th International Conference of the International Transpersonal Association, April23-29, 1985, Kyoto International Conference Hall, Kyoto.
(4) ハーヴェイ・コックス 「宗教はポスト・モダンを担いうるか」『中央公論』一九八五年二月号、二〇六-二三三貢。
(5) E・キュープラー=ロス著『死ぬ瞬間』川口正吉訳、読売新聞社、一九七一年。
(6) この講演は河合隼雄他編『宇宙意識への接近』春秋社、 一九八六年に収められている。
アーサー・ケストラー編著『還元主義を超えて』池田義昭訳、工作舎、一九八四年。
フリッチョフ・カプラ『ターニング・ポイント』吉福伸通他訳、工作舎、一九八四年。
ケン・ウィルバー『構造としての神』井上章子訳、青土社、一九八四年。
ケン・ウィルバー編『空像としての世界』井上忠他訳、青土社、一九八四年。
ケン・ウィルバー『意識のスペクトル』上・下、吉福仲通訳 春秋社、一九八五年。
ローレイン・ウィヤール編『科学と精神世界の出会い』仲里誠穀編訳、たま出版、一九八五年。
河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店、一九八六年。
コリン・ウィルソン 『至高体験』由良君美他訳、河出書房新社、一九七九年。
ケン・ウィルバー『エデンから』松尾弌三訳、講談社、一九八六年。